冤罪で失われた命 裁判で違法とされた公安部と検察による捜査の実態(大川原化工機事件)

2023年12月27日
全体に公開

本日令和5年12月27日、冤罪事件の国家賠償請求訴訟にて原告勝訴判決が宣告され、公安部による逮捕や検察官による起訴について違法が認定されました。

この事件では無実の相嶋さんが長期勾留の末に亡くなられており、絶対に同じような事件を繰り返してはなりません

多くの人に知らせることによって再発防止を図るべく、少しでも分かりやすく解説をしようと思います。

ザル法は「チャンス」

大川原化工機株式会社は、噴霧乾燥機などの機械を作っていた会社でした。

噴霧乾燥機というのは、液体を急速に乾燥させて粉末を製造する機械で、粉ミルクやインスタントコーヒー、粉末スープなどを作ることができるものです。

本件は、大川原化工機が生物兵器に転用可能な噴霧乾燥機を外為法上の許可を受けずに輸出したという容疑で起訴された事件です。

そもそも、外為法上の規制は国際ルールがもとになっているところ、国際ルールでは次のように規制されていました。

"capable of being sterilized or disinfected in situ."

(定置した状態で滅菌又は消毒することができるもの)

ここでいう「滅菌」とは装置内の全ての生きた微生物を除去することであり、「消毒」とは装置内の潜在的な微生物の感染能力を破壊することを指していました。

しかし、国内の省令及び通達では、これが

「定置した状態で内部の滅菌又は殺菌をすることができるもの」

と誤訳されていました。つまり、講学上の定義のある「消毒」ではなく、定義の曖昧な「殺菌」という文言が使われてしまっていたのです。

これにより規制の対象が不明確となっており、経産省職員も「この省令には欠陥があるとしか言いようがない」と発言をしていました。

他方、当時の公安部の幹部は、この「法律はザル」としたうえで、法令解釈が曖昧で経産省が決めていないのであれば警察が勝手に定義づけできる「チャンス」だと発言していたそうです。

Getty Imagesの Natali_Mis の写真 

事件の捏造という闇

実際に、公安部は、特別な装置がなかったとしても噴霧乾燥機の熱風により一部の細菌を死滅させることができれば「殺菌」にあたるという独自の解釈に依拠し、手柄を挙げるために大川原化工機株式会社を摘発しようとしました(噴霧乾燥機は熱風で菌を殺すことを目的に設計されていないのですが、そういう使い方をすれば軍事転用可能だという見立てです)。

このような公安部の解釈を経産省は「支えることはできない」と消極的な姿勢を見せる一方、「協力できるところは協力したいと思っている」「ガサに入りたいというなら裁判官が令状を出すのに足りる表現をしたいと思う」などと公安部の都合に合わせて捜査に協力しようとしました。

また、公安部は専門家の聴取結果を報告書にまとめたところ、その報告書の内容は公安部の解釈に合うようにまとめられ、その聴取結果報告書を専門家の誰にも確認してもらいませんでした。中には正反対の内容が報告書にまとめられたという専門家もいたそうです。

そのような中、公安部と経産省の協議において、経産省が「ガサをするのは構わない」「別件捜査と表だって言えないが、できれば、ガサで得た情報で、他の件で立件してもらえればありがたい」と、強制捜査を容認し、この容疑を口実として余罪を探そうという別件捜索を促しました。

公安部はその後も噴霧乾燥機が中国で軍事転用されているという疑いをもって捜査を進めますが、中国にある全ての同社製品の所在を確認してもそのような事実はありませんでした。

このような捜査過程について、ある捜査官は法廷で「立件しなければいけないような客観的な事実はなかった」「立件方向になったのは捜査員の個人的な欲だと思う」「まあ、捏造ですね」と証言しています。

Getty Imagesの Klubovy の写真 

立ち止まれなかった検察官

当初、複数の検察官が公安部や経産省の解釈に疑問を感じていました。

しかし、交替した検察官は、当時の貿易規制強化の波も受けてこの捜査を後押しし、大川原社長らを逮捕します。

このころ、捜査に疑問を感じた捜査官が検察官に問題点を指摘したところ、「解釈自体が、規定がおかしいという前提であれば起訴できない」「不安になってきた。大丈夫か」「私が知らないことがあるのであれば問題だ」などと怒ったそうです(検察官本人は当該事実を否認)。

