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中国で結婚相手を探す27歳男性の切実な訴えが話題に
桜井 剛
「3年で25万元貯金できるのはいい青年だ」
私の勝手な偏見かもしれませんが、中国では確かにありそうな意見という気がします。そして私のような日本人には無い、大陸ならではのたくましい生命力を感じます。カタログスペックを堂々と主張する相談者もすごいけれど、コメントの着地が「いい青年」。すごい。(皮肉じゃないです)
「頭の悪い人」には絶対に理解してもらえない話
桜井 剛
「自由意志」は幻想だ、という話は色々なところで見かける気がします。「自由意志」とは自分の中に「決断に至ったすべての原因」を求めることで、他からの影響を受けていて、原因がそこにあるのなら、それは自由意志とは呼べないよね、と。そして、自由意志が根拠のベースにある「努力」とか「責任」とか、近代社会が大事にしてきた概念の多くが賞味期限切れを迎えている、という話かなと思います。
で、代わりになる概念は「欲望」ということなのでしょう。つまり、何かを自由意志で決めたというのは幻想だとしても、そこに自分独自の欲望がかかわっているのであれば、その判断は他人の受け売りではなく、間違いなく自分の物であるはず。「欲望」は響きがあんまりなので「夢中」とか、いろいろな言葉で置き換えられているけれど、そういう話が色々なところであふれているので、これから多くの人の「物事の捉え方」が色々と変わっていくのかもしれないですね。

【最先端】自分の「弱音」を吐き出せるサービス
桜井 剛
カウンセリングのような「今の人間関係とは切り離された対話の場所」を持つ必要性が高まっているのは確かだと思います。
きっとビジネスとして難しいのは、カウンセリング本来の目的が、相談者の満足度を上げることではないことなのだろうと思います。極端な話、アマゾンレビューのような仕組みでカウンセラー満足度が分かったとしても、低評価カウンセラーの中にこそ、自分と向き合うきっかけを与えるカウンセラーがいるかもしれない。それは極端な話だけれど、カウンセラーと相談者(そして運営組織)の間で、ビジネススキームとしての利害関係が一致している、という物語が共有されないと、アメリカ映画に出てくる、上手くいかないカウンセラーとの会話のように、必要以上にビジネスライクなカウンセリングになって機能しなくなるのだろうと思います。「コトリー」という組織がビジネススキームを利用しながら、コトリー/カウンセラー/相談者の間で、「通常のビジネスとは角度の違う信頼関係」の物語を立ち上げるのか、非常に興味があります。

【3分解説】アップルはなぜ、「自動車事業」に乗り出すのか
桜井 剛
自動運転のEVが普及した後では、自動車はこれまでの「運転する場所、載せていってもらう場所」から大きく変容して、電子機器に体中を囲まれて時間を消費する個人スペースになるのだから、SFで描かれてきた社会の実現を現実的に想像することができるという意味では、すごく面白い時代なのだろうと思います。
ただ、具体的にどういう未来を想像できるのかを考えてみると、どこからか借りてきたイメージしか浮かばず、自分の想像力の貧困さにうんざりします。きっとこれまで見てきたSFのビジュアルイメージが強すぎるので邪魔をしていることと、自分の欲望がどんどんとらえにくくなっていることの両面で、発想の貧困さを生んでいるのだろう、という気がします。自分の欲望といかに向き合うか、そこに他人と共有できる面を見つけられるか、そういうことがこれからは必要とされる人なのだろうという気はしますが、いったい何をしたらいいのやら、です。偉大な先人の想像したSF的未来に触れるのは「今の教養」としては面白いけれど、自分の欲望と向き合うのとは違う気がするから、逆にそういうものから大きく距離を離れてみて、まったく別の自分独自の角度から見る必要があるのだろうなぁ、と思う。
ジェフ・ベゾスも使った「ループ図」の破壊力
桜井 剛
因果関係というのは、決して科学で実証されるような事実ではなくて、多様な世界を人間が理解し結果をコントロールするための一つの幻想なのだと思う。例えば、私がやれと言ったから、彼はそれを実行した、というとても単純な話だって、私がやれと言っても彼がやらないことがあるのであれば、純粋な因果関係かどうか疑念の余地があるけれど、コントロール可能であることが重要で、そうであれば、厳密なことは気にせず因果関係だと言い切っても問題は発生しない。
ループ図も、本当にそういう関係なのかどうかにこだわるよりも、多くの人の共通の物語として機能するシンプルなメッセージが込められたループ図を描けるか、がポイントなんだろうなぁ、と思いました。

