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ミッドウェー敗戦から学ぶビジネスリーダーの心得 戦略目標を曖昧に共有する危うさ
朝日新聞GLOBE+
Tanaka Keisuke
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2022年 今年の一冊
HONZ
Tanaka Keisuke
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【削除されました】養殖物2022年10月27日(木)
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Tanaka Keisuke
「楽しみにしていたミュージカルに急に行けなくなった」という知り合いのお宅から声がかかり、チケットを頂いて見に行った。劇場に着いてみると、S席の座席にいく前に、楽屋めいた内装の控室に通される。何やらVIP待遇だなあと思いながら、開演時間となり席に移動して観劇を存分に楽しんだが、終演後また控室に案内される。茶など出されながら手持ち無沙汰にしていると「いつもお世話になります」と興行会社の社長が現れ、この度はおいで頂きありがとうございましたと頭を下げられるが、あわてて自分は、本来来るはずだった人が都合で来られないとのことで、自分はその代わりに来ただけの者なんですよと弁明すると、社長はなぜかそれを聞いてますます恐縮してしまい「そうですか!そんなご都合の悪いところに自分たちは招待などしてしまって・・・どう埋め合わせをしたらいいのか・・」などと狼狽しながら部屋を出て行ってしまったので、ああ、自分は余計なことを言ってしまったようだ、「本人も直前まで大変に楽しみにしていたのに、急な仕事の用で本当に致し方なかったのです」とか何とか、都合で来れないというのが社交辞令に聞こえないような言い方というものがあったのではないか・・・・などとオロオロしているうちに、ふと気がついた。自分は知り合いの一家4人が来れなくなって空いた4席のうち、自分ひとり分しか埋めていない。こういう時には招待されたにも関わらず4席をまるまる空けるのが申し訳ないという知り合いの気持ちを汲んで、残り2席でも3席でも埋めるよう努力するのが常識なのではないか?それを自分はラッキーとばかりに一人でのこのことやって来て一席にだけちょこなんと座り、興行側にはさぞ違和感だっただろう、ああ知り合いの体面にも悪いことをしてしまった・・・ と、反省したところで目が覚めました。つくづく思ったのは、「むやみに観劇のチケットをくれるような知り合いが自分にはいなくて楽でいいなあ」ということと、夢なんだからもう少し夢らしく、地に足のついてないというか、現実の自分の社交性のなさに対する真剣な反省に追い込むような展開はやめてもらいたいなあ、という2点でした。先日新橋演舞場に大竹しのぶの演じる「女の一生」見に行ったのでその印象が見せた夢だったのかな。
プーチン大統領 ウクライナ4州「併合条約」に署名
NHKニュース
Tanaka Keisuke
安倍さんの時はクリミアの一方的併合を「黙認」し、国際社会におけるプーチンの居場所を確保する助け舟を出した格好になったと理解しているが、「外交の安倍」を最大限にフィーチャーした国葬直後の日本政府対応はいかなる形をとるのかと熱目線が絶えない。 〈追記〉 上記を書いたところ、自分のコメントが反安倍を主張したいばかりの嘘だと言うようなコメントを見かけた。しかし、安倍政権時クリミア危機を受けた対露制裁は「軽い」「形ばかり」のものだったというのは論者が保革を問わない共通認識と思うけどなあ。例えば以下のような記事が最近でもある。 https://japan-indepth.jp/?p=64308 https://www.asahi.com/sp/articles/ASQ2T6J7MQ2TUTFK01W.html それが「北方領土交渉で成果をあげるために致し方なかった」のかどうか、という評価は分かれるだろうけど、プーチンに対して甘い目を見せたことは違いないのではないか。 蛇足ながら、自分はウクライナの人々が銃を取ることを否定したことは一度もなく、ロシアは二度とプーチンを出さないために日本の憲法9条を採用したらいいんじゃない?二度と独裁好戦政権を出さないがための拘束は今のロシアにこそ必要だよね、という主張はした記憶があるが、ウクライナ人は銃を捨てろという主張は一切していないので念のために付記しておく。
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【削除されました】養殖物2022年9月28日(水)
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Tanaka Keisuke
加藤さんが指摘されている「全体主義的思想」というフレーズで思い出したんですが、まさに昨日の国葬に反対する人々を諫める体裁のコメントで、選挙で選ばれた政府が構成する内閣が決定したことは普通行われる、それが議会制民主主義だ…、といったような主張に多くのLikeがついていました。 んなわけないじゃん、ナチスの授権法じゃあるまいし(ちょうど今読んでる芝健介著「ヒトラー」でこのあたりが出てきた)、と思ったのですが、今のところ全体主義が公然と主張されているわけではないものの、それに向けた下地は整ってきているのかも、と思った次第です。昭和初期の日本も政党は対立党との足の引っ張り合いばかりで、分断と政治不信が極まっていたという話ですし、人々が分断に呆れ疲れたあたりでポッと出てくるのが全体主義なのかもなあ…と身構えている感じです。 〈追記〉 fukudaさんのご指摘はたいへん私の言いたいところの芯を突いていまして、今くらいの分断ぐあいになると「一つにまとまる」というファシズムの本来の言葉の意味っていうのが良さげに聞こえてきかねないと思うんですよね。例えばこのくらいの主張は出てくるかもしれない: 「20世紀の全体主義は対外戦争とセットになっていたから悪かったのだ。本来の全体主義は『難局にある国民が一つにまとまる』ということであって、そこにはポジティブな意味が含まれていることに私達はもうそろそろ気づくべきだ。絆を大切にし、日本人としての一体感をすべての価値の中心に置くことで、しなやかに逞しく、一丸となって歩み出す…これが日本の全体主義2.0だ!」 どうでしょう、今やQアノンみたいな主張を真顔で言う人もいる時代ですし、それよりは相当マシに聞こえないでしょうか?このくらいのソフトタッチの全体主義はこれから浸透してきて十分おかしくないんじゃないかなと思うのです。 こういった主張が何につながる危険があるのかは、まだそこまでに到っていない今のうちに十分考えておく必要があると思うのです。(そもそも本当に危険なのか?という問いから向き合う必要がありそうですね)
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