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学びの転換はなぜ進まない?【工藤勇一×合田哲雄】
NewsPicks
Kumada KiyohitoSound Engineer
とても面白い議論でした。 ”教育の平準化と平均学力の高さ”と”生徒の主体性”が論点なのかなと思いました。自己選択とカリキュラムでの選択、生徒の選択肢と機会と主体性による喪失のバランスを”日本的教育”としてどうするのかが難しいのだと感じました。 ある時間に何かを選択をすれば、他の選択肢は捨てざるをえないので、主体性の中で学生指導要領をどこまでフォローするか。 私はある一定、クラスルームに縛りつけられる教育や、大学受験でペーパーの点数だけで入れるホームランの用な仕組みは平等性のある、日本の教育の大事な要素に感じます。 例えば上手く仕組み化するなら、TOEFLのような仕組みで、入試連動型のバーテストを定期的に行い、在学中の好きな時に、何回でも受けられると、かなり矛盾が解放されるのではないかと思います。 例えば高一で志望している大学の学部のスコアが取れれば、その後は興味のある事に熱中しても、学力は落ちませんし、事実上の飛び級のような事も平等にできます。 逆にコツコツ頑張れる子が、学生時代を費やしてスコアを伸ばせば、いい大学に行く事もできます。 今の入試システムとも大きな乖離なく、子供の青春をもう少し主体的に生きていけるようにできると思います。 教育の仕組みも、 基礎学力テストではなく、入試連動型のバーテストをいつでも受けられることによって、学生時代の時間を主体性を持って組み立てられる。もちろん教育なので、挑戦して失敗してもある程度は次があるものにできる。(学力評価) 先生は、学習の伴走者として、また集団生活によって学生に評価を与える(主体性/姿勢等の評価) 勉強以外の社会活動やスポーツ、文化への活動は学生自身の考えで重視できる(人物/スキル評価) 線引きを少し変えれば、主体性を持った教育に重きをおいても、学生自信が、”主体性”と、受験社会で養われる”一般教養の高さ”のメリットの引っ張り合いをしながら、時間を有効に使って、今の大学入試と同じような評価基準で評価できます。 しかもテストを外部化して、中間、期末を廃止すれば、先生の労働も現代の効率に少しは合うようになるでしょうし、 授業のあり方もある程度自由度が高くても、色々なものと矛盾しないものになるのでは?と長々と思った次第です。 AI時代だからこそ基礎教養の高さがまた武器になるとも思います。
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三島由紀夫と「生きる意味」
NewsPicks Studios
Kumada KiyohitoSound Engineer
僕も三島由紀夫は大好きで、学生時代共感して良く読んでいました。 僕の思う三島は完全なる美への執着と、そこからくる醜悪さへの自己矛盾に感じます。 100%美しいものへ執着する過程にある100%の美と、そこに到達した瞬間に天秤が醜悪さへ傾いてしまう、精神の構造を根底に感じます。 内面と外面、今と過去のような絶対二律背反する天秤を、超越して、完全なる美になり得るものが、当時の彼にとって天皇陛下だったのだろうと感じます。 そう考えると僕の中では、ある意味宗教的とも言える美意識を守るための、菊と刀の体現が、三島の最後であり、彼の文学表現だったのだと感じます。 ぼくの勝手な妄想ですが、 ユニーバーサルでは、矛と盾、ペンと剣ですが、 戦後日本で起こった菊と刀の引き合いに、才能を燃やした事にとても思いを馳せます。 また個人的な勝手な解釈ですが、戦後のビートルズくんだりの流れが、愛と平和の20世紀後半を作り上げ、続くこの世紀で愛と平和の拡張性によって起きている戦争を思うと、三島に感じる美意識に何か本当に新しい今世紀の理想のようなものがある気もするのです。 今、世界の根底にながれている、分断が孤立を生もうと団結を生もううと、理想の答えにはならない気がするのです。 対談を聞いていて、三島由紀夫は日本のビートルズだったんだなぁと、ふと感じました。 いつも番組楽しく拝見させていただいてます。 ありがとうございます。 こんな拙い意見をもし最後まで読んでいただいた方いましたら、ありがとうございます。すみません。
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