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「若者の読書離れ」はウソ、しつこいレッテルの裏に“一部の大人”の勝手な失望?
泉 香愛国際バカロレア初等教育コンサルタント 幼児教育・小学校教育
「大人が読ませたい本」と聞くと、「課題図書」が頭に浮かびます。
読みたい本ではなく、読まなければいけない本を読め、それが読書だ、と言われても辛いのは当たり前。
とは言え、世の大人達が揃って嘆いているのが、「読解力の低下」。だから「ちゃんとした」本を読んで文脈を読み取る訓練を・・・となるのでしょうか。
本を読むことは読解力の確実な向上につながるのでしょうか?というか、「ちゃんとした」本でないと読解力はつかないのでしょうか?
読み手の観点が変われば書き手の観点も変わる。そうやって文学や随筆などは変化してきたはずです。「大人が眉をひそめるような内容」の本が出版されるということは、新たなる文学カルチャーがそこに生まれている証拠で、今後の文学界の多様化につながるチャンス・・!とはいかないのでしょうかね。
大人も若者も、理解できる情報が短いものになってきているということは言われています。それはやはり、世の中の流れの加速化や情報の増量によって、求められる力がじっくりとした読解よりも処理の速さに移行してきているからかもしれません。
実社会に求められている力と、知的な人間として理想とされる姿のギャップが、浮き彫りになってきているのだと感じます。
【超ヒット本】「ケーキの切れない非行少年」が教える、能力主義の欠点
泉 香愛国際バカロレア初等教育コンサルタント 幼児教育・小学校教育
勉強でも、スポーツでも、何においても、できないよりはできたほうがいいと誰もが感じるはず。「できなくてもいいんだよ」と言う言葉は、実現に向けての行動がその人の自己肯定につながらない場合に言うべきであると私も強く思います。
「できなくてもいい」の代わりに、「まちがえてもいい」を入れたらいいんじゃないでしょうか。「2桁の掛け算、まちがえてもいい」「英会話、まちがえてもいい」「仕事、まちがえてもいい」・・・
まちがえることを認めてもらえれば、まちがいを繰り返すことができる。そうすればそこにまちがいの原因が見えてきます。それが支援につながります。支援を受ければできることが増える。そしたら、頑張れる。
まちがえることを認め、まちがえたらやり直せる社会でないと。
正解主義の教育、AI時代に通じず 「良い失敗」革新生む
泉 香愛国際バカロレア初等教育コンサルタント 幼児教育・小学校教育
正解を出すということと、正解主義であるということは違います。前者は失敗を繰り返しながらも最適な解を導こうとすることです。その行為そのものが学問であり、その基盤を作るのが教育の本質です。一方、正解主義はあらかじめある答えに効率良く辿り着くことであり、この訓練が国民に一定の知識とスキルを与え戦後の復興と高度経済成長を支えたことは間違いありません。
正解を求めること自体はこれからの時代にも必要な姿勢です。ただ、複数の正解が急激に増加してきているのが現状で、正解主義から脱却しなければ訓練は化石化し、皆が漫然と疲弊するだけなのだと考えます。疲弊した状態に失敗はダメージでしかありません。
訓練性の強いカリキュラムから、教育の本質を涵養するようなカリキュラムに移行していかなければいけないという危機感は、もう30年ほど蔓延しています。学校教育にあらゆる期待を詰め込むことはやめ、特色ある団体や研究所などで教育を分担するシステムを公的に認可することが必要だと思います。
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