便利な世界で失われる自由
こんばんは。NewsPicks編集部インターンの土居です🌷
前回は、高田さんが「語らせる」コンテンツの魅力を語ってくれました。
わかりやすい情報で溢れている現代。
逆に「想像力を働かせてコンテンツを理解すること」が、贅沢な体験になっているのかもしれません。
私も、「わかりやすさ」は生活を楽にしてくれる反面、わたしたちから何かを奪っているのではないか?と思うことがあります。
今回は、そんな「便利さ」の代償についてお話しさせてください🌻
すぐに「正解」が手に入る時代
ネットは簡単に「正解」を教えてくれます。
例えば、旅行に行くとき✈️
どこに行って、何を食べて、どんな景色を見るべきか。
現地に行かなくても、検索さえすればすぐにわかります。
ネットはたくさんの情報で溢れていますが、私たちの画面に出てくるのは、たくさんの人から支持を受けたものだけ。
そんなネットが叩き出す「正解」は、たいてい間違いありません。
考えなくても、文字を入力するだけで正解を教えてくれる。
すごく楽で、便利で、無駄がないですよね。
「正解」に縛られる
なので、私たちはよくネットから出てくる「正解」に沿って行動します。
インスタで話題のカフェは当分混んでいるし、「買うべき!」と拡散されたものはすぐに入手困難になります。
多くの人が同じ情報を見て、同じ行動をする。
「流行」と説明してしまえばそれまでですが、私はなんだかすごく、人間の均質化を感じます。
本来、「美味しい」とか「楽しい」とか「美しい」に正解なんてあるのでしょうか。
多くの人にとっての「正解」は、本当に自分にとってもそうなのでしょうか。
正直、それはもうわかりません。
「正解」がこんなにわかりやすい世界で、それに囚われずに生きることは、とても難しいからです。
ネットの出す「正解」はいつの間にか自分にとっても正解になっていました。
何をやっても自由なはずなのに、つい「正解」に沿ってみんなと同じことをしてしまう。
なんだかとっても不自由で、むず痒くて、悔しい。。。
むしろ昔の方が多様…?
インターネットの登場やグローバル化によって、私たちは多様な価値観に触れられるようになりました。
しかしそれと同時に、価値観がぶつかり合う機会も増え、メジャーな価値観のみが「正解」として生き残ったような気がします。
正直私は、インターネットもなく、グローバル化もしてない昔の方が、人間の価値観は多く存在していたんじゃないか?と思います。
例えば、日本の「美人」の定義。
江戸時代までの日本では「細い目」が好まれていましたが、文明開花以降、西洋の価値観が輸入されると、「大きな瞳」が美人の条件となりました。
他にも、「お歯黒」や「白塗り」など、それまであった日本の「美」の価値観は、近代化によって消えていきました。
このような、消えていった価値観は「不正解」なのでしょうか。
これから先、私たちの生活はもっと便利になって、「正解」の精度はさらに高くなるでしょう。
それと同時に、「正解」に選ばれなかったたくさんの価値観が消えていくのかもしれません。
その中に、人類が失うべきでない、大切な価値観が含まれていることもあると思います。
人類史上かつてないスピードで進化している今、得るものだけでなく、失うものにも目を向けていたいなと思います。
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