米国の福音派キリスト教:トランプ元大統領の親衛隊、あるいは失速する宗教運動

2023年8月29日
全体に公開

2023年8月の最後の週、二つの大きな政治的な出来事が米国で起きた。ひとつは23日水曜日に開催された共和党の大統領候補8名による第一回目の公開討論会。ただし、討論会場に最有力候補であるトランプ元大統領の姿はない。その翌日24日にジョージア州フルトン郡の拘置所に出頭する予定となっていたからだ。これがもうひとつの大きな政治的な出来事である。これまでもトランプは3度起訴されており、その度に逮捕、保釈されているが、今回のジョージア州の起訴内容は2020年の大統領選挙の妨害に関わるものであり、最も重い。トランプの顔写真をとるという周到さが世間を賑わせた。

2023年8月24日、ジョージア州フルトン郡拘置所に到着するトランプ元大統領を乗せた車両。GettyImages

こうした状況を見越してか、23日の討論会では司会者が全候補者に次のような質問を投げかけた。

現時点で4つの起訴案件をかかえているトランプ氏が有罪判決になり、かつ共和党の候補に選ばれたとしたら、それでも彼を支持するか?
フォックス・ニュースのブレット・ベアー

この問いに対して、世論調査では第二位につけるフロリダ州知事デサンティス(彼はまわりを周到に見渡してからだったが)を含む6名が挙手したのだ。トランプが候補者となる可能性が極めて高いからだろう。事実、トランプの人気は依然として高く、世論調査では他の候補者を大きく引き離しているばかりか、共和党の支持者の多くはこうした起訴案件をバイデン有利に働くよう政治的に差配されたものだと信じている。そのなかでも、「福音派」と呼ばれる人々の熱烈な支持は揺らぐことなく強い。世界的に有名な伝道者ビリー・グラハムの息子フランクリン・グラハムも自他共に認める福音派だが、四度目の起訴後にも早々にメディアでトランプを擁護したほどである。熱狂的なトランプ支持者としてしばしば話題となるこの「福音派」。今回のトピックスでは米国の宗教と政治における彼らの役割に焦点を当てていきたい。

2023年8月23日に開催された共和党大統領候補者たちによる討論会。左から四人目がデサンティス候補。GettyImages

トランプ支持者としての「福音派」

2016年の大統領選挙では福音派の白人の81%、その支持率は2020年にさらに伸び、84%がトランプを支持したと言われている。この数字はこれまでの共和党の大統領候補と比べても高く、自らも福音派のキリスト教徒を公言していた2000年のジョージ・W・ブッシュの78%にも勝る。この支持率の高さは多くの人にとって大きな謎であった。というのも、福音派は厳格なキリスト教徒として知られており、保守的で道徳的な生活を目指す人々だと考えられてきたからだ。それに対して、大富豪ドナルド・トランプの不道徳な生活は、そのスキャンダラスな性生活を含めてメディアを通してよく知られていたし、移民をはじめとする社会的な弱者に対する排他的な彼の言動は目に余るものだったからだ。

2017年12月14日、性的暴行の告発があったトランプ大統領に対して、抗議運動をフォックス・ニュース・チャンネル社の本社ビル前で展開する人々。GettyImages

福音派の台頭

米国における福音派の台頭は古い。その起源は1776年の合衆国の成立前に遡る。彼らの信じるメッセージは次のようなものだろう。

全能なる神の前であらゆる人間は罪人とみなされ、それゆえ死後の運命は地獄の劫火で焼かれるのみ。しかし、イエス・キリストが十字架で人間の罪の身代わりとなってくれたという「福音」(ギリシア語で「よい知らせ」)を信じることで、その苦しみから救われることができる。

この「福音」を、イングランド国教会の伝道者ジョン・ウェズリージョージ・ホイットフィールドたちは、宗派の垣根を超えて18世紀の北米植民地で語った。その結果、多くの人々が回心の体験をするという広範囲にわたる覚醒運動が幾度か起き、信者人口が爆発的に増加するのだ。こうして合衆国成立後の19世紀に福音主義的なキリスト教は多数派となり、社会に大きな影響を与えるようになった。しかし、奴隷や人種問題、ダーウィンの進化論などをめぐって福音派は分裂を繰り返す。その結果、1930年代にはその影響力を失い、社会の傍に追いやられてしまう。

1925年、ダーウィンの進化論を公立高校で教えることを禁止したスコープス裁判中に地元の教会で説教をする検察側の責任者で元国務長官ウィリアム・ジェニングス・ブライアン。GettyImages

こうした状況が一転したのは第二次世界大戦後、それも1960年代になり、共産主義への反対運動の中核的な役割を福音派が担うようになってからである。また、この時代に台頭するフェミニズムや同性愛、さらには中絶の合法化などの革新的な動きに対して、保守的な社会思想や道徳を推進する原動力となっていく。それに伴い、ビリー・グラハムなどの著名な伝道者の働きもあり、この時期に福音派は大躍進を遂げる。60年代に全米の15%ほどだった福音派は、80年代後半には30%ほどの割合となるのだ。こうして獲得した社会的な影響力は、大統領選挙さえも左右するようになり、彼らの貢献がなくてはレーガンや父ブッシュや子ブッシュの当選はなかったとさえ言われている。

