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問題行動ある生徒を「反社会」、生活態度良好は「無印良品」 相模原市立中学で生徒を格付け
柴山 翔太福岡女子商業高等学校 校長
業務外であったとしても許されないことを学年主任という立場の人間が正式なクラス分け業務資料として共有をかける。そのことを他教員が自分ごととして声を上げることができない。
おそらくこの一件だけの問題ではないかと。
これまでの教員は担任や授業など、個別の空間作りで評価を得る個人事業主的な側面が強く、チームとして改善する姿勢が足りていなかったように思います。
使用している言葉が不適切であることはもちろんのこととして、偏った思い込みによるラベリングは無意識であっても生徒たちの成長に悪影響を及ぼします。
良い子の定義が「教師にとって都合の良い子」になっていたり、良い先生の定義が「今の私にとって都合の良い先生」になっていないかという確認はどちらにとっても定期的に確認が必要なことだと思います。
教育にとって信頼というのは非常に重要です。本気で介入しなかった教職員や、生徒たちへアプローチし続けることを諦め、ラベルを貼って生徒たちを評価しているような評論家的姿勢からの脱却が求められると思います。
“行き過ぎた校則”なくす 生徒指導の手引き12年ぶりに改訂
柴山 翔太福岡女子商業高等学校 校長
今回改訂された生徒指導提要には
生徒指導とは、児童生徒が、社会の中で自分らしく生きることができる存在へと、 自発的・主体的に成長や発達する過程を支える教育活動のことである。なお、生徒指導上の課題に対応するために、必要に応じて指導や援助を行う。
と定義されております。
しかし、学校の中で使われる生徒指導という言葉は自発性や主体性を育てる態度ではなく、べき論が蔓延っている印象です。
学校だけではなくメタ認知を促すことは会社や家庭の中でも簡単なことではありませんが「何のために」を常に意識し、べき論ではなくIメッセージ(私はこう思うよ)で伝えることが重要だと考えています。
また、生徒指導ではなく生徒支援というような言葉を用いることも意識の変容に繋がると考えています。
「探求」の指導 高校教員の5割が「生徒の質問に答える時間や人脈ない」
柴山 翔太福岡女子商業高等学校 校長
割とシンプルな話かと思っていて、生徒たちと同じ土俵で学ぶことができるかが鍵になるのではないでしょうか。
答えのある問いを先に予習して生徒たちに教える教育から共に考えを深める伴奏者としての役割への変化だと思います。
先生方に必要なのは一歩踏み出す勇気と失敗を恐れないマインドセットかと思います。
確かに社会的な物事に関心を向けてこなかった先生方にとってはハードルが高く感じられるかもしれませんが、ただフォーカスされてこなかっただけで生徒の将来を意識して働くにはこれまでも職務上必要な知識やスキルであったと思います。
元々その姿勢や知識が身についていた方よりもわからない、できないから学ぶプロセスを見せながら共に学ぶことのほうが生徒たちへの教育効果は高いのではないでしょうか。
今求められる学びは学生だけに必要なものではありません。人生の折り返し地点に辿り着いていない先生方が多数の学校現場でも今後の社会変化に対応できるスキルは必須だと思います。正解を教えるのではなく学び方を身につける。
管理職の役割も成果ではなく向き合う姿勢などを認め、先生方を伴奏するスキルがより重要だと思っています。

NORMAL
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