冤罪の構図ー冤罪事件のメカニズム

2024年4月27日
全体に公開

冤罪はどのようにして生まれているのでしょうか。

冤罪発生のメカニズムを解析することは、冤罪の発生を防ぐことにつながるはずです。

そこで、これまでの冤罪事件を横断的に分析した結果をもとに、冤罪事件に共通する原因とメカニズムを解説したいと思います。

①誤った見立ての定立

捜査は事件が発生した後に行われるものです。この時点では誰がどのようにして犯罪を行ったのかが明らかではないため、どのような証拠を集めればよいのか、集めた証拠にどのような意味があるのかということが不明確な場合があります。その場に存在した証拠は集めやすい一方で、あるべき痕跡がなかったという不存在の証拠は目に見えず見落とされやすいと言えるでしょう。

このように、そもそも認知能力や証拠収集技術の限界から、どんなに捜査をしたとしても見落とされる証拠はありますし、過去の事実に関して知りえない情報と調べきれない情報が存在します

事後的に収集した限られた証拠をもとに過去の犯罪事実を再構成することはそもそも困難であり、再構成しきれない不確定な事実が多分に残ることになります(事件の不確定性)。

特に、特定の人物が犯人ではないという消極的事実の証明は困難であり、悪魔の証明でもあります。

また、客観的証拠だけでなく、人証といって目撃証言や共犯者証言も証拠に含まれます。これらの証拠は見間違えや記憶違いのおそれがあり、常に正確であるとは限りません。

証拠の採取・精製過程にはヒューマンエラーが入り込む危険性があります(参照:人はなぜ間違えるのかーヒューマンエラーの危険性)。例えば、鑑定資料の汚染や取り違え、見間違いや記憶違いもヒューマンエラーの一種です。  

これらの限られた情報をもとに犯人を特定するにあたっては、その時点で存在する証拠から犯人について見立てを立てなければならず、情報量の限界誤った証拠によってその見立てを間違えてしまうこともあり得ます。

加えて、捜査官がこれまで経験した事件に基づくヒューリスティックスや、偏見等に基づいて印象的な判断に陥る危険もあります(参照:人はなぜ間違えるのかー誰もが陥る印象的判断の心理学偏見と差別のメカニズム)。

これらの結果、誤った見立てが定立されます。

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②誤った見立てに基づく誤った証拠評価と、誤った見立ての増強

人間は確証バイアスによって、自身の仮説に合致する情報を積極的に認知してしまいます(参照:人はなぜ間違えるのかー「確証バイアス」による偏ったインプット)。捜査官は確証バイアスの影響により、得られた証拠や情報の中でも自らの誤った見立てを裏付けるものばかりを重視してしまうおそれがあります。この確証バイアスに囚われた捜査のパターンとして、捜査機関の見立てに沿った情報の妥当性については検証が甘く、その価値を重視する一方で、見立てに沿わない情報については厳しく検証し、その価値を過小評価してしまうというものがあります。

加えて、人間には基本的な認知や考えを一貫させようとする認知的一貫性という特性があります(参照:人はなぜ間違えるのかー結論ありきの判断の謎と「心証の雪崩現象」)。これにより、見立てが有力な仮説として存在する場合、証拠や情報がそれに沿う形で評価されてしまうおそれがあります。

更に、人間は自身の見立てと矛盾する情報や証拠に直面した場合に、その不快感を低減しようと動機づけられる認知的不協和という特性があります。捜査の誤りを認めて引き返すことが難しい状況等においては、既存の見立てに拘泥して、それと矛盾する証拠や情報について都合よく解釈したり、完全に無視してしまうおそれがあります(参照:人はなぜ間違えるのかー間違いを認めない心理のメカニズム)。

このような心理作用の結果、捜査官は誤った見立てに固執してしまい、過度に視野が競作し、情報や証拠を不当にゆがめてしまうトンネル・ビジョンという状態に陥ってしまいます。これらの結果、誤った見立てに基づいて誤った証拠評価が行われ、その見立てが増強されてしまうのです。

