ホーム
5フォロー
7フォロワー
【地域】なぜ「遊び」からビジネスが生まれるのか?
関戸 寛クリエイティブディレクター
「意味がなくて役に立たない」ものからクリエイティビティが生まれる、そのとおりですね。
近年芸術分野への投資を減らし続けている教育界は、イノベーションのきっかけを自ら放棄していることをわかっていない気がします。
家でゲームとYouTubeしかやらない今の小学生が将来新しいことやモノを生み出せるだろうか。
地域社会と人とのつながりから革新を生む。一見温故知新に思えるけど、昔もデジタルを使わないでできる仕組み改善は行われていたはず。
遊びが大事なのは大人になってからもずっと実感します。遊びを知らない大人が導く未来がつまらないものになるのは明白ですよね。人生は遊びだと岡本太郎さんが仰ってましたが禿同です。
【新】現代人が「倍速視聴」せざるを得ないワケ
関戸 寛クリエイティブディレクター
ラジオ局で働いていた時代に感じていたこと。音声は情報伝達のために必ずその情報分の聴取時間が必要。生放送だと早送りができない。
だから情報伝達においてテキストや写真などの視覚情報を発信できる可視メディア(テレビ・新聞・雑誌)に比べるとラジオは情報伝達効率において不利だと。
だからラジオは「ながら聴き」を売りにしてきた。なにかをし「ながら」聴いて情報を得られる特殊なメディアであり、むしろそのスローな時間を「豊かな時間」として解釈するような打ち出し方をしている。
しかし今や可視メディアでの「倍速視聴」の時代。情報効率面がさらに優先され、もはや情報内容や伝達方法だけではなく、いかに短時間で必要な情報を集められるかが重要になってきた。となると質を求めると同時に量もさばく必要がある。
タイパという概念は可処分時間の奪い合いの現代、コスパと同じくタイパを気にする人がむしろ普通だと考えるべき。
なぜそんな考え方に至っているかは、知識量には限界がないから。「あれもこれも知っておいて損はない」そんな欲張りができてしまうのがサブスクの世界。
メディアは発信源の情報量と質の組み合わせにもっと着目すべきだが、この流れを止めることは人間の行動を抑制することに等しい。だから流れが止むことはないと考えられる。
ユーザーに情報を選ばせるのか、もしくは一方的に情報を発信して受動的に情報収集をさせその中で価値を提供しブランディングしていく。メディアの立ち位置はその二択になっている気がする。
お笑い表現の限界はどこか?
関戸 寛クリエイティブディレクター
私見ですが、1980年中盤から始まった”とんねるず”のような「予測不可能な行動をとる破天荒な人たち」を企画の主軸に置いた、テレビ界のいわば「反知性主義」的な番組の作り方がその後のテレビを変えていったと思います。
それまでは知性・知的なところを売りにしている俳優・芸能人などをメインアンカーとして専門家や一般人と共演するような番組構成が主流でしたが、いつしか芸人の面白さにフォーカスを当て知性の部分を置き去りにすることで一般大衆の裾野を広げていったのではないでしょうか。
結果として、言い方は悪いですが「知性的な人たち」が見る必要を感じない番組が乱立していったのだと思います。テレビ業界で働く友人から聞いた話ですが、番組制作時に想定しているメイン視聴者の教育偏差値は30〜40程度だとか。
貧富の差による教育格差が生まれていることは国全体の問題だとは思いますが、大衆への影響力が強かったテレビがその対象を低いレベルに設定したことで、結果的に国全体の知性レベルを下げることに貢献してしまったと感じます。
さらに最近は制作側が番組制作の枠組みからの脱却を挑戦しないだけでなく、視聴者側が何も考えずに番組内容を鵜呑みにして文句を言うような状況が見受けられ、作り手だけでなく受け手側のリテラシーが低いことで「知的な面白さ」の幅がさらに狭まっているように見えます。
たしかに80年代のテレビは面白かった。あの面白さは今のテレビでは再現はできないにしろ、土屋プロデューサーの言うようにメディアごとに最適化したマルチメディアによるコンテンツ制作がキーとなって、番組がまた面白さを取り戻すことを強く願います。
クリエイティブのコンテンツ制作力は間違いなくテレビが一番なので、世を動かす力のあるクリエイティブはやはりテレビからの発信だと思います。
制作側は変化を止めてはいけないし、発信ギリギリのラインで戦うことを諦めないでいただきたい。そして見る側も知識レベルを高め情報リテラシーを高める必要がある。報道番組と情報番組の垣根がない現代ではこの能力が特に必須だと感じます。
【深刻】知られざる社会の病〈叱る依存〉とは何か
関戸 寛クリエイティブディレクター
大人から叱られることが当たり前の幼少期を過ごした昭和世代ですが、結婚して子供を持ち、ふとした時に自らの価値観が間違っているのではないかと疑心暗鬼になりました。
結果的に叱ることが子供の教育にとって効果的でないことは、子供のその後の行動を見ることで知りました。
また子供だけでなく、大人同士でも相手を罵ったり不快感を露骨に表すような人は信頼に値しないと経験で学びます。
そしてやがて怒りの感情をいかに流しストレスを溜め込まずに過ごすかは、もはや個人のレベルではなく、昭和から続いてきた縦社会や体育会系教育を支えてきた日本社会全体の課題だと考えるようになりました。
子供たちがより自由に思考する未来のためにも、叱るのが当たり前の時代が早く終わって欲しい。そして本当の意味での心の教育、考える習慣というものをこの国に定着させたい。
成功の根拠に乏しい根性論は人の思考力を殺すだけでなく、日本社会そのものを暗雲に巻き込むリスクの高い教育手法だと考えています。
