【国葬弔辞】菅前首相の文章が、なぜ心に響いたのか。岸田首相の筆を硬くした3つの壁

2022年9月28日
全体に公開

日本武道館(東京都千代田区)で9月27日にあった安倍晋三元首相の国葬で、菅義偉前首相が友人代表として読み上げた弔辞が「素晴らしかった」「涙した」と話題です。「不謹慎だけれども」と一言断りながら、葬儀委員長を務めた岸田文雄首相による弔辞と比較する声もSNSでは少なくありません。

両者の書いた文章を分けた違いは、いったい何でしょうか? 新聞記者として政治取材の経験もある筆者が、「岸田首相の筆を硬くした3つの壁」という観点で独自に読み解きます。

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岸田首相の壁① 同期のプライド

約13分半に及んだ岸田首相の弔辞の前半2分53秒ごろに、こんな一節があります。

29年前、第40回衆議院議員総選挙に、あなたと、わたくしは、初めて当選し、ともに、政治の世界へ飛び込みました。 わたくしは、同期の一人として、安全保障、外交について、さらには経済、社会保障に関しても、勉強と、研鑽に、たゆみなかったあなたの姿を、つぶさに見てまいりました。 
岸田首相の弔辞から

まず注目したのは「同期の一人として」という一言です。

安倍元首相と岸田首相の初当選は1993年7月18日。二人とも同じ10期、衆院議員を務めてきました。山口4区と広島1区と選挙区も近く、政治家として互いに意識しあう仲です。

当選回数は、国会議員で最も大事な指標の一つです。わかりやすい例が、国会中継で目にする本会議場の座席順でしょう。衆議院の公式サイトには、こんなFAQが載っています。

各会派とも当選回数が少ない議員ほど演壇から見て前のほうに座り、当選回数を重ねた議員になるほど順次後方の席に座っていくのが一般的です。
衆議院「よくある質問」

国会では、日本社会によく見られる年功序列ではなく、当選回数による「期数序列」があるのです。この点、岸田氏と安倍氏は「同格」であるとみなされます。

私は政治部の所属経験はありませんが、国政選挙での「当打ち」担当をはじめ、大阪・自民党担当や政治家・橋下徹氏の「番記者」として、国政取材もしてきました。国会議員の街頭演説から事務所、永田町の国会や議員会館にも何度も足を運びました。

そうした政治取材でいつも目の当たりにするのが、この「期数序列」です。

例えば、国政選挙での街頭演説。安倍さんや菅さんによる応援演説にも立ち会ったことがあります。期数が長くて「当選確実」とされ、さらに要職経験のある彼らが応援に駆けつけるとなると、地元で期数が短い国会議員は演説で「みなさま、応援にこうして来ていただきました!」と先輩を持ち上げ、舞台裏では目に余るほど平身低頭となります。

当選後もこの関係は続きます。1期でも違えば先輩・後輩の上下関係が色濃く関係性に反映されるのです。後輩議員が身を低くするだけでなく、先輩議員も「先輩ヅラ」の態度がほとんどです。どちらも国民の一票から選ばれ、地元を代表する国会議員としては「同じ」であるはずです。このため私は正直、いつも冷ややかに見ていました。

一方、「先輩には頭が上がらない」光景には同情もします。日本のどんな組織、社会、コミュニティでも同様で、私自身も似た言動がよくあるためです。ワシントンや東南アジアで政治や国際会議の取材をした経験に照らしても、古株の古参議員が新人議員より力を持つパワーバランスは、諸外国でも同じです。

岸田首相にとって、同期の安倍元首相との関係性に上も下もありません。同期だからこそ腹を割っての話もあるだろうし、同期だからこそ切磋琢磨し合う緊張関係さえあるのです。

総理大臣として「前々任者」である安倍元首相への弔辞には、同期としてのプライドが、にじみ出ました。それが冒頭の「同期の一人として」という一言です。

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一方、菅前首相の弔辞はどうでしょう。

読み返すとやはり、当選期数についての言及がありました。

平成12年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。 私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。 すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。 
菅前首相の弔辞から

菅さんの初当選は1996年10月20日。当選9回です。安倍さんや岸田さんより「1期、3年あまり」後輩の関係にあたります。

祖父の代から国会議員一家の世襲議員である二人とは違い、菅さんは横浜市議からの叩き上げ、という違いもあります。安倍さんは言わずと知れた元総理・岸信介の孫。「当選2回の私に(安倍さんが)『会いたい』と電話をかけてくれた」という弔辞からは、どんな印象が読み取れるでしょうか。

