「呪いの季節」に備えよう!:なぜ私たちは呪ってしまうのか?

2024年3月30日
全体に公開

春です。「呪いの季節」がやってきました。

新しい環境、新しい仲間…期待に胸を膨らます人の影には、それが叶わなかった人たちの怨念が付きまとっています。「新しいコミュニティにようこそ!」という祝福は、呪詛(じゅそ:呪いの言葉)と紙一重でもあります。新たな出会いが増える分、他人に対する戸惑いや嫉妬、不公平感、憎悪一歩手前のモヤモヤ――つまり「呪いの心」が発動する機会も増えます。そんな不安な季節が、春です。

これまでのトピックスでは、現代社会の生きづらさを「呪い」という比喩で説明してきました。今回は、比喩というよりガチの呪い(呪術)の話をしたいと思います。人を呪うこと・呪われることには、人類が生きてゆく上でどんな意味があるのでしょうか?「なぜヒトはヒトを呪うのか?」を知り、「呪いの季節」の備えとしておきましょう。

GettyImages/Westend61

みんな、呪いながら生きている

私たちの社会では、呪い・呪術は、映画やアニメをはじめとするフィクションの世界の出来事であるかのように語られます。果たしてそうでしょうか?

ネットで「呪い代行」と検索すると、その業者の数の多いこと!授業で「人を呪ったり、呪いたいと思ったことがありますか?」と聞くと、7~8割が「ある」と答えます。

ちまたでフィクションとして呪いが語られる一方で、こんなにもシリアスに悩んでいる人たちがいることに愕然とします。実際に呪ったりその効果を信じたりすることは珍しいのかもしれませんが、「呪いの心」は、人類のほとんどが持つ感情のようです。この感情こそが、さまざまな呪いのもとであり、どれだけ文明が発展しようとも、世界中で呪い・呪術が必要とされ続けている理由です。

「呪いの心」はどこから来るのか?

そもそも、呪い(呪術)とは何でしょうか?

何らかの目的のために超自然的な存在の助けを借りて種々の現象を起こさせようとする行為それに関連する信仰・観念の体系」
『文化人類学事典』の「呪術」の項目(※1)

呪術というと一般に相手を傷つける「悪い」イメージです。が、この説明から想像されるように、呪術は「良い」(とされる)目的のためにもなされます。つまり「祈り」ですね。しかし、「良い」祈りも、見方を変えるとネガティブな呪いの色を帯びてくるから不思議です。

限られた機会や財産をめぐる競争に満ちた私たちの社会では、「大学に合格しますように」という祈りは、「誰かが不合格になりますように」という呪いですし、「お金持ちになれますように」という祈りは、「代わりに誰かが困窮しますように」という呪いにも聞こえます。純粋素朴なはず祈りは、一皮めくれば他人の不幸を願う呪い…驚くほど、この世は呪術であふれています

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アイツを呪いたい!という「呪いの心」は、とても個人的な感情のように思われます。ではこの「個人的な感情」はどこから来るのでしょうか?

私たちが抱える苦しみや悩みは、世間が考える「ふつう」や「常識」、つまり社会とのかかわりのなかで生まれることが多いです。社会が発する「こういうのが幸せだよね!」のスタイルからは程遠い自分の人生、それに近いアイツの人生…なぜ?理不尽!呪ってやる!…私たちの感情の一部をつくるのは社会、「呪いの心」をつくるのもまた、社会です。

呪術の機能:秩序の維持と心の管理

人類学が研究対象としてきた呪術が存在する社会では、様々な不幸が「呪術のせいだ!」と語られます。これは人々が誤った因果関係によって物事を捉えているというわけでもありません(※2)。機能の面に目を向けると、呪術は「社会の秩序を維持する」という性質を備えていることがわかります。

呪術(妖術※3)の機能:人々の「反社会的な衝動(感情・行動)」を抑制する (1)「人を呪う者」(=呪術師)の怒りを買って「呪われる」ことを避ける
 (2)「呪術師」として世間に疑われることを避ける
エヴァンズ=プリチャード(2001)『アザンデ人の世界:妖術・託宣・呪術』向井元子訳、みすず書房。