しかし、結局この検察官は大川原社長らを起訴します。

この大川原化工機の摘発によって、公安部は警察庁長官賞と警視総監賞を受賞しました。

Getty ImagesのMotortionの写真 

人質司法によって失われた無実の命

日本では、裁判で無実を主張する人ほど長い身体拘束を受けます。自分たちの身体と引き換えに、やってもいない罪を認めなければ保釈が得られないというこの実務運用については「人質司法」と呼ばれて国際的に批判されています(参考記事:日本の刑事司法の問題点「人質司法」とは何か)。

大川原化工機事件においても、大川原社長ら3名が逮捕・勾留され、無実を主張したため332日間も保釈されませんでした。

逮捕された社員の一人・相嶋静夫さんは逮捕から約半年後に重度の貧血が見つかり、胃がんが判明しました。しかし、検査や手術等の治療は一向に始まらず、弁護人は保釈を請求しましたが「証拠を隠滅するおそれがある」という理由で8度にわたり保釈は却下されてしまいました。

保釈されず、治療すら受けられない相嶋さんに対して、妻は面会で「ここで嘘をついて認めてしまったらどう?ここまできたら、もう嘘をつくしかしょうがないよ」と言いましたが、相嶋さんは信念を突き通しました。

勾留中の被告人の治療を引き受ける医療機関はなかなか見つからず、貧血の発覚後1カ月以上経ってようやく勾留が執行停止されて病院に入院しましたが、3か月後に相嶋さんは胃がんで亡くなりました

相嶋さんの妻は、メディアの取材に対し、「警察官には主人のお墓の前で謝罪してほしいし、遺族に対しても謝罪してほしい。それが人間としての道じゃないかと思うんです。」と語っています。

Getty Imagesのkieferpix の写真 

異例の公訴取消による刑事裁判の終結

大川原化工機の社員は、何度も噴霧乾燥機の性能について警察に説明しますが、なかなか理解が得られません。亡くなった相嶋さんも「機械の構造上、完全な殺菌はできない。警察の実験方法に問題がある。」と捜査官に指摘していたそうです。

すなわち、警察の実験では機械の一部についてきちんと検証されていませんでした。機械には一部熱風が行き届かない部分があり、熱風によって機械内部の全ての菌を殺すことは不可能だったのです。

結局、公安部の解釈に従って実験をしても、公安部が言うような効果は得られませんでした

これに対し、東京地検の副部長は「うがった見方をすると『意図的に、立件方向にねじ曲げた』という解釈を裁判官にされるリスクがある」「今後、上級庁に報告する」などと指摘しました。

そして、検察官は初公判4日前に公訴取消を東京地裁に申し立て、公訴棄却によって刑事裁判は終結しました。公訴棄却による終結は年に数件あるかないかという非常に数少ない異例の結末でした。

これにより、本件が規制対象ではなかったにもかかわらず規制対象として摘発してしまった冤罪事件であることが明らかになりました。

Getty ImagesのChristianChan の写真 

国家賠償請求訴訟の提起

冤罪事件で逮捕された場合、身体拘束1日につき最大1万2500円の「刑事補償」を受けることはできますが、それは全く冤罪で被った肉体的・精神的・経済的な損害を補填するのに足りません。また、公訴取消で終了した場合、無罪判決が要件となっている弁護士費用等の「費用補償」(刑訴法188条の2)を受けることはできません。

また、国側は謝罪や検証を一切していません。

大川原社長らは、「人質司法は絶対に許されてはならない。」「無実の市民を11ヶ月間拘束した背景に何があったのか、真相は公にされなければならない。」という思いから、国を訴える国家賠償請求訴訟を提起しました。

この国家賠償請求訴訟の訴訟資料については、公共訴訟プラットフォームであるCALL4というサイトで閲覧することができます(なお、東京都は訴訟資料の公開を批判しています)。

