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隣にリッツ・カールトン開業も...福岡老舗ホテル「全く影響ない」 社長が「プラスの効果」まで見込む理由
J-CASTニュース
「ここにいた人たちは、もう疲れることもできない」520人が犠牲になった日航機墜落事故 38年前の夏、20代だった記者は「御巣鷹」の急斜面を歩き続けた
47NEWS
鈴木 大祐ソニーベンチャーズ/ソニーグループ シニアインベストメントダイレクター
JALの時刻表(伊丹便)を見て頂くと分かりますが、JAL123便は永久欠番になっています。御巣鷹山の事故機のフライト番号です。 御巣鷹山にはこれまで何度も慰霊登山をして参りました。社員は全員必ず尾根の上まで登ります。 今でこそ木々がまた生えてきていますが、飛行機がぶつかって削り取られた尾根の跡は今もなお残っており、僕たちに何かを語りかけているように感じたものでした。 JALの安全啓発センターには機内で書かれた直筆の最後のメッセージなどが残っており、それを見るとどうにもやりきれない思いになりました。 事故から何年経とうと、決して風化させてはいけないと思いますし、それがこうした悲劇を繰り返さない為に今の我々ができる事なんだと思います。 事故そのものについてはおそらく政治的に明言は避けられているのですが、僕の知る限りではこういう経緯です。 ・事故機は墜落の数年前に離着陸時に尻もちをついた。機種の上げすぎだった。 ・それを修理する為、メーカーからも専門家を呼んで、それに従ってガイダンス通りに修理を行った。 ・しかしその修理方法が実は適切ではなく、何度も離着陸を繰り返すうちに圧力隔壁部分にガタが来て、ついに事故当日に亀裂が入った。 ・亀裂から機内の高圧の空気が一気に外に吹き出し、それによって尾翼を制御する為の油圧パイプや翼の一部を吹き飛ばした。これにより瞬時に制御不能に陥り事故へと繋がった。 当時、事故の後にご遺族とずっと向き合った経験のある元JALの役員さんからも当時の話をたくさん聞きました。毎年この日になるとあらためて、こうした事故の悲惨さをこれからも後世に伝えていく必要があると感じる真夏の8/12です。
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