(1)「人を呪う者」(=呪術師)がいる社会では、「呪われるかもしれない」という恐怖や不安は、「非道徳的と思われるふるまい」の抑制力となります。(2)呪術師は、その存在が明らかになると「呪術師は去れ!」と社会から排斥されます。呪術師として告発されるのはたいてい、世間から「嫌な奴」と思われている人物です。だからこそ、人々は「呪術師ではないか」というあらぬ疑いを持たれないよう、ふだんから嫉妬や妬みの心を制限しなければならないという自制心を持ちます。呪術は、自分が呪ったり呪われたりすることを避ける、つまり「感情をコントロールし、よい行動をしよう」という道徳心に働きかけ、行為を制限するものでもあったのです(※4)。

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この世に「よりによってなぜ私」がある限り

呪術といえば、「非科学的なもの」の代名詞です。が、残念ながら、私たちが日々直面する不幸、理不尽、不条理に対して、科学が説明してくれるのはほんの一部にすぎません。科学は、ある程度の不幸の確率やパターンは教えてくれるのかもしれません。が、「なぜよりによってこのタイミングで、ほかの誰でもないこのわたしに」不幸が起こったのかという究極的な原因について、私たちは「不運」「偶然」という言葉以上の説明を持ちません。それ以上の説明を試みてきたのが呪術です。呪い(呪術)は、どうしようもない理不尽やそれに伴うやりきれない感情にどうにか対処しようとしてきた人類の弱さの歴史であり、知恵でもあります

GettyImages/Tara Moore

呪術師になる前に:「呪いの心」を見つめ直す

社会がつくってきた「呪いの心」。人間社会に生きる限り、この心は消えません。どこにでもいる「嫌なアイツ」をコントロールし、自分に降りかかる理不尽に対処しようとしてきた呪術は、「非科学的」と切り捨てるにはもったいないように思います。なんとなくのイメージから「非科学」のラベルを張るのは、それこそ「非科学的」な態度です。むしろ、科学が発展すればするほど、それで解決できない問題に対する恐怖や不安は増大します。ネットをひらけばわかるように、「呪いの心」も、科学的合理性とともに発展してしまうのです

では、どうしたら?……やっぱり呪っちゃう?もしかしたらここで「効果的な呪い」を教えてほしいと思っている方がいるかもしれません…が、すみません。

「人を呪わば穴二つ」という言葉がある通り、呪術の歴史が教えてくれるのは、「人を呪う者(呪術師)」もまた、排除されてきたという事実です。

人類は、人を呪うことも、呪われることも避けようとしてきました。呪術は、その効果も重視してきましたが、それ以上に、誰しもが持つ「呪いの心」と向き合うための術でもありました。

Getty Images/Vagengeym_Elena

「呪いの心」は社会がつくり、万人が持っている、理不尽な人間社会にあっては大変「合理的」で「不変的」なものです。

あなたの「呪いの心」はどこから・誰から来ていますか?アイツを「呪われうる者」にしてしまったのはいったい何でしょう?アイツ自身の問題?わたしの問題?それとも、社会?

…このように考えて自身の「呪いの心」を肯定してしまうと、不思議にも、ささくれ立った心がちょっとだけ凪ぐような気がする…のはわたしだけでしょうか。これは、「呪術」の持つ意外なポジティブ効果かもしれません。

では、あなたを狙う呪術師だけでなく、あなたの心に眠る呪術師にも、どうかお気をつけて!

トピ画:GettyImages/PhotoAlto/Michele Constantini による

※1 石川栄吉ほか(編)「呪術」『文化人類学事典』pp.354-355、弘文堂、1994年。

※2 むしろ人々は物事が生じる因果関係――物理的法則や原理――をよく知っていて、既存の因果で説明しきれない部分、私たちが「不運」や「偶然」などと呼ぶ現象を、呪術や妖術として説明することも多いです

※3 同書では「妖術」という語が使われていますが、ここでは呪術で統一します。

※4 宗教も社会秩序維持の機能を持ちますが、どちらかというと信仰心というより恐怖や不安をもって人々を制しようとするのが呪術や妖術でしょうか。

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