世界トップレベル研究所の初代トップを悩ませたもの
分野融合で深遠な謎に挑む
その研究所では毎日午後3時になると、メンバーが中央のホールに集まる。
国籍も研究分野もさまざまな研究者たちが、クッキーやお茶、コーヒーを手に、会話を楽しみ、交流を深める。
勤務体系の自由なこの研究所で、ティータイムへの参加は唯一、全員に課せられた「義務」だ(現在は感染対策のため行われていない模様)。
何台も置かれた黒板に数式を書き連ねながら、研究談義が始まることも。ここでの議論をきっかけに、数々の重要な研究が生まれた。
千葉県柏市にあるこの研究所の名は、東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構(カブリIPMU)。
宇宙はどうやって始まったのか。私たちはなぜ、存在するのか。宇宙はこれからどうなるのか──。
人類が抱き続けてきた根源的で深遠な謎の解明に、数学、物理学、天文学の研究者が協力して挑む、分野融合型の研究所だ。
「世界から目に見える研究拠点」の形成を目指す文部科学省のプログラム「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)の1拠点として、2007年に発足した。
日本で唯一のカブリ冠研究所
ちなみに、名に「カブリ」とあるのは、2013年に米国のカブリ財団から大きな寄付を受けているからだ。
ノルウェー系アメリカ人の実業家、フレッド・カブリ氏(2013年に死去)が設立したカブリ財団は、基礎科学の支援を行っており、世界には20カ所のカブリ冠研究所がある。カブリIPMUは日本で唯一の冠研究所だ。
カブリIPMUの初代機構長を務めたのが、前回の記事にも登場した村山斉さんだ。
2018年に大栗博司・現機構長にバトンタッチするまでの11年間で、カブリIPMUは国際的にも注目される、まさにトップレベルの研究機関に成長した。
その裏には、従来の国立大学の常識を打ち破る、さまざまなシステム改革があった。
その一つが、研究者の採用プロセスだ。教授陣が同じ機会に応募者を質問攻めにする従来の面接方式ではなく、数日から1週間ほどかけ、主要メンバーが1対1でじっくり面接しながら見極めるという、海外の大学で普及している方式をとった。
給与体系も国際標準に改善し、海外のトップレベルの研究者を引き抜けるようにした。
改革を阻んだ「反対」
機構長を退いたばかりの村山さんに取材し、その道のりを聞いたことがあるが、驚きの連続だった。インタビュー中、思わず「本当ですか?」と口にしたことが何度あっただろう。
例えば、冒頭のティータイム。
研究者同士の化学反応を起こすための必須の仕掛けとして、研究所の構想時から企画書に盛り込んでいたにもかかわらず、大学の事務方から当初、「国民の税金を飲み食いに使うのはとんでもない」と猛反対にあったという。
カブリ財団から寄付の申し出があったときも、なぜか文部科学省をはじめ関係各所が反対し、受け入れの調整に1年ほどかかった。
カブリ冠研究所になることは、研究機関にとって一流と認められた証でもあり、多額の寄付金だけではない価値がある。申し出に対し待ったがかかるなど、海外ではあり得ないという。財団側もさぞ驚いたに違いない。
限りなく曖昧な意思決定プロセス
村山さんはこう語った。
米国の大学には日本の教授会に相当する組織はなく、学科長など責任ある立場の人が自己の判断で決定します。つまり、何か新しいことを始めたいとき、この人を説得すれば実現するという誰かが存在します。
一方、日本ではさまざまな部署の人に同じ話をして、誰もはっきり駄目だと言わなかった時に初めて組織として「やってもいいか」という雰囲気になります。
時間はかかりましたが、少しずつ突破していきました。
こうした悪しき前例主義や、意思決定プロセスの曖昧さは、大学や省庁に限らず、日本の多くの組織に共通する課題だと思う。
米カリフォルニア大学バークレー校の教授でもあり、「国際標準」を知っている村山さんだからこそ、明確なビジョンを持ち、諦めずに改革を成し遂げられたのだろう。
インタビューの場では語れない苦労もたくさんあったに違いない。
科学ファンの私としては、「現代の素粒子物理学をリードする科学者の労力と時間を、そんなところで費やさせるなんて…」と怒りにも似た気持ちを抱かずにはいられなかった。
さまざまな抵抗や反対を乗り越えて進められたカブリIPMUの改革だが、その多くは意義が認められ、その後、文部科学省の大学改革プランに盛り込まれるなど、他の大学にも普及しつつあるという。
村山さんの粘り強い努力が、カブリIPMUを超えて広がっていったのだとすれば、少し救われる気もする。
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