はじめは見向きもされなかったートレジャーデータ創業前夜

2021年11月13日
全体に公開

トレジャーデータの太田一樹です。

先週11月4日に、ソフトバンク等から2億3,400万ドル(約265億2700万円)の資金調達を実施したことを発表しました。詳細は当社リリース(米国トレジャーデータ社/トレジャーデータ株式会社、ソフトバンク等から2億3400万ドルを調達し「Beyond Marketing」のビジョン実現と成長をさらに加速)をご覧いただければと思いますが、当社が提供しているCDP(Custmer Data Platform)の事業領域単独では過去最大規模の調達となりました。改めて、このNewsPicksTopicsの場でも今回の調達についてお伝えできますことを非常に嬉しく、光栄に思っています。

Nasdaq @ New York Times Squareにて、創業者3人(太田・古橋・芳川)で撮影 (2021年11月)

私たちトレジャーデータは現在、「Beyond Marketing」というビジョンを掲げています。マーケティングを越えたビジネスのあらゆる領域でCDPが活用されることで、企業と顧客の関係性を更に高めることに貢献します。皆様のご期待に応えるべく、成長のスピードを加速させてまいります。

今回のトピックでは、原点、初心に立ち返って、トレジャーデータの創業前夜のことを綴ってみたいと思います。

「クラウドにデータを預けるなんて、データを捨ててしまうことに等しい」

私が共同創業者の芳川裕誠に、「ともにスタートアップをやってみないか」と打診されたのは2010年12月。一時帰国した芳川と日本橋で食事をしていた時に遡ります。当時芳川はシリコンバレーに駐在していました。コミュニケーションは電話。そこから毎日数時間、社名からビジネスプランなどあらゆることに関して、私たちは東京とシリコンバレーをつないで会話していました。

2011年は、15回は太平洋を渡ったと記憶しています。事業構想の説明資料とまだ見ぬプロダクトのデモムービーをこしらえて、投資家へプレゼンテーションをするためです。

しかし初期のピッチは全滅しました。全く手応えがない。当時はAWS(Amazon Web Service)が世に出はじめた時期で、クラウドの概念も、まだ社会一般に理解されている時代ではありませんでした。一方で、オープンソースのフレームワークが開発・実装され、「ビッグデータ」という言葉が使われはじめた、そんな時代です。

「クラウドにデータを預けるなんて、データを捨ててしまうことに等しい」。

今も私が覚えている投資家からの一言です。それに従うと、今私たちはほとんどのデータを捨ててしまっていることになりますね。しかし当時はそんな空気が多勢だったということは間違いありません。

“Hadoop on the Cloud” (?)

私たちは何度断られてもピッチの機会を求め、また断られては内容を練り、そしてまたピッチに挑みました。紹介ベースでレストランオーナーにもピッチしましたし(資金を持っていそうであればとにかくピッチしていました)、日本に帰国した成田空港で、芳川から「明後日話を聞いてくれる投資家がいるから、戻ってきてほしい」と言われて、そのままサンフランシスコ行きの飛行機に乗ったこともありました。不思議と苦ではなかったし、高揚感とともに、楽しいという感情もありました。

「Hadoop on the Cloud」、一言でいうとこれが原点のコンセプトで、見向きもされず断られ続けたビジネスモデルです。当時、膨大化してきたデータを捌き分析するには、非常に高価なハードウェアを購入し、セットアップし、データを入れていく。既存システムとの相互運用性などを考慮する必要もあり、特殊なスキルセットを持った技術者が必要で、時間がかかります。分析を始めるのに18ヶ月を要するというのが当たり前くらいの時代でした。

Hadoopをクラウドにホストすることで、企業毎に用意していた人員が不要になり、導入する時間も劇的に早まり、コストも圧倒的に下がる。私たちはそこに確信を持っていました。

オープンソーステクノロジーへの信頼と芳川との出会い

ではなぜそこに確信があったのか。私たちはオープンソーステクノロジーを信頼していたからです。また別のトピックスにて改めてお話できればと思いますが、私は高校生の頃からオープンソースの活動に取り組んでいました。Hadoopと出会ったのは、大学在学中に参画したプリファードインフラストラクチャーでCTOをしていたときのこと。まだ未成熟だったこの技術に将来性を感じ、記事や書籍を執筆し、ユーザー会を立ち上げ、コミュニティ活動を行っていました。

"Hadoop徹底入門"の出版 (2011年1月)

私が芳川と出会ったのはその過程で、Hadoopコミュニティとして初めて開催した「Hadoop Conference Japan 2009」です。私は主催者側として、芳川はゲストとして。

彼はHadoopの商用パッケージを提供するClouderaの日本進出を念頭に、その創業者であるクリストフ・ビスリシアとともに来日し、基調講演を行う手はずを整えてくれました。クリストフとはそれをきっかけに今も交流があります。当時Clouderaは急速な成長曲線を描き始めようとしている段階で、その後私がシリコンバレーで起業しようと考える、あるきっかけを与えてくれた人物でもあります。

芳川自身、Red HatでLinuxの商用パッケージを日本展開するところからキャリアをスタートしていて、オープンソースの技術とそのコミュニティ、エンジニアについて深い理解がありました。出会ったときの私は23歳。Hadoopコミュニティの中でもかなり若い方でしたから、面白いやつだなと思ったのかもしれません。その後、芳川とは日本で初めて、正式な形でHadoopのトレーニングをともに開催したり、夏の休暇を利用して彼の自宅に泊まり込んだりして、交流を深めていきました。

一度、2010年の夏頃に彼の自宅のベランダで「起業してみない?」と誘ってもらったことがあったそうです。「そうです」というのも、実は私は全く覚えておらず。芳川は確かに話したと言い張るのですが、全く記憶にないんですよね…

とはいえ、7つほど年の差もある私を現在に至るまで信頼してくれていることに、本当に感謝しています。

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そうした中、全く手応えがなかった投資家へのアプローチに潮目が変わるタイミングが訪れます。2011年3月11日でした。次回はその時のことについてお話できればと思います。

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