【温故知新】『徒然草』に学ぶ、ついカッとならない方法
ちょっとしたことでカッとなって、相手にきつい言葉を投げかけてしまったことはないでしょうか。
つい口に出た言葉で人間関係を悪化させてしまったら、これほど悲しいことはないですよね。
『徒然草』の第一〇六段から「ついカッとならない方法」についてご紹介します。
つい言ってしまった…
その話は、高野の證空上人(しょうくうしょうにん)というお坊さんが、京の都に行くときに、細道で、馬に乗った女性とすれ違うところから始まります。
女性の馬の口を引いている男の引き方が悪く、證空上人の馬を堀に落としてしまいます。
堀に落とされてしまった證空上人は、たいそう腹を立て、馬に乗った女性に怒りをぶちまけます。
「こは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼はおとり、比丘尼より優婆塞(うばそく)はおとり、優婆塞より優婆夷(うばい)はおとれり。かくのごとくの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入いれさする、未曾有(みぞうう)の悪行なり」
これは何を言っているのでしょうか。「私はお前よりも偉いんだ。堀に落とすなんて何事だ」と言えばいいものを、難解な言葉を並べ立てて、相手をやりこめようとしてしまったのです。
怒ったとき、難しい言葉で相手を圧倒し、溜飲を下げようとしてしまった経験はないでしょうか。
思ったことを率直に言ってくれる他者はありがたい
その結果どうなったのでしょうか? 女や女の馬の口引きをしていた男は、かしこまって謝罪したのでしょうか?
女の馬の口引きをしていた男の反応はあっさりしたものです。
口引きの男、「いかに仰せらるゝやらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人(しやうにん)、なほいきまきて、「何と言ふぞ、非修非学(ひしゆひがく)の男」と荒らかに言ひて、
口引きの男は、「なんと仰っているのか、さっぱりわからない」といって、ちっとも動じていません。その様子を見て、證空上人のほうは、さらにヒートアップし、「何を言うか、学のない男」と、荒々しく言い放ってしまいます。
日常の生活でも、相手が思ったような反応をしないとき、「なんでこいつはわからないんだ。頭悪いのか?」と考え、さらに言葉を畳み掛けてしまったことはないでしょうか。
しかし、この證空上人の素晴らしいところは、自分のやっていることを、自分で認識できたことです。
きはまりなき放言(はうごん)しつと思ひける気色にて、馬引き返して逃げられにけり。
知識をひけらかすような悪口雑言を言い放ったことに気づき、馬を引き返してしまいました。
もし、相手が忖度して、しおらしい態度で謝るような人であるなら、證空上人はずっと、自分の振る舞いの愚かさに気づけなかったでしょう。わからないものはわからないとハッキリ言われたほうが、自分の行動の愚かしさに気づけるものです。
思ったことを率直に言ってくれる他者の存在ほど、ありがたいものはありません。己の行動をメタ認知させてくれる役割をもっているのです。
他人を自分を映し出す鏡にする
この證空上人の話をどう思うでしょうか。怒りっぽくて知識をひけらかすようなダメな人物なのでしょうか。
吉田兼好はこの段を次のように結んでいます。
尊かりけるいさかひなるべし。
自分の誤った行いに気づけたのだから、「尊い口論」なのだと言います。口論そのものは愚かだったとしても、その愚かさに気づいたのだから「尊い口論」なのだと。
「證空上人ってダメだな」で終わるのではなく、自分を映し出す鏡とすると、古典は、自分の血肉となります。
※トップ画像:Adobe StockのCatalin Popが作成
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