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③更なる誤った証拠の収集と消極証拠の収集不足による誤った証拠関係の形成

確証バイアスに囚われた捜査のパターンとして、捜査機関の見立てに沿った証拠や情報を集める黒の捜査のみが行われ、見立てと矛盾する証拠や情報を集める白の捜査が行われなくなってしまうことがあります。また、 捜査機関の見立てに沿う証拠を一定程度収集した時点で検証を中止してしまうという危険もあります(選択的中止)。

このバイアスの影響は一人の捜査官にとどまらず、別のフェイズの捜査官にも影響を及ぼしてしまうことがあります(バイアスのカスケード効果)。例えば、警察官の犯人の見立てが鑑定人に伝わってしまっている場合、鑑定人はそのようなバイアスのかかった状態で鑑定を行うことになってしまいます。

また、バイアスが互いに影響しあうことによって雪だるまのように膨れ上がってしまうことがあります(バイアスの雪だるま効果)。警察の見立てを聞いてバイアスのかかった状態で行われた鑑定が間違ってしまった場合、その鑑定結果を聞いた別の鑑定人も同様に間違ってしまうおそれがあるということです。

過去の冤罪事件では、捜査官による自白強要や証拠の捏造、隠滅、改ざん等も問題視されています。これは、見立てに沿った有罪の証拠がなかなか見つからなかったり、見立てと矛盾する無罪の証拠が出てきた場合に、認知的不協和や正義感、功名心、プレッシャー等によってその矛盾をなんとか解消してしまおうとする動機が生まれ、捜査官にとっては証拠にアクセスできるという機会があり、真犯人という悪を罰するためには多少の不正もやむを得ないと正当化してしまい、動機・機会・正当化の不正のトライアングルが揃ってしまうことによって不正行為が生じると説明することができます(参照:人はなぜ間違えるのかー捏造や改竄を生む”不正のトライアングル”)。

このように、誤った見立てに基づいて捜査が行われると、それに沿う誤った証拠が収集されることがあります。これは、本来は事実認定が証拠によって行われるべきところ、事実認定に基づいて証拠が収集されてしまっていることに問題があります(証拠裁判主義の逆転現象)。1つの誤った証拠や情報、見立てが捜査のダイナミズムによって増加され、更なる誤った証拠や情報、見立てを生んでしまうことはエラーのエスカレーションと呼ばれています。実際に、日本の戦後に判明した代表的な冤罪事件42件を調べてみたところ、冤罪の原因となった証拠(自白、共犯者供述、目撃証言、科学的証拠)が複数ある事件は33件(78.5%)であり、冤罪事件1件当たり2.14個の人を誤らせる証拠が含まれていたことになります。

これらの結果、捜査段階で形成された誤った見立てと証拠は、人を誤らせるたくさんの情報を含む一連の証拠関係を形成しています(誤導証拠関係)。例えば、誤った目撃証言に基づいて自白強要が行われ虚偽自白が生まれていた場合、自白と目撃証言という有罪を裏付ける強力な証拠が存在します。それだけでなく、例えば自白や目撃証言は取調べの問答の中で形成されますから、既に収集されている客観的証拠についても見立てと整合する形で言及される結果、自白や目撃証言を補強する傷や指紋といった別の証拠もまた存在することになります。    

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④捜査機関内における誤りの検出・指摘・訂正の失敗

そもそも、捜査において見立ての定立は必要不可欠であり、これがきちんと検証され、誤っていることが検出・指摘・訂正されていれば冤罪は防ぐことができます。

しかし、捜査官個人のトンネル・ビジョンによる誤った見立てへの固執のほか、捜査機関という組織の特性がこれを阻んでしまうおそれがあります(参照:人はなぜ間違えるのかー組織の意思決定に潜むリスク)。

