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【削除されました】養殖物2021年2月25日(木)
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Sano Wataru精神科往診+起業家 共同代表+ヨロズ相談
こんばんは。 障害の社会モデルとは、身体障害者の方が運動の中心を担い定着させた、障害とは個体に備わるものではなく、社会に存在する障害であるというものです。 翻って、"障害ではなく個性"という言葉。個性と言うのはどこか個体に内在した性質という感覚を含意しているように見えます。しかし、単純に裏を返せば、やはり社会に個性は存在すると言うことになります。 障害を取り除くテクノロジーやユニバーサリティが社会システムにおいて構成されるのであれば、ある特性が個性として発揮されるだろう協働は社会システムにおいて構成されます。また、特性と発達履歴が絡んだ個体が安定するということも社会的に構成されるものであるという事になります。社会モデルとしての障害の除去と社会モデルとしての個性や安定の生成は、表裏にテクノロジー的な難しさ、不定性、社会構成的な否応ない不完全さを伴うものであると言えます。 いざ、生活の場に出れば、診察室で回復だと思っていたものは目的も不明確で、かと言って社会的処方という程の安定をもたらす社会構成的安定などない場で暮らしており、それでも何らかの支援に連なっています。そこより先には更に制度の狭間に落ちた一種の集積家族や繋がっていないだけに閉鎖閉塞した障害に囲まれた生もあるわけです。そこでは医療や福祉という既存社会に名付けられた型も、療法という社会への再包摂の儀式も機能しません。 私は最初に東京で大学を卒業した時、上の事を直観していました。しかし、体験がありませんでした。その後、医師を志しましたが、精神科医になるくらいなら22歳の時でもなれただろうと当初は選択しませんでした。その後精神科となり、今単に頭で捉えたものという意味では、22歳の頃をなぞり超えられていない気がする一方、色々と代え難い経験もして来ました。昔よりも、経験の上では諦めが多かったにも関わらず、気楽に何となく希望を持って自分の仕事をやっています。分かる/わからない、共感できる/出来ない、自力/他力、違い/多様、様々な二分法はどうでも良くなりました。漸く、今がその前よりも楽しいと思えるようになって来たように思いますが、自分が何と繋がっているという確信があるわけでもなく、日々もがいてもいます。 そうして、この道に呼ばれるように歩いてきたのだなと思ったりします。 皆さま、今日も穏やかな一日を。
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オッパイは尻の代替品という解像度の低い説
本しゃぶり
Sano Wataru精神科往診+起業家 共同代表+ヨロズ相談
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外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(34)科学ジャーナリスト・尾関章さんと考える「科学報道」の落とし穴(J-CASTニュース)
Yahoo!ニュース
Sano Wataru精神科往診+起業家 共同代表+ヨロズ相談
科学報道に限らないお話です。 昔、あの酒鬼薔薇聖斗事件があった際、神戸新聞は地元であったからこそ興味本位の心の闇や厳罰主義の感情論から距離をおいて安心報道という公益性を打ち出しました。 そうせざる得ない実体を持った、のっぴきならない不安が地域を覆っていたのでしょう。 震災の時、津波の映像というセンセーショナリズムに地元が乗っかることは出来ませんでした。 公益性の実現において問われるのは、正確には姿勢ではないのでしょう。どの時代、どの瞬間にもメディア、ジャーナリズムという専門性に公益への想いがないとは思えません。どの業界も内部に入れば、それなりの人間性が見られます。センセーショナリズムの敵は収益構造と被害感情の非対称性であり、特にコロナは被害のあり方がマスになりにくいもの、分断を招くものであるといえます。元より疫病の振る舞いはスティグマを生みやすいものですが、コロナの性質は無症候感染、重症化する層に偏りがあるなど、被害感情に差異を作る性質を強く持っています。 科学という意味では、人が持つ性質の科学により真摯であるべきなのでしょうが、現代社会は人がデフォルトに持っている性質に対して故意に盲目になろうとする部分を抱えています。 気づいていない、マスメディアが歪んでいるというよりは、そのように機能すべく位置付けられていることに敢えてどう抗するのか?というのは敢えて言えば、このように矮小化すべきではないと思います。
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【削除されました】養殖物2021年2月24日(水)
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Sano Wataru精神科往診+起業家 共同代表+ヨロズ相談
