ゴールではなく過程に目を向ける〈column 3 後編〉

2023年8月14日
全体に公開

〈column 3 前編〉はこちら↓

赤一色だけの塗り絵

「足跡」としての表現がある──このことについて、別の角度から考えさせられた出来事がありました。

 2 歳半の娘が、クリスマスに祖父からアンパンマンの塗り絵をもらいました。大喜びですぐにクレヨンの箱から赤い色を取り出すと、まずは鼻と頬から塗り始めました。

 鼻と頬を塗り終えた娘に、祖父は「次に顔は何色にする?」「目は何色?」と問いかけます。しかし娘は、赤いクレヨンを手にしたまま、顔も目も、そして体さえも赤く塗り上げてしまいました。

 真っ赤に彩られたアンパンマンを見て、「そうか、元気な赤の印象なのか~」と祖父は感心し、「じゃあ、メロンパンナちゃんはどんな色?」と今度は色のイメ ージを問いかけます。

 しかし、そんな祖父の問いかけをよそ目に、娘はアンパンマンだけではなく、 他のキャラクターたちも、すべて同じ赤 一色で塗り潰してしまったのです。

 普段の生活では色に興味を示すことの 多い娘が、まるで色を気にも留めない様 子でたった一色で塗ってゆく……それは 一体なぜなのかと疑問に思いました。

 呆気に取られてしまうような塗り絵で すが、その絵を「足跡」として捉え直す と、違った見え方ができてきます

 祖父は、当然のように塗り絵の1 ペー ジを「1枚の絵」として捉えており、線 描だけのものに色をつけることで、その 絵を仕上げようとしていました。

 それとは対照的に、娘にはそもそも「色を塗ることで1枚の絵を完成させよう」 という意識がないように感じられます。

 絵を完成させることを目的としなければ、 実際のキャラクターに忠実な色で塗って 仕上げていく必要もなく、はたまた自分 が感じた印象を色によって画面に表現す る必要もありません。

 娘にとっての塗り絵とは、一体何なのでしょうか。娘は、塗ることによって出来上がる「絵」に着目していたのではなく、目の前にある塗るべき枠を、ただ「塗り潰していくこと」自体に、面白さを感じていたのではないでしょうか。

 塗ることそのものに夢中になって、枠 の中を次々に塗り潰してゆく。「行為」 そのものに関心を持っているので、色を替える必要もない。ようやく塗るべき枠がなくなったとき、そこに赤一色の「絵」 が立ち現れていた──。

 絵にはまるで興味がないかのように、 娘は、出来上がった塗り絵をゆっくりと 眺めもせずに「次!」とすぐにページを めくっていました。

ゴールではなく 過程に目を向ける

 普段、私たちがなにかアウトプットを 生み出そうとするとき、どのようなもの を、いつまでに達成するのかというゴー ルを設定し、そこに向かって進んでいく のが普通です。

 一方、レオナルド・ダ・ヴィンチを膨 大な数のスケッチに駆り立てた動機や、 子どもが塗り絵に取り組む姿からは、アウトプットを唯一の目的とせず、その「過程」で何を感じ、考えるのかということ に、ただ没頭している様子が窺えます。

 レオナルドが残した「足跡」は彼の死 後500年以上たった今でも、世界中の人々 に影響を与え続けています。

 ゴールではなく過程に目を向けることは、私たちがアウトプットを生み出す際の示唆に富んでいるように思うのです。

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画像:筆者撮影/本投稿は『THE 21』(PHP研究所)の誌上で掲載された連載「ビジネスパーソンのためのアート思考」を加筆修正したものです。

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