1968年の共和党全国会議でともに祈るビリー・グラハムとリチャード・ニクソン。GettyImages

福音派のトランプ支持

2016年の共和党候補者選挙において、福音派は最初から一枚岩だったわけではない。著名な福音派の指導者やメディアはトランプ対して批判的であったし、中絶を含めた道徳的な問題においてもトランプと福音派とのあいだでは完全な意見の一致があったわけではないからだ。しかし、ひとたび共和党の候補に選ばれるやいなや、トランプは福音派の指導層との会合を頻繁にもち、当選のあかつきには彼らの要望をできるだけ実現することを約束する。それに加えて、ヒラリー・クリントンへの反対や民主党がLGBTQ+などのアイデンティティ政治を強調したこともあり、福音派は必ずしも熱狂的ではないにしろ、トランプを支持するようになったのだ。その結果81%の白人福音派のトランプ支持という、これまでの共和党候補者を超える数字を叩きだすことになる。

2016年、埼玉の工場で制作され、2,400円で販売されたというドナルド・トランプとヒラリー・クリントン両大統領候補のマスク。GettyImages

福音派の影響力の大きさを確信したトランプは、大統領就任後に福音派からなる宗教顧問委員会を設け、頻繁に意見交換を行うようになる。なかでも福音派の念願である、人口中絶の全面的な禁止は、トランプ大統領による保守派の最高裁判事三名の任命によって初めて可能となった。というのも、中絶は、1973年の合衆国最高裁の判決ロー対ウェイド事件によって保証されており、それを覆すには最高裁において保守派の圧倒的な多数が必要だったからである。実際にロー対ウェイド事件の判決は、2022年6月に覆されており、その結果としてアラバマやミシシッピなど保守的な州においては一切の例外(レイプや近親相姦を含む)を認めない全面的な禁止が法制化されることになった。この貢献を福音派は忘れないだろう。

2018年10月8日、保守派の最高裁判事ブレット・カヴァノー氏の宣誓式で挨拶をするトランプ元大統領。GettyImages

近年の福音派にとって中絶よりも重要な社会問題は移民に関するものだといわれている。イースタン・イリノイ大学で政治学を専門とし、『アメリカの政治と宗教に関する20の神話』(2022年)の著者でもあるライアン・バージによると、福音派の関心は中絶から移民問題に移っており、この点においてトランプは福音派の支持を確実に取り付けることができたという。メキシコとの国境に壁をつくるという案もしかり、いっさいのムスリムの移民を認めないという声明しかり、過激な言動でさえも福音派の耳にはよい知らせであったに違いない。

2023年6月20日、メキシコのティフアナにある「フレンドシップ公園」につくられた国境の壁の周辺を散歩する人々。GettyImages

「福音派」という名称のブレ

しかしながら、神の前で清廉潔白であることを望み、道徳的な生活を送ることを重視する福音派の信者がトランプを支持し続けることに違和感を感じる人々がいるのも事実である。福音派の内部にもそうした人たちは存在しており、とくに週に二回以上教会に通う非常に熱心な福音派のなかではトランプへの支持が比較的低い。また、トランプが2016年に大統領に就任したあとに福音派から離れた人々が一部には存在することも報道されており、こうした矛盾が福音派の内部分裂を引き起こしているともいえるだろう。とはいえ、離反する信者の数は限られており、2020年には支持率が84%に伸びていることからもわかるように、決定的な打撃にはなっていないようである。むしろ、近年の動向はさらに歪なものになっており、「福音派」を自認する人たちのなかには、カトリックやユダヤ教徒や東方教会の信徒、さらにはまったく教会に通わない人々も含まれているという。つまり、「福音派」という名称が、宗教的な意味から、政治的な意味へシフトしてきており、かならずしもキリスト教会の様相を表すものでもないのかもしれない。したがって、7月にニューヨークタイムズが行った世論調査でも明らかになったように、こうした76%の「福音派」の白人はトランプが起訴されているような罪を犯したとは信じておらず、引き続き大統領選への力強い支持を約束している。

2020年1月3日にフロリダ州マイアミで開催された「トランプ氏を応援する福音派連合」の集会において祈る人々。GettyImages

おわりにかえて

オックスフォード大学のトビアス・クレマーによると、中絶から移民問題への移行や「福音派」という名称の政治化は、道徳的な問題を中心とするアメリカ的な宗教右派の政治から、アイデンティティの問題を中心とするヨーロッパ的な極右の政治へのシフトだという。たしかに、トランプが登場したのはそうしたアメリカ政治の分水嶺においてであり、アイデンティティを重視するグローバル化で疲弊した白人層にもっとも強力に訴えかけることができたことが、圧倒的な支持の要因なのかもしれない。ヨーロッパの例でもみたように「キリスト教」のアイデンティティを重視するのは教会から離れた層に顕著であり、近年のアメリカでも宗教人口は急速に減退している。その速度は社会問題にもなっており、「無宗教派」(nones)はいまでは福音派やカトリックとほぼ同じ割合である米国人口の25%をしめるという。この「無宗教派」と福音派の関係を理解することが次期大統領選の鍵ともなるといわれているが、この問題についてはまた次回議論していきたい。

トピ画:2020年1月3日にフロリダ州マイアミで開催された「トランプ氏を応援する福音派連合」の集会においてトランプ大統領を囲み祈る福音派の指導者たち。GettyImages

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