「あの人なりの偶然を、生きてきたんだもんな」【鬱地獄生還記3】

2022年12月21日
全体に公開

前回までのあらすじ

鬱からの復職後、井上は全社プレゼンで、自らの鬱体験とその学びを語った。自分の偶然性に思い至った井上は、はじめて他者の通ってきた偶然性にひらかれていくーー。

第一回 自分がみじめだって、気づかなかった【鬱地獄生還記1】

第二回 未来からの逆算で今日を生きるな【鬱地獄生還記2】

※スライドの文字は読まずとも意味が通じるようにしています

プレゼン続き:なぜ「包摂」を叫ぶほどに私たちは分離しているのか

さて、後半戦です。なぜ「包摂」を叫ぶほどに私たちは分離しているのか。僕は、冒頭「私たち」と「彼ら」を結びつける方法として、バイパスを遠そうと提案しました。

それはつまり、異質な他者に対して「私は、あなたでもありえた」そして「あなたも、私でありえた」という感覚を養っていくことです。

さて、どこまでその実感を得られたか、試してみましょう。次の写真をご覧ください。

Photo by Nathan Anderson on Unsplash

この人に対して、「私は、あなたでもありえた」と思えますか? 

まだ、たぶん難しいですよね。実はこいつはですね、僕の幼なじみです。藤原秀文(著者注:プライバシー保護のため偽名にし、写真も差し替えてあります)といいます。

彼はダウン症という「Diversability(ユーザベースでは「障害者」ではなくこう呼びます。読み上げ機能を考慮し「害」は漢字で表記します)」で、複雑な言葉を喋ることはできません。

さて、なぜお友達紹介をしたか。

それは、冒頭に掲げた定義「D&I=私たちの遠くにいる異質な彼らとともに生きること」の「彼ら」が、なぜそもそも「遠く」にいるのか、その遠さの理由を一緒に考えたかったからです。

今ユーザベースにいる人の大半は、大学を出ていると思います。でも、ダウン症を抱えて、普通高校・一般高校に通える子は極めて稀です。分岐ルートが、途中で自然と僕たちから離れていくようになっている(もちろん、これはあくまで僕たちを中心と置くと仮定した場合の景色ですが)。

ダウン症以外でも、小学生のとき、クラスに一人くらい変わった知的・精神的特性の子っていませんでしたか? 彼らの多くは、進路選択の過程で、いつのまにか、僕たちから見えなくなります。まるで社会全体に遠心力が働いているかのように、やんわりとソフトに、隔離されていくんです(このあたりは哲学者のフーコーの主張から多くを学ぶことができます)。

国連は「Diversability(世に言う障害者。読み上げ機能を考慮し「害」は漢字のままとします)」は10億人いると発表しています。でも、出会えない。

では、いなくなった彼らはどこにいるのか? 彼らは、専用の施設など、距離的にも、心理的にも隔たったところにいることが多いです。

秩序が整った社会=排除が進んだ社会

僕たちは今、歴史上最も、社会秩序が整った社会を生きています。そして、社会の秩序を整えようとするとき、つまり生活の不確実性を下げようとするとき、「ふつう」から外れた人は、遠く遠くへと追いやられてしまう。近代以前は西洋東洋問わず「異人」と呼ばれた人たちにも社会に居場所がありました。「神の教えに背いた者」としてコミュニティの教化機能を持ったり、あるいは逆に神との依代(よりしろ)とされたり、とにかく、ともに生きていた。

さて、国連が出すDiversabilityの割合は15%ですが(後期高齢者の認知症なども含む)、今、日本経済の中心地である東京・丸の内に、Diversabilityは何%いるのか? 

もちろん、「距離が近ければいい」という単純な話ではありません。でも、それを考えるのは、まずは近づいてからでいいでしょう。

あらためて、なぜ「包摂」を叫ぶほどに私たちは分離しているのか。もし「必然性の色眼鏡」(前回記事参照)をかけて世界を見れば、その理由は「自己選択」でしょう。しかし、偶然性のナラティブで世界を眺めれば、違ってきます。

偶然、「生きづらさ」を抱えてこの世に生まれて、気付いたら社会に発生する遠心力にふるい落とされていた。そんなふうにも見えてくる。ちなみに「能力主義」から生まれる遠心力に、ガシッと必死で食らいつく。これはまさに鬱前の僕の姿そのものです。

そして、多かれ少なかれ、僕たち全員が抱える社会的な課題だと思います。

本当に自分は「惨め」だったのか?

