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【壮絶】空前の「アボカドブーム」が人間と森林を殺している
Kawai Atsushiエシカル木熟アボカドとバナナを売るお兄さん 取締役
少し頭を整理して書き直します。
アボカドの環境負荷の話題は2年に一度くらいの割合で取り上げられます。時にはメキシコ、時にはチリ、最近はアフリカ…と。
それら報道される問題は各地域の気候、社会背景(政治)、そして実務者である事業の運用とモラルに影響されるものです。個々のグラウンドデザインに欠陥があり、いわば疾患と言える側面を修正しなければ改善しない話を、過剰にアボカドに絡めて一般化して欲しくない、というのが内側の人間としての正直な心情です。
カルテルの問題は日本にも反社によるみかじめ料の問題は日常的に存在しています。まるで歌舞伎町で反社にみかじめ料支払ってる飲食店の話を聞いて、「日本の、新宿の飲食業界やべえ、真っ黒じゃん」と騒ぐことに、どこまで意味があるのか。
私がメキシコアボカドの報道で常に感じる苛立ちというのは、悪い側面を声高く報道しつつ、その対岸にあるエシカルな取り組みには殆ど詳細にフォーカスしていない点にあります。こういう報道があるから必要以上に不買や風評が起こる。現場には不法者もいれば、良心のある農家もいる。本来は並列に評価すべき話なのです。
例えば私自身共に事業をしているタンシタロの農家達は代々麻薬カルテルに脅迫され続けた歴史から自警団を形成することで自立と自由を勝ち取った住人ですが、彼らは森林伐採はおろか植樹によってエリア内の緑化比率を上げている独自の環境配慮型農業を進めてます。枯れ地だった果樹園にアボカドが植えられ、その敷地40-60%が植樹により松の木が茂るようになり野生動物が帰ってきた。そんな話を並行して報道してくれれば視聴者の印象はまた変わるでしょう。
でも、それはしない。それが、今の報道。
それは良心的な農業を推進する人たちを踏み躙るものであり、消費者の理解を歪ませる行為だと思います。
ちなみに、私の農園地域を含めミチョアカンは渡航注意喚起地域です。以前、日本の某主要メディアが取材をしていた際、現地の取材代理人(というサービスがある)が地域住人に「どこで地盤沈下や水の口渇が話題になってませんか?」と探し回っていたと現地民からのタレコミが来ました。
自らの足で出向くこともなく足を骨にして探さねば見つからない問題を"社会問題"として報道するのはどうなのか。彼らの考える社会問題の定義とは、何なのか。一考に値するテーマだと思います。
“大麻グミ” 「人体実験に参加するような危険性」 搬送者続出するその成分は「大麻の数十倍の危険性」
Kawai Atsushiエシカル木熟アボカドとバナナを売るお兄さん 取締役
他メディアで紹介されていた販売会社社長のインタビュー時の態度と回答内容が酷すぎました。健康被害の実害に対して「違法ではないので販売継続する」と言い切る時点で食品事業者として失格でしょう。
我々も含め素材や食品を扱う者は消費者が安心安全に食品を消費できる仕組みを作る責任があります。提供する素材に異常や健康被害があれば相関性に対する基礎研究と情報公開に努める義務がありますし、状況が不透明なうちは販売を止める対応も必要でしょう。
法の隙間を理由に何もせず販売も継続する、と人命よりも売上優先する事業者に対しては事業運営自体を縛る仕組みも必要かと思います。じゃないと多分また他のことでもやらかしますよ、絶対。死人が出てからでは遅いです。
駅そばの今とこれからを考える
Kawai Atsushiエシカル木熟アボカドとバナナを売るお兄さん 取締役
私の育った地元我孫子駅には全国でも有名な駅そばが昔から存在する。画家の山下清が昔働いてたことも知られる弥生軒だ。名物は拳2つ分のトッピング唐揚げ。鉄道ファンの間でも有名で、朝からそれを目当てに駆け込む人が絶えず、夕方には売り切れることも珍しくない。コロナ禍になり入店制限がかけられてしまったが、それ以前は店の外まで行列ができ、良し悪しは別としても駅のホームに立って丼蕎麦を持ちながら食べる人の姿もあった。今も老若男女がそのトッピング唐揚げ目当てにこぞって通っている。駅そばは昔から男性客メインのイメージが強いが、昔から女性客も多い。色々と見方を変えてくれる地元のソウルフードと言える。
