いつ書くべきか、それが問題だ

2022年3月12日
全体に公開

「できれば10年後くらいに書いてほしかった」

2014年に起きたSTAP細胞という研究不正についてのノンフィクション『捏造の科学者』(文藝春秋)を上梓して間もない頃、ある人にこう言われたのを覚えている。

不正の舞台となった理化学研究所の研究者で、内部調査に関わった人だった。

その言葉には二つの意味が込められていたと思う。

一つは、当事者や周囲の人々の受けたダメージがある程度、癒えてからにしてほしかったということ。もう一つは、時間が経つことで、事件の構造や背景についてより深い考察ができたのではないのか、ということだ。

かけがえのない一人の科学者の命が失われ、たくさんの人が傷ついた事件だった。その人の気持ちは痛いほど理解できたので、私はあえて自分の意見を言わなかった。

でも、それから7年経った今、改めて考えてみても、やはりジャーナリストとしてはあの時に書く機会を得られてよかったと思うし、あの時でなければ書けなかったとも思う。

報道は「歴史のデッサン」

取材は生ものだ。人の記憶は簡単に薄れてしまうので、時間が経てば経つほど、正確な証言を集めるのは難しくなる。細かい事実も取りこぼされてしまう。

考察や分析を主目的とした本なら10年後でも良いかもしれない。でも、そういう本を書くとしても、リアルタイムで事件を報じた当時の記事や、発表資料なくしては、ことの経緯を追うことは難しいだろう。

ワシントンDCにかつてあったニュースとジャーナリズムの博物館「ニュージアム」(財政難のため2019年の年末に閉館)を2017年に訪れた時、こんな言葉が壁に刻まれていた。

Journalism is the first rough draft of history. (ジャーナリズムは歴史の最初の草稿である)

米国の日刊紙、ワシントン・ポストの発行者だったフィリップ・グラハム氏の言葉だ。私も新聞記者時代、先輩記者によく似た言葉を教わった。曰く、「新聞報道は歴史のデッサンを描くことだ」と。

フィリップ・グラハム氏(1915〜1963年)(写真:Public domain)

今起きていることやその意味を正確に捉えるのは、そう簡単ではない。間違えてしまうこともあるから、正直に言えば、書くのが怖いと感じることもある。

それでもジャーナリストの基本的な役割は、出来る限り迅速かつ正確に、デッサンを描き続けることなのだと思う。

研究成果はいつ報じる?

ただしここで、「科学の新しい研究成果の報じ方」というテーマに絞って考えると、一つの課題が浮かぶ。

新しい研究成果はどのタイミングで報じるのが良いのか、という問題だ。

STAP論文の時は、新聞各社が論文発表当日に1面で報じ、テレビでも大きく取り上げられたが、結果的に論文は虚構であることが明らかになった。当時、事件を教訓に、論文を報道するタイミングをもっと遅くしてもいいのではないか、という声も上がったと記憶している。

果たして論文発表というタイミングは「早過ぎる」のだろうか?

現実的に考えるとなかなかに難しい問題だ。通常、研究成果はインパクトが大きいものであるほど、論文発表と同じタイミングで報じられるからだ。

もちろんこの時、記者はインパクトの大きさや成果の意義、研究の”確からしさ”も取材した上で記事を書く。でも、STAPの時のように、論文を載せた一流科学誌や同じ分野の研究者すらすぐには見抜けないような研究不正を、論文発表までの数日間の取材で見抜くのはほとんど不可能だ。

もし、あるメディアが「論文の評価が見極められるまで待ってから報じよう」と決めたとしても、他のメディアが報じて社会の注目が高まれば、結局「後追い」記事を書かざるを得ないだろう。

──というわけで、この問題はそれほど議論が盛り上がることもなく、研究成果の報じられる一般的なタイミングが変わることもなかった(ただし、研究不正に対する警戒心は、個々の科学記者やメディアの中で幾分、高まったかもしれない)。

コロナ下で増えた「予備的なデータ」の報道

そして実はこの2年ほど、研究成果が報じられるタイミングはさらに早まりつつある。正式な論文発表がまだなされていない、予備的(preliminary)なデータが紹介されるケースが増えているのだ。

お気づきの方も多いと思うが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック発生以降、国内外のメディアで、COVID-19の症状や新しい治療法、ワクチンの効果や副反応などに関する多くの情報が、論文発表前に報じられている。

どの記事もそうした情報は、「査読をまだ通っていない」とか「論文発表前の予備的な報告である」とことわり、読者の注意を促した上で書かれているのだが、その是非については、研究者の間でも意見が分かれているようだ。

私自身も何度か、予備的なデータを記事の中で紹介したことがある。迅速な対応が必要なパンデミックという状況下では、正式な論文発表を待つよりも、読者にとって判断材料となる情報をタイムリーに届けることの方が重要だと考えたからだ。

もちろん、なし崩し的にどんな情報でも書いていいとは思わない。また、後から振り返って「急ぎすぎたかも」「もう少し吟味すべきだった」と反省したこともある。

「歴史のデッサン」は、上手に描くのも大事だが、いつ描くかも同じくらい重要で難しい。

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