10兆円大学ファンド特集を終えて

2022年10月1日
全体に公開

昨日まで5日間、NewsPicksのオリジナル記事で、特集「どうなる?10兆円大学ファンド」を掲載しました。無事にゴールにたどり着けてほっとしているところです(ここだけの話、特集ってかなり体力・気力を消耗するのです)。読んでくださった皆さん、ありがとうございます。まだの方、今からでもぜひ。

記事では幅広い見解の紹介に努めましたが、ここでは少しだけ、私見を交えつつ書きたいと思います。

「世界と伍する研究大学」は何のため?

取材していてもっとも不思議だったのは、次のことでした。

10兆円大学ファンドは日本の研究力低迷を背景に提案されたアイデアのはずなのに、集中投資で数校の「世界と伍する研究大学」を作ることが、果たして日本全体の研究力回復に繋がるのか、ということはあまり議論されていない──ということです。

初日の記事でも紹介したように、発案者の1人、安宅和人・慶應大学教授は2019年の「総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)」の基本計画専門調査会でこう述べています。

「僕は国家基金を作るということをこの3、4年ずっと訴えています。大体10兆円程度あると、ほとんどの国立の研究大学は救い出すことができます」

この段階では「ほとんどの国立の研究大学」を対象としたアイデアだったことが窺えます。「研究大学」がどこからどこまでを指すかは微妙ですが、少なくとも数校でないことは確かです。

ちなみに、国立大学を3つの支援枠に分け、評価に基づいて各支援枠内で運営費交付金を傾斜配分する「3類型化」(2016年度~)では、北海道大以外の旧帝大が属する「卓越した教育研究」型に16校が分類されています。また、2017年度からの指定国立大学法人制度では、旧帝大6校を含む10校が指定されています。

「数校を支援」はいつ決まったか

その後、大学ファンドの運用益で「国際卓越研究大学」を支援する枠組みの概要は、安宅氏も参加したCSTIの「世界と伍する研究大学専門調査会」での約10カ月間の議論で固まりました。

この初回の会合では、専門調査会会長を務めたCSTI常勤議員の上山隆大氏が「第2の運営費交付金となっていろんな大学にばらまかれるようなものではなくて、世界に伍する大学を選定し、そこに対しての支援ということを考えている」と述べています。議論の開始時点で、支援対象を狭く限定する方針はほぼ固まっていたのかもしれません。

議事録や取材によれば、地域の中核大学の支援も充実させるべき、という意見はあったものの、大学ファンドの運用益をもっと幅広く分配すべき、という議論はなされませんでした。

政府やCSTIは、支援を受ける国際卓越研究大学が「世界と伍する研究大学」に成長すれば、そこがハブとなって日本全体の研究力を底上げするという青写真を描いています。でも、そうなるという保証はどこにもありません。むしろ、大学間格差がますます広がった状況では、研究環境の整った卓越研究大に一度採用された研究者は出たくなくなるのが普通でしょう。「知の循環」がそううまくいくかは疑問です。

検証なき「選択と集中」

2004年以降の運営費交付金の削減で、多くの国立大学は経営基盤が細り、教員数の計画的な削減を余儀なくされています。非常勤の教員の割合も増えました。さらには、老朽化する施設の改修もままならず、耐用年数をとっくに超えた配管が使われ続けたり、渡り廊下が突然、崩落したりといった、教員や学生の健康や安全が脅かされるような状況に追い込まれています。特集で取り上げた雇い止めの深刻な問題もあります。それらを放置して、わずか数校に、1校あたり年間数百億円を注ぎ込むというのは、かなりいびつな施策と言わざるを得ません。

「これまでの20年間で政府が進めてきた『改革』で何をやってきたかというと、旧帝大を中心とした一部の大学の差別化です。しかし日本の研究力は上がらずに、どんどん下がっていった」という、島田眞路・山梨大学長の指摘も重要です。

政府がこの20年間ほどで進めてきた科学技術政策の特徴の一つが「選択と集中」でした。大学ファンドによる支援も、「選択と集中の極み」だと指摘されています。

国際卓越研究大学の選考は、論文数など過去の実績だけではなく、応募大学がそれぞれ練り上げた改革のビジョンやプランを見て行われます。CSTIの上山氏は取材でこの点を強調し、「これは『選択と集中』ではなく、大学の多様性を作るための『選択と投資』だ」と力説しました。しかし、どんな選び方をするにせよ、限られた数校に集中投資するという点で、明らかに「選択と集中」です。もっといえば、「世界と伍する大学」になるポテンシャルのある大学を選ぶ以上、選ばれる大学の顔ぶれがあっと驚くものになるとは考えにくい。

「選択と集中」をさらに押し進めるならば、その前にまず、これまでの「選択と集中」の功罪をしっかり検証すべきなのではないでしょうか。

もう一つ不思議なのは、なぜ運営費交付金の増額が検討されないのか、ということです。

論文数の減少をはじめ様々なデータが示す研究力の低下が、国立大学法人化に伴う運営費交付金の削減に始まっていることは明らかです。2004年度からの17年間の削減総額は1625億円(-13.1%)。大学ファンドで数校に支援しようとしている額(年間2800億円)から見ればずっと少ない額です。防衛費に年間6兆円以上出している国で、決して戻すのが不可能な額とは思えません。

仮に戻したからといって、失われた研究力が瞬く間に回復するとも思いませんが、少なくとも回復のきっかけにはなるでしょう。それをした上での「選択と集中」であれば、アカデミアの期待もより膨らむと思います。

注目すべきドイツの研究力

今回の取材で逆に凄いと思ったのは、記事の最後で紹介しているドイツの研究力でした。日本が論文数や世界大学ランキングで順位を下げる中、ドイツは世界トップレベルを維持し続けています。

ドイツのGDPは日本とほぼ同規模ですが、大学研究費の総額の対GDP比はドイツの0.88%。日本の0.47%をはるかに上回っています(ちなみに日本の対GDP比は、韓国、フランス、アメリカよりも低い数字です)。ドイツは公立の大学への助成金も右肩上がりで、2008年からだと35%以上も増えています。

そもそもの国の規模が大きく異なるアメリカや中国より、これからはむしろドイツの科学技術政策を分析し、優れたところを見習うのが良いのでは、と感じるんですよね。折を見て取材してみようと思います。

(バナー写真:alexsl / Getty Images)

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