組織においては固有の組織風土が生まれます。このような集団規範は、時に社会常識と乖離することがあり、内部の構成員がそれに順応してしまう結果、極端な組織目的の追求や組織防衛が行われてしまうおそれがあります。また、組織における分業化階層化の結果、組織内のコミュニケーションに齟齬が生じることがあります。

集団意思決定のリスクとして、同調が生じたり、反対意見が妨げられてしまうおそれもあります。

これらの結果、誤りが増強されてしまったり、誤りの検出・指摘・訂正に失敗してしまったりするのです。

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⑤刑事裁判への誤った証拠関係の承継

捜査機関を一度誤らせた事件記録が、起訴によって刑事裁判に引き継がれることになります。

無罪方向の証拠は十分に収集されず、弁護人から提出されなければ証拠関係の大半が有罪を示す情報になってしまいます。

その結果、公判において有罪方向の証拠が多量かつ表面で幅を利かせて存在するという有罪証拠の誇張化現象と、無罪方向の証拠は少量でひっそり隠れてしまうという無罪証拠の縮小化現象が生じてしまいます。

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⑥弁護活動の不奏功

弁護人が冤罪を証明できれば誤判には至りません。しかし、冤罪弁護は簡単ではありません。

まず、弁護士もトンネル・ビジョンや確証バイアスに囚われてしまうことがあり得ます。捜査機関を一度誤らせたたくさんの有罪証拠を目にして、弁護士も被疑者・被告人が真犯人だと誤解していまい、十分な弁護活動が行われないかもしれないということです。無罪判決は得られなくとも、せめて刑だけは軽くしてあげたいという被疑者・被告人の情状にかこつけてしまい、十分な無罪の主張・立証が行われなかった冤罪事件も過去に存在しています。

また、弁護人が無罪の主張・立証を尽くしたとしても無罪判決に至らない場合もあります。この場合には誤判の問題であり裁判所の責任でもあるのですが、そもそも弁護士は裁判所・検察官と違い民間人であり、強制捜査は行えず証拠収集能力等において限界があります。加えて、弁護士は裁判官・検察官と視点や情報が異なるため、裁判官の心証を把握することが難しいということもあります。これは知識を得ることによって知識がない時の状態が分からなくなるという知識の呪縛や、他人もみんな自分と同じように考えるであろうと信じてしまう合意性バイアスによっても説明することができるでしょう。

このようにして、弁護活動が奏功せず、雪冤できなくなってしまうおそれがあります。

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⑦誤判冤罪の発生

たくさんの有罪証拠の中から裁判官が無実を見抜くことも同じく簡単ではありません。

日本の裁判は当事者主義といって、検察官と弁護人の当事者双方の視点から主張・立証を尽くさせることによって真実を明らかにし、裁判所は自ら真実を明らかにするのではなく当事者の主張立証に基づいて審理することによって判決を下します。この当事者主義によって裁判所は中立的な立場から判断することができますが、一方で、当事者が主張しない事実は裁判に顕出されず、裁判に死角が生まれてしまいます。

また、裁判官も予断・偏見やバイアス等の心理作用によってトンネル・ビジョンに陥ってしまうおそれがあります。これまで、たくさんの間接的な事実を並べて特段の説明なくそれらを総合すると被告人が犯人だと認められるという直感的・印象的判断に基づく認定手法や、証拠が薄い部分について推論や事件のストーリーだけで補ってしまうような認定手法、無罪の疑いを抽象的可能性と捉えて切り捨てる一方で有罪を基礎づける事実を「否定できない」「可能性がないとはいえない」などと捉えて排斥しない認定手法が問題視されてきました。また、心象の雪崩現象といって、1つの有力証拠がある場合に他の争点についてもその有力証拠と同じ方向の心証を形成してしまうことがあります。この心象の雪崩現象は認知的一貫性によって説明することができるでしょう。