第二次安倍政権で官房長官を務めた菅さんとの関係性を「そばで支えた名パートナー」「名脇役」「懐刀」と捉える声が多いです。ただ、盟友関係に発展したとすれば、それはしばらく後になってからのことでしょう。

当選回数や弔辞のエピソードから、私は少し違う印象を抱きました。二人の間に流れるのは、近しい盟友の間柄ながら「先輩・後輩」もしくは「政治家としての師弟関係」です。少なくとも菅さんが安倍さんを慕い、政治家として見上げていたことことがうかがえます。

そんな菅さんが書いた弔辞からは、「雲の上にも思えた先輩議員の安倍さんがあの時、名も知らぬ私に目をかけてくれた。その御恩やご縁を一生、忘れません」ーーといったような感謝の気持ちがにじみ出ています。そんな思いがこもった文章は、人の胸に響きます。

これが、同期としてのプライドが邪魔した岸田さんの弔辞との1つ目の差です。

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岸田首相の壁② 党内派閥の隔たり

「派閥政治」という言葉をかつてほどは聞かなくなりました。ただ、特に自民党内は派閥の影響を今も強く受ける政党と言われます。

岸田さんが首相になった際、「久しぶりに宏池会出身の首相が誕生した」と報道されました。2000年代は長らく安倍さんらの清和会系の首相が続いていたためです。

自民党には様々な派閥があり、ニュースを見聞きしていても、常にウオッチしていない限りはチンプンカンプンです。ただ、戦後に大きく二つの流れがあることは有名です。

池上彰『知らないと恥をかく世界の大問題13』(角川新書)を参考に作成

軍備のあり方や社会保障をめぐって大きく隔たりのある二つの大きな派閥系が、便宜上一つにまとまっているのが現在の「自民党」というわけです。

「防衛はアメリカ頼みで、経済発展と安全保障を重視する」という流れにある宏池会トップの岸田首相と、「憲法改正をして再軍備し、安全保障は自助で」という清和会の安倍氏と、その後継者だった菅氏(無派閥)とでは、政治信条がまったく異なります。

そんな別の派閥の元首相の国葬について、反対する世論も強いなか、岸田首相が旗振りをして実施に踏み切ったのは、「政治的な狙いがある」とみる専門家がほとんどです。

米国の日本研究の第一人者であるマサチューセッツ工科大(MIT)のリチャード・サミュエルズ教授は、朝日新聞の27日付朝刊インタビューでこのように指摘しています。

岸田文雄首相は、自民党内の別なグループである安倍派を『味方につける』ために国葬の実施を推進したといえるでしょう。
朝日新聞(2022年9月27日)
https://polisci.mit.edu/people/richard-samuels

私は2016〜17年の米国留学で、サミュエルズ教授のゼミ生でした。「日本人として、戦後政治を作った吉田茂について、みんなに説明してくれるかな?」と初回講義で急に指名されて、凍りついたのは苦い思い出。吉田茂から続く派閥政治の系譜について熟知した上での今回の教授コメントです。

派閥については、大阪で自民党担当だったころの取材が印象的です。当選回数のほかに、議員の活動について裏で糸を引いていたのが、自民党市議会にあった3つの「ローカル派閥」の存在でした。

国政での派閥ほど色濃くはなく、日頃の会話にはほとんど出てきません。ただ、派閥の存在を知っているか知らないかで、水面下の動きや決定への理解の深さが違ってきました。

自民党市議会ではかつて、3派閥が同数程度の議席を持ってトライアングルの均衡を保ち、市議会の2大ポスト「市議団幹事長」と「市議長」を争ってきました。また、市議選の一つの選挙区で3人が争う時代がありました。自民党内で3候補者はライバルなので仲が良いはずもなく、裏ではいつもいがみ合って争っている構図でした。

獲得議席が減ったり、新人議員が無所属だったりして、かつてほど派閥の影響はなくなりました。ただ例えば、自民党市議団が政策の勉強会を開いたというのに、特定の議員だけ参加していないことがあり、なぜだろうと調べたら派閥別だった、ということもありました。

政治家は何回当選して「現役議員であり続ける」ことが天地を分け、支持者から集めた意見を通すには同じ仲間の「数が勝負」。そうして派閥政治は、市議会レベルまで大なり小なり浸透しているのです。