こういう言い方は失礼かもしれないが、蕎麦の味だけ突き詰めれば全国には更に美味しいと思う蕎麦屋はあると思う。それでも帰郷する度に食べたくなるのは、腹を満たした若い頃の思い出があるから。年に何度か帰郷する地元の仲間達はほぼ100%食べて帰る。車で帰郷し入場料を払って駅に入る人も珍しくない。
これから寒さ厳しくなり、あの殺人級の匂いがまたホームを匂わせるのだろう。接続する成田線は30分に一本しかない。待ち時間の間に、入店して食べようか食べまいかソワソワしている人を見るのもまた風物詩。歳とともに揚げ物が厳しくなってきた私も、思い起こすだけでソワソワする笑。
ユニクロの柳井正が米誌「タイム」に語った「日本への喝」
Kawai Atsushiエシカル木熟アボカドとバナナを売るお兄さん 取締役
国内国外共に接点のある立場から見ると、日本経済が停滞しているからといって日本人が海外勢に能力的に特段劣ってるとは一切感じません。ただ新しいこと、可能性のあることにスピード感持って動ける人の数の差という意味ではモチベーションの差を日常的に肌で強く感じる機会は増えました。その意味では日本人は完全に草食化してます。アジア、中南米をはじめとしたラテン、中東やアフリカ勢の成長株は完全なる肉食です。私達のような食品素材の分野ではその後発肉食勢が旧来の大手を飲み込み、例えば冷凍・乾燥野菜や果物も今や中東・アフリカが目を見張る成長を遂げてます。この5年、10年の話です。
企業単位でも過去5年振り返って具体的にどこを成長できたか言える企業は及第点ですし、逆に何も目立った変化のない企業は企業成長という視点では落第でしょう。自分は常に前者でありたい。そのためには意味ある挑戦をし続ける必要があると思います。
ファーストリテイリング 原材料調達までの全工程を自社で管理する生産体制へ
Kawai Atsushiエシカル木熟アボカドとバナナを売るお兄さん 取締役
自然な流れかとは思います。分野は違えど食品でもFarm to tableは基本になりつつあり、安全性や品質の担保と人権や環境配慮などのサステナビリティの確保は両立します。これまでは透明性が確保できなかった、これまでの仕入先はその供給者責任を怠ってきたという話でもありますが、昭和さながらの商社は世の中の変化に対応出来なければ自然と淘汰されていくでしょうね。
とはいえ、海外サプライヤーにもメーカーとの直接取引に二の足を踏む会社も少なくはないし意外と義理人情に固い人達も多いので、何でもかんでも自分達の思い通りに出来るとメーカー自身が思い始めると痛い目を見ることになります。社会的責任を果たす上で伴走者として適性がある仕入先や商社は、相応に大事にしながら共に成長していくのが大事ではないかな、と個人的には思います。
なぜ日本で「働かないおじさん」が大量発生するのか…ごく「シンプルな理由」
Kawai Atsushiエシカル木熟アボカドとバナナを売るお兄さん 取締役
私は40代です。ここ数年大手食品企業の元重役だった方々と企業枠を超えた取り組みをよくやってます。たまたま最近協業するシニア層の方々から「長年大手企業の歯車の中ですっかり頭も体も鈍っていたようです」という旨の言葉をもらう機会が続きました。その方々は今60-70代ながらも日々精力的なアイデア出しとロードマップの構築に奔走されていて、こういう言葉で表現するのは失礼かも知れませんが、完全に生き返られてます。
元々知的好奇心が高く、優秀な学歴基盤を持つ方々が腐っていく理由は年齢や体力の問題ではないと私は思います。
今も、これからの時代も、企業の枠を超えた社会のための事業が求められ、異業種同業種問わず企業間交流をし、まとめていくためには社内統制もうまく調整する必要がありますが、シニア層はその意味では社内事情も経験も豊富で適任と言えます。年齢と経験相応の役割と機会を提供していけば、必ず生産性や利益をもたらす存在として息を吹き返す。
結局…腐らせているのは、マネジメント側だと思います。

NORMAL
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