ファイナンスはアート:その二面性と多様性

2021年11月12日
全体に公開

プロピッカーの村上誠典です。11/1に新サービス"Topics"が始まって12日目、第三回の投稿です。読んでいただいている皆様、ペースが早いとか遅いとかコメントください。言われてもペースは変えられないのですが、ご意見を伺えると私も多少影響受けます。今回は私にとって大事なテーマであるダイバーシティに関連して、「ファイナンスの多様性」の意義について少し書いてみたいと思います。

ファイナンスはアート

いきなり何を言い出すんだと思った方もいるかもしれません。はい、ファイナンスはアートなんです。ファイナンスは論理的でアートは感覚的なんて思っている方もいるかもしれませんが、全く違います。どちらも論理的であり感覚的だというのが私の理解です。

アートが好きな方ならわかると思いますが、当然アートには感覚が宿るものがありますが、論理性や合理性、時にそれを否定する形であえて非合理性を求めるケースもあるでしょう。ただ、基本的にはこの論理性や非合理性のバランス、それを感覚的に行うものがアートではないかと思います。

では、ファイナンスはどうかというと、私は全く同じだと感じています。もちろん、ファイナンスには理論があるわけですし、数字や定量的に語ることができますから、論理性や合理性は当然必要になってきます。ただ、それだけで語れるとするならば、この世の中はもっともっとシンプルでなければいけません。

実際は、この社会は、人間は複雑系だと考えています。だらこそ、曖昧さ、それを許容した上でのアーティスティックな感覚が存在することが必然なのです

例えば、ある会社の企業価値を計算しようとして、そこには明確な一つの答えがあるわけではないのです。それは美意識やアートが一様な形では存在し得ないように、合理性の中に自由度、不確実性が潜んでいるからに他なりません。

企業価値の計算一つとっても、そこにはアートがあるのです。計算され尽くされた「美」、そして新しい発見、そういう驚きを持って、企業価値も語ることができるのです。だから、答えが一様ではない、そして絶対解が存在しないからこそ、ファイナンスという学問に価値が生まれ、そして資本市場というルールの価値が生まれているのです。

コンセンサスという魔法

本来はファイナスはアートなのです。ですが、多くの経営者やビジネス関係者、また資本市場をみている人からすると、違和感を感じることもあるでしょう。それは、ファイナンスは常にある答えを示しているからです。金融機関からの借入金利、株式市場における株価、IPO価格、M&Aの買収価格、どれも絶対的な定量的な数字で示されているからです。数字に置き換えた瞬間に、それはアートではなく価値、単なる「お金」に置き換わってしまうのです。

ではファイナンスはこの価値をどのように決定しているのでしょうか。そこにはコンセンサスという仕組みがあります。市場は万能ではありません。であるにもかかわらず、適切な情報が市場に伝われば、市場のコンセンサスがある種の答えを示してくれるという期待があります。それは市場の「価格発見機能」と呼ばれることがあります。

この「価格発券機能」は多くの場合、コンセンサスによってもたらされます。コンセンサスとはつまり、できる限り多くの当事者による価値観の平均値です。

あくまでも平均値に過ぎないものが、コンセンサスという絶対的な形で、極めて不完全で不確実な企業価値に対して、唯一無二の価値を与えてしまっているのです。これこそがコンセンサスという魔法の正体です。

ファイナンスには、このような論理的で絶対的な側面と、感覚的で不確実な側面の二面性が存在しているのです。この事実をしっかりと意識することから、本当の意味でファイナンスを理解し、操ることができるようになるのだと思います。まさにアートなのです。

ファイナンスの多様性の意味

ではもう一つのテーマ、多様性についても考えてみたいと思います。もし、投資家や市場に一切の多様性がないとするならば、そこには一つの価値しか生まれないことになります。ただ、残念ながらそこには正しい価値が存在する可能性は極めて低いものとなるでしょう。不確実であるはずの価値に、ただ一つの価値観しか提供できないからです。

今、世界中でスタートアップが勃興しています。恐ろしい数のスタートアップが毎日生まれ、そして消えていっています。そのスタートアップには、常になんらかの価値がつけられています。ただ、その価値が正しいと誰が自信を持って言えるでしょうか。

実は、会社、起業家、CFO、このアートな世界に対面している人々は、この不確実性に直面しているのです。もしそこに一様な価値観しか存在しなければ、ファイナンス戦略、資本戦略は存在し得ないでしょう。戦略ではなく、あくまでも選択に過ぎないことになります。

ファイナンス戦略の重要性、資本政策の重要性は、この投稿を読んでいる皆様からすると、当たり前のように感じていらっしゃることでしょう。未来を創造する上で、重要なファイナンスが戦略的に行えないということは、極めて大きなディスアドバンテージです。

だからこそ、私はファイナンスこそ多様性が必要だと思っています。常に答えは一つではありません。そして、その選択肢を広げる意味で、投資家やステークホルダーは常に多様な価値観を持った、多くの存在が必要なのです。不確実な中での多様性が価値を生む源泉でもあるのです。

実は、資本市場においては、この多様性は増大しながら減少している側面があります。増大しているのは、金余りにより多様な戦略や価値観を持った投資家が常に生まれ、成長していることによります。一方で、減少しているのは、横並びの比較、またAIによるトレーディングの浸透などにより、より効率的な運用がなされるようになったことによります。資本市場が効率的になればなるほど、この多様性が失われていく。それは一見すると効率的なのですが、この効率性が社会的価値創造の機会を奪うこともあるのです。

ある人にとっては無価値だが、ある人にとってはとてつもない価値がある。そういう懐の深さ、つまり多様性を資本市場やファイナンスの世界が失ってしまっては、サステナビリティも企業価値創造も十分にできない可能性があるのです。

未来を信じる力が価値を生み出す

ファイナンスの基本は未来志向です。価値は未来から生まれるからです。そしてその未来は予見可能な方向性も多く存在しますが、一つの価値に落とし込むには不確実性が存在しているのです。

だからこそ、いかに未来を信じられるか。その未来をステークホルダーに示し続けられるか。そういうことが極めて大事であり、そこからしか本当の価値、また新しい未来は存在し得ないのです。そしてその未来を信じられるか否かで、その価値は幾らでも変化してしまうものなのです。

ファイナンスはアートです。そして未来を信じる力がファイナンスの源泉です。未来を信じる力とは、まさに人間の想像力そのものです。ファイナンスがアートである所以、それは人間が価値観を示す表現方法の一つだということです。

ファイナンスを語る際に、何かを否定してはいけません。ファイナンスはアートであるからこそ、常に多様な可能性を生み出す力があるのです。ファイナンスはアートであるからこそ、それを扱う人間の想像力によって、その価値はいくらにでも増大しうるのです。

ここで書いた価値観を知った上で、ファイナンス理論を駆使して、企業価値向上に向けた戦略を考えることができれば、それはこの価値観を知らないファイナンスとは生み出せる価値や選択肢は全く違うものになると思っています。極めて曖昧で感覚的な投稿に感じたかもしれませんが、ぜひこの価値観を理解してた上で、今後の私の投稿を楽しんでいただけると嬉しいです。

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