さて、少し個人的な懺悔をします。

僕は、鬱で何もできなくなって、泣きました(第一回参照)。

あまりにも「惨めだ」と。

当時の僕は「鬱になる前の自分は価値が高かったが、今の自分は価値が低い」と考えていたんですね。

だからこそ、僕は「惨めだ」と感じた。

「悲しい」と感じてもよかったはずなんです。しかし僕は「惨めだ」と感じた。

どういうことか。今だからわかりますが、僕は、知的能力で人の価値を測っていた

つまり、秀文を心のどこかで見下していたわけです。

こうやって、能力によって人を序列付けし、差別する思想をなんというか。

優生思想です。優生思想はDiversabilityを排除する、とても危険な考え方です。

「能力主義」と「優生思想」は裏でしっかり手を結んでいます

そして、みなさんおわかりにように、この社会は基本的に「能力主義」で回っています。よくよく気をつけてください。

必然性のナラティブを手放せるか?

さて、話も終盤です。僕はここまで、必然から偶然へ、と繰り返してきました。

僕はさっき、人間はつい「必然化(物語化)」してしまう生き物だと言いました。

だとしたら本当に「必然性のナラティブ」つまり「自分は、なるべくして今の自分になった」という考え方は手放さないといけないものなのか?

僕は「YES」と答えます。

ひとつはシンプルに、このプレゼンのゴールである「私は、あなたでありえた」「あなたも、私であり得た」という感覚が醸成されないから。

もし自分が「なるべくしてなった自分」だとしたらあなたも「なるべくしてなったあなた」なわけですから、「私は、あなたでありえた」なんて感覚を持てるはずがないですよね。

「強い必然論」と「弱い必然論」

もう一つ。「必然性のナラティブ」すなわち、自分の人生における偶然性への無自覚さは、次の2点につながるからです。

ひとつは、「強い必然論」です。つまり、「困っているのは、あなたの自由選択による必然的結果だ」という態度。いわゆる自己責任論というやつです。

もし「私は必然的に今の自分になった」と思って生きていたら、「他人の今のありようも必然の結果である」と思うのは当たり前ですよね。

もうひとつは「弱い必然論」。

「私は、私。あなたはあなた」という態度。つまりは相対主義です。

相対主義を必然論と呼ぶのはなぜか。それは、「誰かと偶然により関わり合い、影響しあう可能性」をはじめから放棄する態度だからです。

どちらにも言えるのは、必然論には「他者と生きる態度」がないこと。

そして当然ですが、他者不在のDiversity&Inclusionなどありえない。

自分の中の偶然性を認めるのは簡単ではない

さて、では私たちは「必然性のナラティブ」を手放し、他者と生きるために「偶然性のナラティブ」を生きることができるのか? これが、そう簡単ではありません。

なぜなら、もし自分の人生を「偶然の産物」だと認めると、アイデンティティの土台が揺らいでしまうから。つまりは「かけがえのない私」だと思えなくなるから。

もう一歩踏み込んで言えば、頑張って生きてきた自分の人生すべてが、否定されたように感じてしまうからです。

さて、問いがだんだんクリアになってきました。

どうすれば「自分の人生は偶然の産物である」という意識を保ったまま、自分の人生を肯定できるのか?

なぜこの問いが大事か。それは、自分の人生の偶然性を肯定できたとき、はじめて他人の中の偶然性も肯定できるからです。

「あの人なりの偶然性をくぐって、生きてきたんだもんな」

ここ、大事なので一回立ち止まりましょう。

たとえば考え方や価値観の異質さが対立を生んだとします。そのとき、「自分も、相手も偶然性を生きている」というナラティブで世界を見られれば、「あの人の考え方はわからないけど、あの人なりの偶然性(遺伝子・認知特性・環境・選択)を生きてきた結果だもんな」と思える。距離が置ける。

D&Iは綺麗事じゃありません。人は自分が異質だと認定した人を排除する本能を持っている。にもかかわらず、異質な人とともに生きるからには、対立や誤解は起こりえます。

だから、今日は抽象的なことを言っているようでいて、実はすごく具体にもつながる話にしているつもりです。

(次回、最終回!)

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