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【開沼博】3・11から5年、福島に残る5つの課題
開沼 博東京大学大学院准教授/東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員
以下の部分は講演等では話してきましたがこの記事ではじめて文章化した議論です。遠い先のことに思えるかもしれませんがいまから構えておかないと半永久的に解決できません。ではいまから何ができるのか。あるいは、例えば同じように放射性廃棄物を持つ中国やロシアはどう社会的合意形成をし、それらとは違った政治体制を持つ日本ではどう違った社会的合意形成を目指すべきなのかなど様々な考える余地がある話と思っています。
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福島の復興が遅れている、だから復興を進めるというならば、「社会的合意形成」を進めていかなければならない。これは、文系的な問題です。理系的な技術論としては片が付いていることも増えてきた中で、私たちの社会がどう議論し決断するかが求められる。
自然科学・工学的な専門家・技術者に任せられる話以上に、社会科学的な対応が、私たち自身に求められてくる。「社会的合意形成」がこれからの長期的な福島を取り巻く課題となっていきます。
被ばく量「国内外で差はない」 福島高生、英学術誌に論文
開沼 博東京大学大学院准教授/東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員
専門家内では常識になりつつありますが、まだ認識進んでいない話です。
福島と海外の複数地点で同時期、同機材使って放射線を計って、ほとんど差がない、むしろ福島のほうが被曝量少ないということがわかったという事例です。
特筆すべきことは高校生が科学者向けのガチの専門誌の査読に通る論文を書いたこと。もちろん、記事にもある通り大人がサポートしてるんですが、実際の調査執筆は高校生が分担して担当しています。
「子どもたちを守れ」と言いながら、非科学的な言説を繰り返して政治的に利用する勢力もいまだにいますが、こうやってグローバルに通用する人材を育てる動きも出てきているのは重要な成果だと思っています。
教育旅行の昨年度来県宿泊者 3万8878人増の25万1850人
開沼 博東京大学大学院准教授/東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員
藤沢烈さんもコメントしてますが、徐々に教育旅行が回復しているのは具体的に復興が目に見えて現れつつあるいい傾向です。
「風評被害」と一言でいいますが、各種統計データを根拠にするならば、ざっくりいえば、いまだに被害が出ている分野は「一次産業+観光業」とみていいです。
さらに、観光業の中でも集中して具体的な被害が残る分野は二つ。
外国人観光客と教育旅行。
外国人観光客は、例えば韓国から福島に来た観光客は震災前が4万人ほどだったのが、震災後は3千人台で推移してます。これだけインバウンドと皆言っている中で大損害です。
教育旅行はこの記事の通りです。ただし、「子どもがみんな来ない」わけではありません。例えば、映画「フラガール」で有名な「スパリゾートハワイアンズ」は2013年時点の入場者数が震災前の入場者数を超えています。つまり、震災後に客が増えています。不断の経営努力もありますが、ある面では震災後にメディア露出が急増して知名度が上がって「追い風」が吹いた部分がありました。教育旅行ではなく個人的な旅行ではもはや風評云々ではない水準になっている。
にも関わらず教育旅行が伸びないのは、学校等教育の場における保護者間の合意形成が必要だということでしょう。大方の保護者が「福島に行くのOK」でも1割でも2割でも強硬に拒絶する人がいれば学校は無理強いできない。「じゃあ他のとこにするか」と「ことなかれ」で震災前行っていた福島に行かなくなる。(実際、そういうエピソードは多くあります。言うまでもなく、空間線量、水や飲食物の線量管理も厳密になされており異常値は一切でていません)
外国人観光客は官民一体となった情報発信をさらに強化すべき話。
他方、教育旅行のほうは私たちの理解不足の問題。「不安を持つ人もいるよね」と「理解したふり」をしている限り、せっかくのいい傾向もいずれ頭打ちになりかねません。「理解したふり」で終わらせず、科学的知見の共有と合意形成への努力を続けるなかで本当の理解に到達することが大切です。
宅配業者は「過重労働の矛盾」に直面している
開沼 博東京大学大学院准教授/東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員
これは濱野さんも言ってるとおり、「昼間に家に誰かはいる旧来型家族モデル」を前提として発達してきた日本の宅配業のシステムをどう変えるかという問題によるところが多いでしょう。
多拠点居住生活を続けていると、何度も不在票入れて電話がかけてくれて、こちらが「盗られたら責任持つから家の前置いてください」とどれだけ言っても「決まりでできません」という業者の方がいて、結局送付元に戻ってしまい誰も得しない結果になることが多発してます。
これまでの長い経緯の中で、ほとんどの世帯に専業主婦なり高齢者なりが昼間にほぼ常駐してる、という前提で確実な受け渡しが担保される仕組みになっている。