このサイトにおいては訴訟費用のクラウドファンディングも行われています。

国家賠償請求訴訟の提起後、公安部は警察庁長官賞と警視総監賞を返納したそうです。

訴訟の進行と共に、警察官の「捏造」証言やメディアの内部資料入手といったスクープにより、これまで書いたような公安部の捜査の実態が明らかになってきました。

Getty Imagesのmicrogen の写真 

逮捕・起訴に対する違法判決

そして、本日、この国家賠償請求訴訟について、東京地裁が公安部による逮捕・取調べと検察官による起訴に関して違法を認定しました(判決要旨はこちら)。

判決は、相嶋さんらの聴取結果に基づいて再度の温度測定を行っていれば、熱風によって対象となる細菌を殺菌する温度に至らないことは容易に明らかにできた以上、警視庁公安部が通常要求される捜査を遂行していれば無罪であることを明らかにする証拠を得ることができたといえ、その判断は合理的な根拠が客観的に欠如していることが明らかだとして、国家賠償法上の違法を認定しました。

また、検察官も、公訴提起前にそのような報告を受けていた以上、必要な捜査を尽くすことなく起訴したとして、国家賠償法上の違法が認定されました。

それだけでなく、警部補が従業員の取調べで噴霧乾燥機が殺菌できることを認める趣旨の供述調書に署名指印するよう仕向けたことについて、「偽計を用いた取調べ」(人を欺く取調べ)だとして違法を認定しました。更に、警部補が弁解録取書の作成に当たり、従業員の指摘に沿った修正をしたように装い、実際には発言していない内容を記載した弁解録取書を作成して署名指印させたことについても、違法な取調べと認定しました。

なお、亡くなった相嶋さん本人の慰謝料について体調に異変があった際に直ちに医療機関を受診できないなどの制約を受けるだけでなく、勾留執行停止という不安定な立場の中で治療を余儀なくされていたことが考慮され、家族の慰謝料について最期を平穏に過ごすという機会が違法行為により奪われたことが考慮されたとのことです。

大川原社長は、判決宣告前の記者会見において、「勾留中は毎日体力と精神力を削られ、『早く出るために罪を認めるのが得策だろうか』と悩む日もあった。冤罪を防ぐには、すべての人が捜査機関と対等に闘うための対策が必要だ。」と語っていました。

また、大川原社長と共に逮捕・勾留されていた島田元取締役は、「疑いがあるというだけで長期間の拘束が正当化され、自白を求める今の人質司法は一日も早く是正されてほしい。警察と検察は、冤罪被害者を再び生まないよう自己検証をし再発防止に努めてほしい」と語っていました。

もう二度とこのような事件を起こさないために、一人でも多くの人にこの事件のことを知っていただければ幸いです。

プロフィール

西 愛礼(にし よしゆき)、弁護士・元裁判官

プレサンス元社長冤罪事件、スナック喧嘩犯人誤認事件などの冤罪事件の弁護を担当し、無罪判決を獲得。日本刑法学会、法と心理学会に所属し、刑事法学や心理学を踏まえた冤罪研究を行うとともに、冤罪救済団体イノセンス・プロジェクト・ジャパンの運営に従事。X(Twitter)等で刑事裁判や冤罪に関する情報を発信している(アカウントはこちら)。

今回の記事の参考文献

参考文献:高田剛=小林貴樹「大川原化工機事件について」(冤罪白書2022)、西愛礼『冤罪学』、NHK「冤罪の深層~警視庁公安部で何が~」「冤罪の深層~新資料は何を語るのか~」、ひとごとじゃないよ!人質司法「【人質司法】無実を訴えたまま失われた命―相嶋静夫さんのストーリー」、毎日新聞「「立件方向にねじ曲げ」警視庁内部文書に記載 起訴取り消しで地検が指摘」「警視庁公安部、有識者聴取と異なる報告書作成か 起訴取り消し」「装置不正輸出 東京地検「起訴に不安」 警察文書と裁判証言に矛盾」。なお、記事タイトルの写真については西愛礼撮影の人質司法サバイバー国会における大川原社長らの写真。

応援ありがとうございます!
いいねして著者を応援してみませんか



このトピックスについて
樋口 真章さん、他1327人がフォローしています