LGBTに対する「私もマイノリティ」「理解している」発言の危険性

2023年2月10日
全体に公開

性的少数者(LGBT)や同性婚に関連して、「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」「(ほかの首相)秘書官も皆、反対だ」「認めたら、日本を捨てる人も出てくる」などの差別的発言を行った荒井勝喜・前首相秘書官の問題が、国会審議にも影響を与えています。

岸田文雄首相の「私自身もマイノリティー」という発言と、そのような経験を安易に利用することの危険性について、考察していきます。具体的には、「マイノリティ経験があるというだけで、さまざまな問題を理解できるわけじゃないから、自分の理解度や視野を振り返ることが大事なんじゃないか」という、私たち一人ひとりが向き合うべき課題について言及したいと思います。

首相の「マイノリティー」発言

「私自身もニューヨークで小学校時代、マイノリティーとして過ごした。また、これまでお会いした『女性だから』とか『高齢者だから』『LGBTだから』という理由で能力を十分に発揮できなかった方々の思いが土台になっている」
2月8日、衆院予算委員会の集中審議にて岸田首相発言

岸田首相は自身の経験を踏まえて、上記のようにマイノリティが抱える葛藤を理解しているとした上で、「多様な個性を持った人が活力を持って役割や能力を発揮することが、経済や社会を元気にする」と語りました。

自民党の中でもリベラルだと言われる宏池会(岸田派)に属し、外務大臣を務めた経験のある岸田首相。しかし、これまでの「同性婚を認めると社会が変わってしまう」という否定的な発言や、「LGBT理解増進法案」が度々提出見送りになってきた背景を踏まえると、中身のない発言に見えてしまうのも仕方ありません。

本気で向き合うつもりがないだけなのか、または、何かを「変える」ことのリスクを恐れ「言いなりになる」ことしかできないのか、実際のところは、私たちにはわかりません。

1つ確実に言えることは、「自身がマイノリティだったが故に、理解をしている」ということは、これを裏付ける言動でしか他者に表明できないということです。そして、岸田首相は、これまでの言動や政策がともなっていない、ということです。

さらに、一連の発言の中でも、性的マイノリティーへの理解を増進するため、そして同性婚を可能にする法整備の必要性などに触れていないところを見る限り、あまり期待はできないとみています。

「私もマイノリティー」という発言への違和感

少し話の切り口を変えます。

「私は、国際経験がある。海外で差別された経験もある。多様性を重要視しているし、差別をなくすべきだと思っている。いろんなマイノリティーに共感できるし、孤立したり排除される息苦しさを理解できる」

私も、大学に入ったばかりの頃、このように思っていました。しかし、実際に社会で多様な人に出会いその声をじっくり聞くと同時に、それぞれのマイノリティが抱える問題について読んでいくと、私の知らないことがたくさんあることを知りました。「理解できる」と思っていたのは私の勝手な押し付けで、実際は全く理解できていなかったのです。

よく考えてみれば、当たり前のことです。属性によっても、状況によっても、経験する葛藤は全く異なります。それを一方的に「理解できる気になる」というのは、単に図々しいだけでなく、思い込みによる発言で相手を傷つけたり差別したりする可能性のあることです。

少し前に、「ドラマの中に描かれている"ハーフ”に対する不適切な描写」という人種問題についてTwitterで言及したところ、ある国際結婚&海外在住経験のある講演家の方から、「難しく考えすぎ。国籍や国境は人間が勝手に作った概念。(ボーダレスなど)個別の問題より俯瞰して物事見るようにしたらいい。」という旨のリプライと共に、当事者の意見を蔑ろにする発言が続いたことがありました。

このような視点は、既存の問題を縮小化する行為にあたります。問題から目を逸らすことは解決につながらないので、人種問題という課題がある場合は、人種がないように対応するのではなく、"ハーフ”当事者の声を聞くと同時に、社会で作られた(=人種化された)ものをどう意図的に解体するのか、が重要な論的になってきます。

「国際結婚&海外在住経験」という当事者性を踏まえ、自身の立ち位置や理解が不適切であるかどうかの検討がされていない発言と捉えられるものでした。なぜ、「マイノリティーや当事者」という経験が不十分なのかもう少し考えていきます。

自身の経験だけでは、不十分

自身の経験を元に自身を「当事者であり、理解者である」と固定してしまうと、理解の幅が限定されてしまいます。それが、「私もマイノリティー」という発言の裏に潜む危険性だと考えています。

マイノリティーを支援する取り組みを行うのであれば、「当事者は、何を求めているのか。何に苦しんでいるのか」と耳を傾けながら理解をしようとする姿勢と、無意識的に傷つけたり差別をしないための情報収集、そしてアクションが重要です。

これらが欠如している中では、言動が伴わなかったり、誤った理解で傷つけてしまうなどのことが起こりえます。

「私もマイノリティー」という経験は、入り口に過ぎません。共感力と関心が生まれるのであれば、それは素晴らしいことです。今回の首相の発言もそうですが、「私もマイノリティー」と示すことは、このような「共感している」「理解をしている」という姿勢を示すことに使われがちですが、これだけで思考停止しているようでは、課題を解決できる人間にはなれません。

この危険性は、私自身が普段から意識をしていることです。「理解しているつもりだし、勉強もしているから、差別的な発言はしない」とは、断的できません。だからこそ、常に省察と勉強を重ねると同時に、「では、どうするのがベストなのか」を考えて実行していく必要があるのです。完璧ではないかもしれません。だからこそ、今後も学び続けたいですし、指摘があれば受け止めていきたいと思っています。

前回の記事「マジョリティとマイノリティとは何か –『見えない特権』を考える–」では、マジョリティの「見えない特権」と、それが生じる3つの原因について論じました。。恩恵を当たり前のものとして捉えてしまうこと。マジョリティ状態を基準とするラベリングがあること。マイノリティを気にしなくて済むこと。 安全な立場から「マイノリティ」に対して素朴に同情を示しても、解決はしません。

今回、首相がどれだけの想いと責任を持って、今回の発言をしたのかは、わかりません。「マイノリティ経験があるから」という発言はなんの意味も持ちませんし、それによって理解ができていることを裏付けることにもなりません。

本当に「多様な人が生きやすい社会」「属性に関わらず能力を発揮できる社会」「差別のない社会」を目指しているのであれば、当事者の声をよく反映させるような動きを進めるために、自民党を変えいくアクションを実行してほしいものです。

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