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モテ男とエロ資本あり女しか結婚できない悲劇、橘玲氏「少子化は自由恋愛の帰結、弱者男性と上方婚女性が大量発生」 【出生数75.8万人の衝撃】作家・橘玲氏インタビュー(前編)
Yamaguchi Yuko文学研究者/大学教員
※み【身】 も 蓋(ふた)もない
露骨すぎて、情味も含蓄もない。直接すぎて、話の続けようがない。にべもない。
(精選日本国語大辞典)
少子化や非婚化の「本当の」理由を探っていくと結局身も蓋もない話になる。だから言葉を濁して皆さん口にしないのだろうと思います。相手のある話なので、こちらが望んでも相手が断ったらそこで終了ですから。この記事は男女論的にまとめてますけど、断る/ 断られる に性別は関係ない。お互い様です。
後、お見合い時代への懐古も多いけれども、お見合いも書類(釣り書き)の段階でバンバン断っていたのを忘れてはいけない。これも性別関係ない。お互い様です。
人間関係は相手があることなので、断ったり断られたりがあります。相手が悪い社会が悪いと叫んだら相手が振り向いてくれるわけでもない。私も断られた経験は何度もありますけど誰かを恨んだり社会を恨んだことはない。相手にも選ぶ権利があります。この次はうまくいくように、自分磨きを始めるか!と前を向くようにしてきました。「それでも人生にYESと言う」の精神で。もっともらしい概念や主義をとなえて自己正当化はしませんでした。イソップ寓話の『酸っぱい葡萄』みたいな負け惜しみの開き直りをしても何も生まないと思っていましたから。
「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い現代の日本人に起きている"憂慮すべき変化"
Yamaguchi Yuko文学研究者/大学教員
自分が傷つくことから自分を守るために、自分の認識を変化させてきたのかな、と。
「結婚したくない」と思うことで傷つかないで済む。そんな理由もありそうです。コメントでお書きのように「もっともらしい」理由や概念に飛びつく。するともう、自分がこれ以上傷つかないで済む。
本当の理由を探すことって地獄なんですよね。心の中を覗き込むと、目をそらしてきたものが色々見えてきて苦しい。
だからコスパだなんだという概念に飛びついて、苦しまなくて済むように認知を変えている人もいるのではないか。
自分は若い頃モテなくて恋愛下手でしたが誰のせいでもない。相手や社会のせいにしたことはないですね。自分に都合の良い概念や主義には飛びつきませんでした。自分みがきが足りないんだ!と思っていました。
少子化や未婚化の理由は様々だと思いますが、それが本当の理由かどうか、心の中をのぞき込む作業も時には必要かも。
【独自】新たな写真“ビキニにチップ”自民党の不適切会合 ボディタッチは「記憶にない」【news23】
Yamaguchi Yuko文学研究者/大学教員
政治家にはより高い倫理観が求められます。私的なことだからでは済まない時代にもなってきましたし、そうした時代の価値観の転換に鈍いのも困ります。今はこれは笑いでは済まない。どうか緊張感をもって公私共に過ごして頂きたいものです。
他方思うこと。批判はあくまで行為に対して行いたいもので、人間としての価値には関係ない。[政治家なんて大したことない]という批判の中に、上にいる人を引き摺り下ろして溜飲を下げたい欲望はないだろうか。自戒を込めて問い直したいものです。
自分が政治家になったら結局同じことをする可能性はないか?そのことは問いたいもの。
自分が出来ないことをやっているのが腹立たしいから批判しているのでは目も当てられない。既得権益を憎む人が、いざ既得権益側になったらケロリと手のひらを返したのを何回も見てきました。改めて自分に問い返したいですね。
「死刑に賛成でも反対でも、執行を実際に見たら失望する」アメリカの元刑務官が語る制度の実態 今改めて考えたい「死刑」
Yamaguchi Yuko文学研究者/大学教員
死刑は人命を断つ究極の刑罰で賛成/ 反対どちらの意見もごもっともだといつも思います。とりわけ刑務官の心身のご負担を思うと廃止の方向も宜なるかなと考えるときもしばしばです。世界的には廃止の方向ですし。
ただご遺族の言葉に尽くし難い無念を思うとき軽々に決定できない思いがあります。
それともう一つ私の心に引っかかっているのは、ある種の事件で加害者にとりわけ思い入れを強くする向きへの疑問の思いです。
(よそのSNSの話です)。
ある種の事件とは容疑者の責任能力が争われる類の事件。そういう事件[のみ]、減刑を望む声が上がったときがありましてね。スペースという音声チャットで揉めたことがありまして。
この種の事件の加害者に思い入れが強い方がいて議論(口論)になったんです。で話し合ううちにわかってきたことは、ある種の生きづらさを抱えている人が加害者側に思い入れがあることがわかりました。そこまではわからなくはない。責任能力を問われる被疑者は生きづらさを抱えていることが多い。被疑者をそこまで追い詰めた社会も責任はある。そこまでもわかります。
ただし加害者に思い入れのある方に最後まで私が疑問に思ったのは、その方々、事件の被害者への思いやりがほぼ無いことでした。そこに引っかかった。
結局、自分と同様生きづらさを抱える加害者への自己投影で擁護している可能性を感じました。惨殺された被害者への思い遣りはそれに比べて少ないことがわかりました。
結論として加害者に自己投影して擁護する方々への疑問が払拭し得ない故に、私は被害者/ ご遺族の側に立つことに決めました。有意義な話し合いでした。
長文失礼いたしました。
NORMAL
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