【視点】見落とされている「アスリート・ファースト」の価値
桜井 剛
オリンピックは、どういう姿だったらいいのだろう。素人の特権で(実現性は無視して)勝手に考えると、私の理想は「国対抗運動会」というお祭りだ。
運動会は、プロの競技のように観客のためにやるものじゃなくて、完全に選手のために開催される。観客は選手が自分のためにやっている姿に何かを感じるから見に来る。そして紅組・白組なんて組み分けに本質的な意味は無い。選手が頑張っている姿を多角的に選手が理解できるような仕組みとしての組み分けがあるのだ。そして本質的に意味がない組み分けにこだわって勝利を本気で競う「無意味な馬鹿馬鹿しさ、祭りっぽさ」が本質で、そんなものに人生をかけてしまうような選手のひたむきさが逆に感動を生むのではないだろうか、と思う。

【必見】コロナで心が疲れているあなたに、伝えたいこと
桜井 剛
私はSEとして働いているので、システム障害が発生することで、システムの一面を初めて理解する経験をします。それとそれが連携しているのか、とか、そういう業務で使っていたのか、とか、システムが動いている姿が腑に落ちるってことなのですが、なかなか気持ちのいい経験です(システム障害自体は、もちろん辛く厳しい出来事ですが)。
心の不調も同じように、まずは辛く厳しい経験であることは間違いないと思いますが、「自分を知る」というと凡庸な表現ですが、「意思ではコントロールできない自分に内在する部分」を含めた自分と言うシステムの動作原理が腹落ちするという経験は、なかなか気持ちがいい経験なのかもしれないです。そういう面に意図的に意識を向けることで、少しは前向きになれるのかもしれないですね。そういう自分システム理解のツールとして、この記事のような精神科医の方の知見を活用するのが私にはあってそうだ、と思いました。
森騒動とは何だったのか。上野千鶴子氏が語る「男性もイエローカードを出すべきだ」【前編】
桜井 剛
森騒動で、日本社会の膿が可視化されたことは良かったことだと思うけれど、男女の性差(ジェンダーが違うことによる差異)について語ることがタブーのようになってしまわないか心配です。LGBTの人の苦しみは、自分の体とジェンダーのギャップなのだと思うので、そこにギャップがあることは間違いない。なのに、ギャップについて語ると叩かれるようになるのなら、それはまずいと思う。
言葉は切断するものなので、どうしたって人を傷つける側面がある。だから言葉で人を気づ付けない一番いい方法は語らない事なんだけれど、それだと断絶になるから、傷つけることを理解した上で語り合うしかない。もちろん何でも言っていいわけじゃないし、取り返しのつかない言葉というものはある。けれど「この言葉はポリティカルにコレクトか?」そんなことが脳内で無自覚に想起されてしまう世の中は、傷つけ合って再生することで繋がるチャンスを過剰に奪ってしまって、断絶を促進するしかなくなってしまうのではないか、と思います。もちろん、こういう話はバランスの問題なのですが、過剰に「ジェンダー差異」についての議論の機会が奪われる方向にバランスが崩れそうで怖いです。

【風の時代】世界の変わり目に「飛躍」するための必須スキル
桜井 剛
個人的には、「積み上げてきたものを、風の時代の「苗床」にする」がキーワードと思いました。風の時代は、感性からすべてを作り出すというより、これまでの蓄積を感性を使って花開かせるというイメージが私には分かりやすいです。そういう観点で見ると、良い時代になったと前向きに捉えることができそうです。しかし裏を返すと、コツコツ蓄積には一旦スポットライトが当たらなくなる時代ということもできるのでしょう。だから、じつは風の時代にコツコツ蓄積を裏でやり続けられる人、そんな時代に合わない人が本当は貴重なのかもしれない。もちろん、時代に乗らなくてもいい実力がないとダメなのでとても難しいのだと思いますが、もしできるなら、自分はそんな人になりたいと思いました。

