京アニ事件の死刑判決を解説する

2024年1月25日
全体に公開

2024年1月25日、京都地方裁判所は京都アニメーション放火殺人事件の被告人に対して死刑判決を宣告しました。

この裁判では①被告人の責任能力と②量刑が争われていました。この事件を出来る限り中立的な視点から解説したいと思います。

責任能力はどのように判断されるのか?

責任能力とは、善悪を理解し、それに従って行動を制御する能力をいいます。

刑法39条1項により、責任能力がない状態(心神喪失)であれば無罪になります。また、刑法39条2項により、責任能力が限定されている状態(心神耗弱)であれば必ず刑を減軽しなければなりません。そのため、心神喪失・心神耗弱の場合には極刑である死刑を選択することはできません

なぜこのような規定があるのかということについては、「【解説】なぜ人を殺しても責任能力がないと無罪になるのか」をご参照ください。ごく簡単に説明すると、知らないうちに犯罪をしてしまった場合や犯罪を自分で止めることができなかった場合には処罰をしないというのが刑罰に関する基本的な考え方だからであり、このような法制度は全世界的にとられています。

そして、精神障害の圧倒的な影響によって罪を犯したもので元々の人格に基づいて犯したとは評価できない場合には心神喪失(無罪)となり、精神障害の影響を著しく受けているがなお元々の人格に基づく判断によって罪を犯したといえる部分も残っていると評価できる場合には心神耗弱(刑の減軽)となります。反対に、精神障害の影響があったとしても著しいものではなく、元々の人格に基づく判断によって犯したと評価することが出来る場合には完全責任能力として刑は減軽されません。

精神障害の犯罪への影響が重要であり、単に精神疾患に罹患しているだけでは心神喪失にはなりません。精神疾患にもその病状には波がありますので、精神が安定しているときに精神疾患の影響なく罪を犯せば完全責任能力になります。  

具体的に、 責任能力の有無を判定する際には次の7つの着眼点に沿って判断をすることになります。

①動機の了解可能性(動機自体が病気抜きに理解可能かという要素)

②犯行の計画性・衝動性

③行為の意味や違法性の認識

④精神障害による免責可能性の認識

⑤元来の人格に対する犯行の異質性・親和性

⑥犯行の一貫性・合目的性

⑦犯行後の自己防御・危険回避的行動

なお、罪から免れるために病気を装う「詐病」は現実的に不可能と言われています。精神鑑定はかなり手厚い作業でかなり過去まで遡って様々な資料が収集されますし、実際に心神喪失になるようなケースでは通常繕えないような精神障害の徴候が事前にある程度出ていることが多く、詐病がすぐ判明してしまうからです。

心神喪失で無罪となった場合、野放しにされるわけではなく、医療観察法によって強制的に入院させられ、これは症状が改善されるまで続くので長期間入院させられるという現状があります。心神耗弱で有期・無期懲役となった場合、(医療)刑務所のなかで処遇を受けることになります。

Unsplashのengin akyurtが撮影した写真     

京アニ事件における検察官・弁護人の主張

京アニ事件の被告人については、検察官が完全責任能力(有罪)を主張し、弁護人は心神喪失(無罪)を主張しました。

検察官が立脚したのは、捜査段階で被告人の精神鑑定をした医師です。この医師は、被告人が妄想性パーソナリティ障害を有していたと診断しています。パーソナリティ障害(人格障害)とは、病気ではなく性格の偏りです。妄想性パーソナリティ障害の人は、他者が自分を搾取したり、欺いたり、害を与えたりしようと計画しているのではないかと疑い、侮辱、軽蔑、脅しがないか常に警戒している傾向があります。

そして、今回の事件の本質は「筋違いの恨みによる復讐」であり、「京アニ大賞に応募した渾身の力作を落選とされた」「小説のアイデアまで京アニや同社アニメーターに盗用された」と一方的に思い込むという、被告人の自己愛的(自分が大切)で他責的(人のせいにしやすい)などの性格から京アニに責任転嫁した結果起こした事件だと主張しました。

そのうえで、被告人は「放火殺人は重大事件とわかっており、良心の呵責があった」と供述しており善悪の区別がついていたこと、「何度もやろう、やめようと行ったり来たりのラリーを繰り返した」と犯行をためらっており思いとどまる能力もあったことから、責任能力はあったとしております。

アイデアの盗用やアニメーターが自分に恋愛感情を抱いているという妄想はいずれも現実の出来事に基づいており、これが落選という受け入れがたい現実を機に「闇の組織のNo.2」妄想へと妄想の意味合いが変化しただけで、このような妄想によって犯行が駆り立てられたわけではなく犯行への影響は限定的であったとしました。

これに対し、弁護人が立脚したのは、起訴後に裁判所の依頼に基づき被告人を精神鑑定した医師です。この医師は、被告人が重度の妄想性障害を有していたと診断しています。妄想性障害とは、性格の偏りではなく脳の神経伝達物質の異状による病気です。妄想性障害の人は、誤った強い思い込みを有しています。妄想以外の統合失調症の症状(例えば、幻覚、支離滅裂な発言や行動)がないため、統合失調症とは区別されます。

そして、被告人の訂正不能の妄想によって動機が形成され、妄想の世界の中での体験・怒りこそが善悪の区別及び制御する能力を失わせた事件だと主張しました。

そのうえで、被告人の中で妄想と現実の区別が全くついておらず、殺人や放火が悪いことだと分かっていたとしても、妄想の世界の中ではそれをやらなくてはいけないと思い込んでしまっており、思いとどまる能力はなかったとしました。