おはようございます。 以前、clubhouseは聴覚を利用するため、私達の集団原始人デフォルトに訴えかけると言う話をしました。 元来、私達は極近しい親和(摂食といった取り入れも含む)には、嗅覚と触覚を、集団内での情報収集と調和には聴覚を、外部環境の判断には視覚を用いて来ました。嗅覚や触覚はその使用対象からゆっくりと遅いながら欺かれてはならない知覚として発達します。人の場合は集団で生活するため、比較的遅く近い外部環境とは他個体の振る舞いにイコールとなります。視覚は取り敢えずの大雑把な把握と素早い行動と結び付いていますから、騙されやすいが把握に優れた感覚となります。 そこでclubhouseというアーカイブの出来ないしゃべくりのSNSは実態的に何をしている構造になるかといえば、集団を知覚し、その振る舞いに合わせる事で得られる進化的な利得感覚を強調する場となります。リツイートのような視覚的なアーカイブの増殖伝播はなく、TikTokのような視覚的なトラッキングも起きませんから、実は一発逆転のない既存のパワーがものを言いつつ、集団を動かす"分を弁えたモデレーター"による集団作りのみが構造的に強調されることになります。或いは、既存集団がクローズドに対話をするのにも使えますが、何れにせよ集団力動の強調が構造的機能です。 ラジオと似ていますが、ラジオに比べて集団側の振る舞いがリアルタイムで可視化されており、より聴覚という集団形成維持の感覚のデフォルトが上手く出るように設計されています。フォロー/フォロワー数のバランスの視覚化も集団形成選択のナッジとなるよう設計されています。聴き流しは集団の中での振る舞い判断という人間にとって最も"ながら"に向いたものであり、YouTubeもTVもともすれば聴き流しになる中で可処分時間を必然に食うこのSNSがどう定着していくのかは興味深いものです。 可処分時間を食われたくない!というリーダー気質の人間にはあまり好かれないとも言えますが、実際には集団親和のデフォルトはそのような意識の高さの上をいくため、真の集団形成維持力の地が出るツールであるとも言えるかも知れません。人間としてのデフォルトの分が丸出しになるということですね。 音声やコンテンツそのものよりは、実はモデレーターの振る舞いが最も有用なデータになりそうです。 今日も穏やかな一日を。
日本人が200年前から「勤勉だった」という根拠
東洋経済オンライン
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何でも無料のインターネットは、「商業道徳」を無視しすぎている
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人と一緒にいるだけで疲れる、イライラする「繊細さん」が生きやすくなる3つのコツ
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Sano Wataru精神科往診+起業家 共同代表+ヨロズ相談
HSPというのは医学的概念ではないですけどね。 そもそも自閉症の本態が生理的には感覚過敏にあると言われ始めたのはここ最近ですが、それも当事者により千差万別です。 ちなみに末梢神経側に過敏性の元があるという自閉症モデルマウスもありますが、人の感覚と情報処理過程は何処かに線引きをできる不連続なものではないというのが最近話題の自由エネルギー原理でもあります。情報処理の異常だ、感覚自体の過敏だという立論がナンセンスなのです。聴覚が過敏で予測誤差が生じやすく、ワーキングメモリが消費されやすければ、感情も認知も歪みます。 但し、この自由エネルギー原理は計算論的な仮説理論であって実験的な実証は出来ていません。 HSPは、アーロンによって1996年に提唱された歴史の浅い心理学的概念ですが、にも関わらず発達障害との差異を指摘する脳画像研究などがWikiにも挙げられています。そもそも発達障害自体が脳のどのような異常によるものかは多種性がある上に、勿論分かっておらず、画像研究は精神科領域においては信頼に足るメタアナリシスは殆どない(うつ病などの血流低下領域などは流石に一定確からしいが、原因か結果かは分からない)にもかかわらず、何故そこまでの差異を謳い、HSPには脳機能に異常はないが、などという通常のWikiでは編集にダメ出しされそうな事が書いてあるのかよく分かりません(と言うか、一種の意図を感じます)。特性は=障害ではないのに。 そもそも医学概念と心理学概念を比較して脳科学的に差異があるという文章そのものがほぼフリンジでしょう。 この記事内容とは直接関係ありませんが、"発達障害や不安障害などの病気"これ、Wikiのコピペでしょうか?医師、産業医は別段HSPのプロではありませんね。また、心理療法の適応というのは、HSPと発達障害で区分けするものではありません。 共感性が高いのであれば自助グループが最も対策の編み出しに役立ちそうですが、HSPの共感性の一部に関しては共感性羞恥ではなく観察者羞恥という指摘があり、共感というよりは自身の鋭すぎる感覚からの情動を投影している可能性も指摘されています。生き辛さはあるでしょうが、やはり千差万別なのであり、HSPは返ってセルフスティグマになってしまう危険もありそうです(だからこそ、障害との差異を脳機能に遡って記載するような歪みが起きる)。
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中国はアメリカを抜く経済大国にはなれない
ニューズウィーク日本版
Sano Wataru精神科往診+起業家 共同代表+ヨロズ相談
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