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【大局観】子どもが夢中になる「ビッグヒストリー」の教科書
牧田 陽奈子慶應義塾大学 第5期 Student Picker
局所的に知識を得ていくことを積み重ねる学校教育で、いつも「全体像」に飢えていたことを思い出しました。図鑑や資料集の最初に載っているような、全体を俯瞰できるザックリとした流れから面白がらないと、細かい内容がめっぽう頭に入ってこなかったと記憶しています。
ロイド氏が手がけた本誌を、中高生の時こそ欲しかったなと思います。
「歴史の始まりを、宇宙が誕生したその瞬間に据えれば、おのずと人類と自然を同列に見るようになります。」という指摘も、非常に示唆的でした。文字・記録が発明される前の先史を、宇宙の誕生から捉え直してみることは、非常に大きな時間的スケールの中で、非常に小さな人類の営み(=歴史)を俯瞰的に眺めることができそうです。
なぜタイで建築を学ぶのか?
牧田 陽奈子慶應義塾大学 第5期 Student Picker
同じく東南アジアに留学中のデザイン学徒です。
"Public"とは何か?真に開かれているとはどういう状態か?という問いにドキッとしました。近代以降確立した職種でもある「デザイナー」という明確な役割がいない中でも、つくることと生きることの距離が近いジャカルタの都市集落は、すべての空間が生きている。という指摘について、現在同じく東南アジアに留学してきている身として、感覚として非常に理解できます。
デザインが生まれた地、ヨーロッパで正統に学ぶことへの憧れもあると同時に、デザインよりも断然古い歴史を持つアジア独自の生活への感性(=文化)を今いちど見つめて日本でのデザインへ活かしていくことは、現代に抱える問題を乗り越えてゆく手掛かりになるのではないでしょうか?人々が直視したがらないけれど確かに存在している分断、動植物を無視した不自然な環境、再開発で消えゆく飲み屋街etc... 我々にとっての豊かさとは何か?未来に住みたい"Public"とは何か?を真っ直ぐに考えられる環境が東南アジアにはあると、わたしも直観します。
大学生の5人に1人は買ったことがない「雑誌」 購入しても「読まない」人が続出、では、なんのために?
牧田 陽奈子慶應義塾大学 第5期 Student Picker
受動的態度で情報に容易にアクセスできる時代です。
ほぼ無意識的にアプリを開き、目的なきままスクロールするだけで基本的には自分の見たいものが流れてくる各SNS媒体。各社の策略にまんまとかかり、ただ時間を吸い取られている現代人はなんて不幸なのだろうと、個人的に日々悲観しております。
雑誌は、その情報のキュレーション、そして情報をどう表現するかに、多くの時間がかけられ編集されたメディいだと思います。各雑誌によってそれぞれのテーマ性を持ちながらも様々なジャンルを軽やかに横断する。口語でも文語でもないが、人格が宿ったようなあたたかな文体に心が躍ります。
思わず読みたくなる仕掛けがありながら、読みたい場所のみページをめくることで主体的に情報を拾いにいくこともできる、雑誌は中動態的なメディアなのではないかと考えます。
情報取得の意思選択を容易に手放せて、ただ機械的にスクロールに走る、フィルターバブルに囚われる。といった目の前に当たり前に広がるディストピア的なSNSとの付き合い方を、多くの大学生がインテリアにしていると回答した「雑誌」をなんとなく読んでみることで、今一度考え直す機会になればいいのになと、心から思います。
香港から「亡命」周庭さん、立命館大の学生に語った“2つの言葉”とは?ゼミに招いた教授が回顧
牧田 陽奈子慶應義塾大学 第5期 Student Picker
2019年香港民主化デモの際に、日本語話者であることから日本人への訴えかけも多く、メディアでも頻繁に取り上げられていたアグネスチョウさんという存在に、当時高校生だった私は衝撃を受けた記憶があります。
自分より少し年齢が上の学生が、未来を生き延びるためにデモを行い、力強く各国に呼びかけ、最終的に逮捕されてしまったことに、他人事ではないと、当時のクラスメイトとの話題になることもありました。
これだけ多くの訴えかけとデモを持っても変わらない政治形態のなかで、自分の身の安全も危ぶまれるという状況です。民主化運動のアイコニックな存在としての前に、今を生きる若者一個人として、亡命先での彼女の環境が少しでも健やかなものになることを祈ります。
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