在モスクワの日本人もびっくり、実態とかけ離れたロシア報道
関戸 寛クリエイティブディレクター
小さい頃からソ連は敵国という意識というか教育で育ってきた。
80〜90年代にアメリカから輸入されたエンタメは、仮想敵国を常にソ連や共産圏とし「ランボー」「トップガン」「ロッキー」といった超人気映画作品でも散々刷り込まれた西側の価値観が今なお日本人の心に生きているという自覚がこれまで希薄だった気がする。
たしかに日ソ不可侵条約を一方的に反故にして満州に攻め込んできた歴史や、敗戦のどさくさ紛れで北方領土を一方的に奪われたことは日本人の感情に暗い陰を落とす。
しかしそもそもの本当の敵国はアメリカであり、西側諸国であったという意識は一体どこへやら。
あまりにも強大な支配勢力に懐柔され骨抜きになった日本人がただ欧米に追従するだけの腰抜け国内政治を振り返りもせず、昭和の価値観を引きずるおっさんを中心にまたソ連・ロシアを責める構図にしか思えない今。
西側から一方的に押しつけられる情報だけを鵜呑みにしていれば、この状況は永遠に変わることはない。
何が悪いのか、どうすればいいのか。
国民がちゃんと頭を使って考えなくてはならない。
他人に任せっきりの政治がどれだけ危険かは、ロシアの暴走する権力を見ていても痛いほどよく分かるはず。
物価上昇で緊急対策「国民生活守り抜けるよう万全の備え」首相
関戸 寛クリエイティブディレクター
もはや岸田さんが、菅さんが、安倍さんが、
というレベルでは済まされないほどまで異次元にイッちゃってる自民党主導の与党の経済政策。
「アタマが変わればどうにかなるワケではない」ということは少なくともここ10年だけでも振り返れば(データで見れば)分かることなのに、なぜいまだに「民主党政権はダメだった」で元サヤに戻そうとするのか日本人。
国民自体が現状を正しく認識し、一度でいいからいま経済対策を主導しているチームを解体させ根本から変える決意を国民がしなくてはならない。
そうすれば仮に方向転換に失敗しても、そこで危機感を感じた元与党チームが少なくとも今よりはマシな方針を進めるはずだ。
それをしてこなかったから、現状維持に甘んじてきた与党の政策。
そして現状が良くないのにその現状維持を国民が選び続けてきた結果こそがいま。
一度でいいから、全く新しい経済政策チームに日本経済再生のボールを持たせるチャンスをあげて欲しいと願う。このままでは何も生まれない。成功しても失敗しても、PDCAのための教訓を得よう。
「政治」とメディアタブー 【ゲスト:小林よしのり】
関戸 寛クリエイティブディレクター
これを右派の極論番組として楽しめるほど自身に情報の裏付けがないと辛いですね。今の世の中、何が本当なのか分からないほど情報の信頼性が失われている(原因の一部はデータに基づかない情報を押し通す政府にある)中で、自分だけが本質を分かっているような振る舞いや言論をするこれまた無責任な人が増えていると感じます。
なぜ野党がダメなのか、なぜ今の与党でないとダメなのかがこの人たちの主張では全く理解できない。そもそも人権派は左翼なのか?日本の衰退を憂いているのは右も左も関係ないはずなんですけどね。ツイッターで批判者を徹底的にブロックする河野太郎みたいな人には首相になって欲しくないですし、バブル期以降景気を後退させ続けている自民党にはもはや実績がないのでぜひ交代願いたいです。
【新】10年後はAIが代替。データ偏重マーケティングの危うさ
関戸 寛クリエイティブディレクター
人間という生物がアナログの塊なのに、その行動や心情をデジタルの最大公約数だけで深堀ろうとして、結果的に成功しないマーケティングの端っこをちびちびイジっているだけのような手法をとってしまっている。
突飛な新企画をチャレンジする必然性はないけれど、人の心理を考えないデータ解決法はいつまでだっても人の心に刺さらず、行動を変えない。
これまでずっと考えてきたことなので、この記事には大いに共感します。
ともに働く人の仕事っぷりを見ていると、こういったUX型のマーケティングが出来る人かそうでないかはよくわかります。データ絶対主義者の行き着く先は、決して関係者がハッピーになれる未来ではなく、いつか壁にブチ当たり疲弊するだけの未来にしか思えないので。
ユーザーにどう思わせ、どう行動させたいか。そこまで考えた上でさらにプラスオンするくらいの、ホスピタリティあるサービスを提供したいです。
人気の次世代音声SNS「Clubhouse」がクリエイターへの支払い計画を発表、Andreessen Horowitz主導の新ラウンド準備中
関戸 寛クリエイティブディレクター
自分にとってのClubhouseの最大の魅力は世界中の人と話せること。
TwitterやFacebookも同じような仕様だが、音声のみのコネクションという点では英文法が得意でも英語を話せない日本人にとってはより高い障壁にはなりうる。
しかしここで様々な国の人が話す英語に触れ英語の多様性を知ることで、その苦手意識を取っ払うというのが、英語を話したくても話せない日本人全員のミッションであり救いになる。
エジプト人やサウジアラビア人、シリア人、ドイツ人、スペイン人…など実に多様な国籍の人が英語を練習している。これらの多様な英語を聴き話せば、アメリカ英語やイギリス英語にこだわる必要はむしろないと感じるはず。英語練習アプリとしても最良だと感じる。
マネタイズに躍起な経営者の意見ばかりが目立つが、多様な価値観がユーザーに平等に与えられている空間ということにむしろ価値がある。
NORMAL
投稿したコメント