被告人は事件直後に警察官に対して「お前ら全部知ってるんだろ」「お前らパクリまくってるんだろ」と発言しているところ、これは周囲の人間に全て把握され翻弄され続けているにもかかわらず誰にも分かってもらえず追い詰められていったからであり、たとえよからぬことであっても全部終わらせるためには放火するしかないと考えたとしました。

また、弁護人は、検察官が立脚した医師の精神鑑定が「闇の組織のNo.2」に関する妄想について被告人から聞き出せていなかったため、前提とすべき重要な情報が抜け落ちており、信頼できないと主張しました。

なお、責任能力の判断は事案毎に病気の影響が異なるため千差万別ではあるものの、参考までに過去の妄想性障害に関する死刑求刑事案では、完全責任能力を認めた事例(最判平成27年5月25日、広島高判平成28年9月13日)と、心神耗弱を認めた事例(大阪高判令和2年1月27日)の両方が存在します。

UnsplashのDerek Finchが撮影した写真     

責任能力について裁判所が下した判断

この事件では、裁判所が中立・公平に責任能力について判断をすべく、被害感情や反省に関する立証といった量刑に関する審理を行う前に中間論告・中間弁論が行われ、裁判所も中間評議を行いました。要するに、死刑か無期懲役かという立証を行う前に、罪の重さとは無関係であるべき有罪か無罪という判断を先に行ったということです。

そのうえで、まず裁判所は、検察官が依拠した医師は「闇の組織のNo.2」に関する妄想という重大な前提事情が考慮されていないため判断過程に問題があると指摘し、裁判所の依頼に基づき鑑定した医師の鑑定結果に基づいて被告人が妄想性障害に罹患していたことを認めました

そのうえで、裁判所は、妄想性障害による妄想は犯行動機の形成に影響しているものの、放火殺人という方法選択についてはほとんど影響が認められず、被告人自らの意思で選択したと認定しました。加えて、犯行直前の逡巡や、合理的に犯行準備等の行動をしていることからすれば、被告人の犯行を思いとどまる能力は、妄想性障害が動機形成に影響していた点等において多少低下していた疑いは残るものの、著しく低下していなかった、つまり心神耗弱や心神喪失の状態にはなかったと判断しました。

UnsplashのTingey Injury Law Firmが撮影した写真     

死刑か無期懲役か

有罪であることが確定したとすれば次に決めるべきことは刑の重さ(量刑)であり、本件では検察官は死刑を求刑し、弁護人は死刑に反対しました

死刑が相当かについては、いわゆる永山判決で挙げられた以下の要素を考慮すべきとされています。

犯行の罪質、動機、態様ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない。
永山判決(最判昭和58年7月8日刑集37巻6号609頁)

このような事情のうち、統計的に見ると、最も大きな要素は被害者の数とされており、3名以上が死亡した事案では79%が死刑となっています。

人が亡くなる事件は自動車事故や同意殺人など幅広く、一人殺したという要素はそれだけで直ちに死刑と処すべき事情とは考えられていません。一方、生命は最も重要なものである以上、それがどれだけ失われたかということは量刑を決めるうえでも重要であると考えられています。

一方、死亡被害者3名以上の事件で無期懲役が宣告された17人(21%)について、そのうちの7人は心神耗弱が認められた結果、無期懲役刑が宣告されています。

UnsplashのTamara Goreが撮影した写真     

量刑について裁判所の下した判断

前提として、裁判官は「その良心に従ひ独立して職権を行ひ、この憲法と法律にのみ拘束される」ということが憲法76条3項に定められていますが、ここでいう「良心」は一般的な裁判官としての良心を言うため、個人の思想信条で「法律」に定められている死刑を拒否することはできません

裁判員についても、死刑は絶対反対だという立場の人や、1人でも殺した以上は絶対に死刑にすべきだという立場の人は、現行の刑事裁判制度と相容れないため、「不公平な裁判をするおそれがある」として不適格とされています。

そのため、裁判官も裁判員も、自身の死刑制度への賛否にかかわらず、法律に則って判断しなければなりません。

本日、裁判所は、亡くなった人数が36人という結果は「余りにも重大で悲惨」としました。そして、妄想性障害による妄想等斟酌すべき被告人にとって有利な事情を考慮してもなお、極刑をもって臨むほかないと判断しました。

UnsplashのTingey Injury Law Firmが撮影した写真     

さいごに

本件の被告人は秋葉原無差別殺傷事件に共感しており、それが犯行方法の選択にも影響したと認定されています。不幸が繰り返されているのです。

被告人自身、服役や治療を経た後、トラブルを起こして処方薬の服用をやめ、社会的に孤立した生活を送っていました。法務省の研究によれば、無差別殺傷事件に関しては「社会的孤立」が犯人の閉塞感・不満感の要因になっているといいます。

二度とこのような悲惨な事件を生まないためにも、社会全体でできることを考えていかなければならないと思います。

プロフィール

西 愛礼(にし よしゆき)、弁護士・元裁判官

プレサンス元社長冤罪事件、スナック喧嘩犯人誤認事件などの冤罪事件の弁護を担当し、無罪判決を獲得。日本刑法学会、法と心理学会に所属し、刑事法学や心理学を踏まえた冤罪研究を行うとともに、冤罪救済団体イノセンス・プロジェクト・ジャパンの運営に従事。X(Twitter)等で刑事裁判や冤罪に関する情報を発信している(アカウントはこちら)。

今回の記事の参考文献

参考文献:司法研修所(編)「難解な法律概念と裁判員裁判」(法曹会、2009年)「裁判員裁判における量刑評議の在り方について」(法曹会、2012年)、岡田幸之「責任能力判断の構造と着眼点ー8ステップと7つの着眼点ー」精神経誌(2013年)、世界精神保健調査(WMHS: World Mental Health Survey、2016年)。なお、記事タイトルの写真についてGetty Imagesの Carl court の写真。

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