刑事裁判には「疑わしきは被告人の利益に」という鉄則があります。そのため、検察官が立証責任を負い、裁判官が証拠調べを尽くしても事実の存否が不明の場合には被告人の利益になるように扱わなければならず、被告人が犯人であることについて合理的な疑いを入れない程度の確信を得ることができない場合には無罪判決を宣告しなければなりません。この鉄則が正しく適用されないと誤判冤罪が生まれてしまいます。例えば、裁判官が「証拠は薄いがこの被告人が犯人の可能性が高く、有罪にしなければ犯罪者を野放しにしてしまうかもしれない」などと治安維持を図る思考に陥ってしまうと、この鉄則が適用されず誤判冤罪が生まれてしまいます。

これらの結果、裁判所が無実を見抜けないことによって誤判冤罪が生まれてしまいます。

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誤りの連鎖と冤罪

以上より、私は、刑事事件一般に共通しうる冤罪の原因とメカニズムである「冤罪の構図」を描くとすれば、次のようなものだと考えています。

①捜査機関が誤った見立てを定立する

②捜査機関が誤った見立てに沿って証拠を評価することで誤った見立てが増強されていく

③捜査機関が誤った見立てに基づいてさらに誤った証拠を収集したり、不正行為が行われる一方、消極証拠の収集がおろそかになったり歪められたりする結果、誤導証拠関係が形成される

④捜査機関内部において組織的・心理的要因が相まって誤りが検証・指摘・訂正されない

⑤公判においても誤導証拠関係が継承され、刑事裁判に顕出される

⑥冤罪立証が困難であるうえ、弁護活動の限界や各種心理作用によって防御が不十分になり、奏功しない

⑦裁判の死角が存在する中、心理的要因や審理不十分等によって裁判所が誤判に陥る

すなわち、冤罪は何か一つの誤りによって生まれるものではありません。

人間の認知的限界や心理作用、構造的な問題によって、1つの誤りが別の誤りを引き起こし、複数の誤りが連続的・複合的に連鎖し、誤りが強化されることによって生ずるのです。

冤罪はより複雑で大きく膨れ上がった誤りだからこそ、雪冤のためにはたくさんの人たちの努力が必要になります。

誰もが誤りの連鎖に巻き込まれたり、その誤りを是正できなかったりすることがあり得ます。そのため、冤罪を他人事とせず、過去の冤罪事件から学び、みんなで冤罪防止・救済のために尽力しなけれればならないと考えています。

プロフィール

西 愛礼(にし よしゆき)、弁護士・元裁判官

プレサンス元社長冤罪事件、スナック喧嘩犯人誤認事件などの冤罪事件の弁護を担当し、無罪判決を獲得。日本刑法学会、法と心理学会に所属し、刑事法学や心理学を踏まえた冤罪研究を行うとともに、冤罪救済団体イノセンス・プロジェクト・ジャパンの運営に従事。X(Twitter)等で刑事裁判や冤罪に関する情報を発信している (アカウントはこちら)。

今回の記事の参考文献

参考文献:西愛礼「冤罪学」、ダン・サイモン「その証言、本当ですか」、浜田寿美男「自白の研究」・「供述分析」(藤田正博編「法と心理学」)、笹倉加奈「冤罪とバイアス」、青木英五郎「誤判にいたる病ーー自由心象の病理について」、渡部保夫「無罪の発見ーー証拠の分析と判断基準」、門野博「刑事裁判は生きているーー刑事事実認定の現在地」、木谷明「刑事裁判の心ーー事実認定適正化の方策」、藤田正博「バイアスとは何か」、芳賀繁「ヒューマンエラーの理論と対策」、角山剛「組織行動の心理学」、池上知子・遠藤由美「グラフィック社会心理学」、Mark Godsey. Blind Injustice。なお、記事タイトルの写真についてはGetty ImagesのYoustの写真。

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