これまでも今後もますます単身世帯や核家族共働き世帯が増え続けるわけで、その時に宅配ボックスやコンビニ受け取りも一つの手段だけど、両者とも使えないような世帯が使える方法を模索しないと根本の問題は解決しないのではないでしょうか。
JR東日本の次なる観光列車は旅するアートカフェ「現美新幹線」
開沼 博東京大学大学院准教授/東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員
越後妻有トリエンナーレ以来、いまや猫も杓子も状態になりつつある地域アートプロジェクトの先進地となった新潟での新しい動き。電車自体を媒体にしてしまうとはそうきたか、と感心します。
かつて地域性、個別性で覆われていた日本の地方部に、良くも悪くも地域性、個別性を壊してミニ東京を作っていった田中角栄的なるもの。これが消え去ったのち、今度は逆に地方部に個別性を再構築しようとする動きが生まれつつある。すぐに具体的な利益につながるようなものではないでしょうが、しかし政治的正統性、経済的合理性だけでは先行きが見えない社会に、文化的なノイズを入れていくことは将来ボディブロー的に効いてくる。どんなものになるのか楽しみです
<原発事故>福島の11歳以下セシウム不検出
開沼 博東京大学大学院准教授/東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員
この記事の新規性は「乳幼児専用」のホールボディカウンターでの検査だということです。
2011年以前に開発されてきたWBCは乳幼児の小さな身体に十分に対応しておらず、3・11後新たに国内で開発されたものです。
「福島の子どもたちが、3・11後、特異な被曝をしているのでは?だって、子どもって体小さいから正確に測れないんだろ?」という議論に対して「特異どころか、そもそも、機械で測れる限り厳密に測っても(原発事故で出たセシウムを)機械が検知することすらできないレベルだ」というデータを示したという記事です。
これまでも、福島県内広域での2万人ほどの検査、三春町での全町規模の検査など行われてきましたが、いずれも機械で測れるレベルに達していない「検出限界値」を超える人が1%未満。しかも、それは山菜・キノコやイノシシ・シカなどを常食するような特別な食習慣をもつ(主に中山間地域で暮らす高齢者)層であることがわかっています。
福島県内では米の全量全袋検査はじめ徹底した線量管理をしていることもこの結果の一因ですが、そもそもの話として、国内の食品流通網が発達し、食料自給率4割きるかどうかという状況の中で、「福島にいたら特異な内部被曝をする」ということを議論すること自体不毛です。(その点、崩壊間際の旧ソ連の中にあり自給自足中心の生活をしていたチェルノブイリの住民の状況と重ねあわせて考えるのも全く的外れです。)
この調査をしている研究者たちはそんなこと承知のうえでもありますが、あえてこのような調査をしなければならなかったのは、あまりにも「福島の子どもたちが、3・11後、特異な被曝をしている」という無根拠な、あるいはエセ科学論者からのデマが跋扈し、時にはマスメディアもそれを垂れ流すことに加担してきた故です。
いまでも定期的にマスメディア(の部署異動してきたばかりの記者の方など4年半の議論をフォローアップしていない人が悪気なく)がデマを普通に流すこともありますが、以前よりもだいぶ落ち着いてきました。
内部被曝については全年齢層で(「ただちに」ではなく)「今後もずっと健康に影響がでるレベルのものではない」という点「勝負あった」といえます
検証 内閣改造(上)幻の「進次郎氏入閣」
開沼 博東京大学大学院准教授/東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員
拙著を献本したら、届いて数日のタイミングで「読みました」とご感想頂いて驚いたことがあります。テーマが福島復興のことだったのでご関心に重なったのかとは思いますが、だとしても数多いる「福島扱ってる、通ってる」と名乗る学者、ジャーナリストよりよほど大量の本を読み、様々な立場の人の話を聞いてらっしゃるんではないかと思わされました。
メディアがついてこなくても、自分の選挙区でもないのに細かく地域を回っていて、言葉は常に本質をついている。
他のテーマを扱っても恐らく同じように向き合う方なんではないでしょうか。今後何に取り組んでいかれるのか
パワーポイント使用を禁止する会社が増えている理由
開沼 博東京大学大学院准教授/東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員
人文系、社会科学系の学問だとまだ学会などで「文字だけの原稿を配り、それをそのまま読み上げる」文化が根強いところもあります。
配るんなら黙読したほうがはやいし、「図解して構造示して、説明箇条書きすれば一瞬で終わる話をなんでそんなに回りくどくいうのか」と思うところもあるわけですが、「回りくどければ回りくどいほどなんかすごいことしてる感」あるところに胡座をかいている人がいるのも事実でしょう。あとそのジャンルで権威ある人がパワポ使える世代ではなかったりするというのも。新しいことを学習しなくても立場脅かされないという背景があったりもする。
これはパワポの普及の良し悪し以前の話ですが、根本にあるのは、ある情報伝達形式に依存しすぎると伝わるはずのものも伝えられなくなるということ。
NORMAL
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