ホーム
87フォロー
8フォロワー
【澤田会長】「変われない日本企業」に贈る、組織変革の極意
K NatsuKNUTOPIA 都内私大4年 西洋哲学専攻・ダンサー
-権限委譲とスピード感のバランス
-先導型判断
積み上げ型ではなく率先して先導し実績を作り上げる
モノを創り上げる過程をリーダーとして示す。
-
日本の破壊者が経団連副会長だと
ワクワクします
次の覇権は日本になるかと期待するくらい
爆発した国になるために
Outsiderが増え続けて欲しいです。
私も京大出身の教授に西洋哲学を学んでいたため
核となる哲学、判断力についての角度も
片鱗に触れられた感覚がありました。
そのため、人生観などについてより深いインタビューを熱望します!
・
それぞれの信念が現象として現実化してしまう事から
正義戦争も細分化しかねないですね。
提供するコンテンツにおいて、
人を満足させる為の狭さと相手を理解する為の広さ
与える側がどこまで提供するか、
享受する側に責任があるか企業責任か
人間に何を与えて利益を上げるのか
そう言った中核の議論になる事は無論、次世代の人間生活の価値観を作る重責だとも感じます。
アバター世界(理想)と現実
そこの差に置いてZ世代は既に
SNS通しあらゆる感情感じています。
実際科学的にパラレルワールドの証明がなされており、
そして更に環世界が独自の方向性へと
細分化してしまう前に共通項、抽象概念を
どこまでスコープを設定するのか
重大な局面にいると感じました。
結局、『どこまでが私たちは生きていると実感するのか』
と言う疑問に漂着し、動画中考えさせられました。
大企業を経営される方々の
相対する物への許容範囲とバランス感覚についての
判断力基準についてより興味が持てました!
情緒を磨く為に心がけている事
📝アウトプット優先のため、メモレベルです
バランス感覚
中田敦彦×成田悠輔 緊急対談
K NatsuKNUTOPIA 都内私大4年 西洋哲学専攻・ダンサー
自分もアウトサイダーでありながら
組織の中で同様の葛藤を経験したので、
中田さんの苦しさや、もがき続けながら自己表現をし続ける姿に今後闇の部分として
どう社会において作用されるのか興味があり、
観に来ました🪄
アウトサイダーが革命者に変換される時は
一種の情的な危機感や不快感がなければ
あまり大きな出力作用は無いと感じます。
外国人人材の流入により定住した外国籍の
政治家が出てくるなどです。
横ばい力が養われたという側面では世界で1番早くから
同じ結果や現状を出し続けると言った快適指数の高い
社会を創り出す事に成功しているのでは?と感じました。
というのも、実体験としてコロナ禍での家族のハワイ旅行であまりにも物価が高い世界線での生活は
むしろ価値相応ではない不快な生活でした。
一方日本では価値相応またはそれ以上に価値を提供するギバーとしての日本の在り方に世界的な豊かさの上昇に繋がると感じました。
コンビニでおにぎりが200円で買える、1000円である程度の種類の食品が買える、
他に不快指数を感じる瞬間はあまり無いように思えます。
生活する上で摩擦が極力無いため変革へのパッションが生まれない事にも納得です
私は変化や刺激が好むので一見この社会はつまらないように思えますが、stabilityの高さは他の国民性人口体系文化では模倣が容易ではないと
野球で言えば日本が優勝したWBC後に
WBCI(米国)自国優先のためにルールを変えた
しかし日本人は優勝、
どんなルールの中でも勝てる自分を作る
そこに美学があると感じます。
個人的には既存のルールの中で最高値を出すアート、遊びな感覚があります。その鍛え上げられた中で自己実現をし続ける人がある意味魅力的に映るのかと考えました、
闇の部分でどう新しいプラットフォームを作り上げようが
興味がない。結局彼らに向けられる目線はアウトサイダー。そしてそれを演じながらも実は一つの大きな集団の中に属している正攻法でもある。結果吸収されヒエラルキーのトップよりかは一種のコンテンツ化として存在する
中田さんへの対応にある通り同調も同類にもなろうとせず、対談中適切な距離感を保っている事が何より面白かったです😂
成田教授、多岐に渡るジャンルを網羅されながらの解説、ありがとうございました。MCの中田さんも楽しかったです。
なぜ、僕たちは動きすぎてはいけないのか
K NatsuKNUTOPIA 都内私大4年 西洋哲学専攻・ダンサー
・スキゾ的のパラノ化と、アテンションエコノミー
現代の芸能を見れば分かるが、結局王者をボトムアップ型で決めており、美しさという画一化された一種のカテゴリーが
アテンションエコノミーは各メディアの限界値だと思っていて、
表に出る大多数が’良い’と認知する(表面的には不安定さを表現するような表現方法であっても)調和の取れた対象は
私も実際、スキゾ的だったInstagramのストーリーやポストのパラノ化規律化を実感していて、
情報受信者がいいねを押すような計算を意識した投稿になっていく所になんの面白味も感じ無くなっているのは事実である。
(そもそも身近な人間の生活に興味を持てない私の問題かもしれないが)
デジタルが覆すフィジカルな美意識や生理的な本能は
社会のための人間になってしまわないのか
それとも人間自体細胞が計算で動く事から、
デジタルを従えた人間のまま在り続けられるのか
その中で希望を持ち続ける事が人間としての役割なのだろうか
合わせるというよりもリズムがあっていく謎をより知りたくなった
それもやはり快に直接的なアプローチがあるからなのか。
オンソロジーの収束をする為に上に逃げる
どの’あたたかい’コミュニティにもマンパワーの差異が存在しており、混沌とした世界も人間の社会への帰属意識と自然発生的な貢献意識が全体の調和を良かれ悪しかれ作っている。その中で不都合なら自分の直感と快適さを追い求めて、同じリズムを刻む人間に近づく事が自己防衛であり、自己の尊重こそが実は全体の和音に繋がると考えた。
SNSにみられる、ダイバーシティや個性の尊厳と表面的には歌いつつも基準に照らし合わせていて、
いいねが創り出す“良さ“と反対に位置する乱雑で無愛想だが人間臭い汚さは本当に無視しづけられるのだろうか
綺麗な世界で生きる人々の目にはどんな景色が見えているのだろうか
そこまで思考が発展してしまった
・理想的な連続と切断
日本は比較的騒音が小さい国だがそれでも物質から発するエネルギー量のうるささは考慮する必要を感じた
実際に騒音が健康被害をもたらす研究がなされており、
アナログな時代の静けさを自分でコントロール出来る人が
幸せなのではないかと感じる
結局のところどう生きるべきかは自分が1番知っていて
複雑な話を複雑と受け取るか、
それはある程度のカルマが存在すると思う。
NORMAL
投稿したコメント