これらを踏まえて岸田さんの弔辞を改めて読むと、「宏池会トップとして、清和会の安倍元首相に対する評価やメッセージ」という側面が浮かんで見えます。

防衛庁を、独自の予算編成ができる防衛省に昇格させ、国民投票法を制定して、憲法改正に向けた、大きな橋を架けられました。
岸田首相の弔辞から
米国との関係を格段に強化し、日米の抑止力を飛躍的に強くしたうえに、年来の主張にもとづき、インド、オーストラリアとの連携を充実させて、「クアッド」の枠組みをつくりました。
岸田首相の弔辞から
あなたが敷いた土台のうえに、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓いとしてここに述べ、追悼の辞といたいます。
岸田首相の弔辞から

岸田首相の言葉が、菅元首相の弔辞よりも「かしこまった印象」なのは、本人の人柄や葬儀委員長としての立場だけではないでしょう。党内派閥の隔たり。国葬の弔辞を通して、宏池会から清和会へと送った“秋波”とも解釈できます。

安倍元首相の「後継者」であった菅前首相が、派閥的にも近い関係性や政治信条から、琴線に触れる言葉を残せるのとは対照的です。

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岸田首相の壁③ 抽象的なストーリー

菅前首相も岸田首相も、弔辞では時折、顔を上げながら用意した原稿を読み上げました。

菅前首相の弔辞は「菅義偉・前首相の弔辞に現場のマスコミ陣もすすり泣き」(NEWSポストセブン)と評判がおおむね良い一方、SNSでは「岸田さんの話も今日はとても良かったと思うけど、やっぱり菅さんの弔辞だね…。」「岸田の弔辞は他人でも書ける」などと対比的に語られています。

菅さんと岸田さんの弔辞を比較して差があるとすれば、友人代表か葬儀委員長かという立場の違いだけではありません。

ここまで見たように、期数の序列から来る「同期としてのプライド」に加えて、派閥の違いが、岸田さんには壁としてありました。さらに“文書術”としてみた場合、その人にしか書けない具体的なエピソードをどこまで盛り込めているか。これが2人のストーリーに差を生んでいます。

岸田首相の弔辞について冒頭を引用します。

7月8日、選挙戦が最終盤を迎える中、安倍さん、あなたは、いつもの通り、この国の歩むべき道を、聴衆の前で熱く語りかけておられた。そして、突然、それは、暴力によってさえぎられた。あってはならないことが起きてしまいました。
岸田首相の弔辞から

一方の菅前首相はこんな語り出しです。

7月の、8日でした。 信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。 あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。 その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。 あの、運命の日から、80日が経ってしまいました。
菅前首相の弔辞から

菅前首相が「本人にしか語れないエピソード」で始めたのに対して、岸田首相は「誰にでも書ける」内容です。故人への弔辞を比較するのは不謹慎というのを承知で、こと「文章術」としてみれば、この冒頭ですでに両者は差がついてしまっています。

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新聞記者として20年近いキャリアを数える私は、子供から社会人を対象に文章講座を開いてきました。ビジネス領域を除いて、「いい文章を書くコツ」を問われれば、必ず「具体的に書くこと」だと伝えています。菅前首相は具体的であるのに対して、岸田首相は抽象的。ここに大きな違いがあります。

菅前首相がその後、12分足らずの弔辞で語った原稿の「良さ」は、報道された通りです。

総理、あなたは1度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。最後には、2人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。
菅前首相の弔辞から
衆議院第一議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が1冊、ありました。 岡義武著『山県有朋』です。 ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。 そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。 しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。 総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。 かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
菅前首相の弔辞から

まさに菅さんだけが語れるエピソードで、聞き手や読み手は頭のなかで情景が浮かんだはずです。こうした「具体的な話」が岸田首相の弔辞には、ほとんどありませんでした。3つ目の壁は具体性からくる「ストーリーテリング」の差。決定的な違いとなりました。

官房長官時代に「鉄壁のガースー」とも呼ばれた菅さんは、官僚と擦り合わせた用意された「硬い原稿」を読み上げることも多く、肉声に触れる機会がありませんでした。

今回、弔問外交をした岸田首相も、インドのモディ首相らを目の前に、手元の原稿に目を落として読み上げるシーンがテレビで放映されていました。

日本の政治家が、日頃から肉声で国民に語りかけることができれば、政治離れ・政治不信も少し変わるのでは。そうも思わせる菅さんの弔辞でした。

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