【衝撃】日本人が見えていない、日本の「ビッグビジネス」
桜井 剛
記事の内容と外れてしまうのですが、「アニメーションの力」が最近色々と語られていますが、個人的には実写じゃなくてアニメである必然性について、腹落ちしていなくて気持ち悪い状態が続いています。
実写と比較した場合に、アニメの方が「人物の表情」をはじめとした画の表現として情報量が落ちるのだけれど、情報量を上げるとアニメの良さの大きな部分が消えてしまうことが本質的で、そこに強みがあるのではないか。つまり、表情の情報量が落ちていること、そのものに何か強みがあるのだろうと思うのですが、じゃぁなんでか、がよく分からないなぁと。
でも最近、「進撃の巨人」の作者の諌山さんが「自分に画力が無いと知っているが、そこを上げるつもりはなかった」と言っていたのがヒントである気がしています。つまり、諌山さんは、プロットに力があれば、画力はある程度以上は不要と踏んでいたわけなのですが、もしかしたらプロットの力を最大限生かすためには、画のもつ情報量を落とすことが有効なのかもしれない。小説が想像力を掻き立てるメリットがあるのと同じように、画の情報量が落ちていることで、物語を共有する力は上がっているのかもしれない。そして小説にはプロット以外に文体の個性が重要であるように、アニメ(や漫画)には画の癖や、情報量をいかに上手に落としているか、ということが意外と重要で、見る人の中で物語を有効に立ち上げることに有効に機能しているのかもしれない。そこから考えた時の、アニメ作品の魅力を語ることができるかもしれないなぁ、と。宮崎駿さんの絵の情報量の落とし方は、絶妙ですよね。例えば、自画像を豚にして描いた落書きとか。

【新】時流を読むキーワード「風の時代」とは何か?
桜井 剛
近代科学とは違う知として「占星術」を捉えるのは興味深いです。今は科学万能信仰のようなものが広がっていて、人の自然な感覚との乖離が大きくなってバランスを欠いているのだと思う。例えば癌患者に対して、あなたの5年後生存確率は50%です、のような科学的なアプローチに従った説明は人の自然な感覚とは乖離している。そういう意味で、占星術や錬金術のような科学とは別の知の体系は、近代科学のような正しさの保証はできないかもしれないけれど、近代科学より長い歴史があるのだから、人の知に対する知見(メタ認知ですね)としては大きな可能性があるのだろうと思います。でも、そういう知見ってどうやったら学べるのでしょうね。
「まずは現場」大企業ほど見逃す「経営の本質」
桜井 剛
現場の重要性は昔からよく強調されていますが、最近の脳科学から見た場合に重要性をどう分析されるのか興味があります。
おそらく、色々な業種で共通して、現場では多様な事態が同時並行で発生していることが多く、現場に身を置くことで受け取ることができる刺激は非常に多様で、それに比べて会議室に代表される現場以外で発生することは、いくら情報が多くても人為的に統制された多様性が落とされた情報であって、非言語処理として得られるものが少なくて、そのあたりが現場を知っているか知らないかで差が出るようなことが脳科学的にも分析できて、これまでにない切り口での「現場体験有効活用の処方箋」のようなものが作れるのではないか、そんな気がします。
「自由と自己責任」という嘘〜成果主義のうさんくささはどこから来るのか〜
桜井 剛
自由意志は便利な概念だけど、科学的には幻想であって、何かが原因になっていない、「ある個人の内部からのみ発生した意思」なんてあり得ないことは、そりゃそうだと思う。そして、意思と呼ぶことができない何かに突き動かされて人は生きているのだから、責任も究極は幻想である。でも、そんな哲学っぽいことを言っていても社会は回らないので、意思も責任も「多くの人の間でかなり普遍性のある幻想(=お約束)」として受け入れて、人々は暮らしているし、そんなことに文句を言う人もいない。けれども、成果主義のような「XXX主義」の話になると、そう簡単にはいかない。信じているものが信じるに足るものかを洗い直さないと、うさん臭さから抜け出せない。だから「意思も責任も幻想」だったよね、というところまで立ち戻って、成果主義を捉え直す必要があるのではないか、というのが記事の趣旨だと思います。
記事の内容は、まったくその通りだと思いますし、成果主義をもう一度評価し直すためには有効な手段だと思います。ただ、「意思も責任も、客観的に存在する事実」と信じている人とは共有できないことが、大きな障害になると思いますし、自己責任論のような「安易な正義」を無反省に振りかざすような人がもしかしたらどんどん増えていて、そういう「うさんくささ」と戦う方法論が社会的に受け入れられにくくなっている傾向があるのではないか、という懸念があります。

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