人はなぜ間違えるのかー間違いを認めない心理のメカニズム

2024年2月11日
全体に公開

冤罪学』の視点から考える「人はなぜ間違えるのか」、今回は人が間違っているかもしれないことに気づきつつも、なぜそれを認められずに結局間違ってしまうのかということについて考えます。

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矛盾に直面したときの心理

以前の「結論ありきの判断の謎と「心証の雪崩現象」」の記事に、人間は一貫させたがる生き物だということを書きました。人間は自身の認知や態度に一貫性を持たせようとする認知的一貫性があるのです。

その派生として、認知的不協和理論というものがあります。これは、人間は2つ以上の認知の間に矛盾が生ずる状態において、その不快感を低減しようと動機づけられるというものです。すなわち、人間は自分の意見や認識と相反するものに直面したとき、その矛盾を解消しようと、いずれか一方の認知を維持し、もう片方を排斥しようとする心理が働くのです。このとき、人間はそれまでの認知と矛盾する認知を受け入れることが難しく、都合の良い解釈をしたり無視することでそれを不合理に排斥しようとしてしまうことがあると言われています。

例えば、毎日タバコを吸っている人が「タバコは健康に悪いから吸うべきでない」という内容のテレビ番組を見たとき、この人は「自分が毎日タバコを吸っている」というそれまでの認知と、「タバコは健康に悪いから吸うべきでない」という新たな認知が互いに矛盾する状態に置かれます。この時、この人は矛盾する2つの認知による不快感を低減しようと動機づけられます。1つ目の選択肢は、これまでの認知の方を改めてテレビ番組の情報に沿って禁煙するということです。2つ目の選択肢は、テレビ番組の情報に対する認知を改めて、これまでどおりタバコを吸い続けるということです。この2つの選択肢は毎日タバコを吸う人にとって等価値のものではなく、禁煙の方がはるかにストレスが大きいものです。そこで、「禁煙のストレスの方が健康に悪い」「喫煙が健康を損なう可能性はそこまで高くない」などと、テレビ番組の情報を都合よく解釈して排斥し、自身の喫煙を正当化してしまうのです。

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認知的不協和によって誤るパターン

認知的不協和は、矛盾の程度が大きい場合公然性が高い場合投資量が多い場合などにおいて、その効果が高くなると言われています。特に、人間は投下したが回収不能となってしまった労力等(サンクコスト)に執着してしまうとも言われています。

例えば、警察官が殺人事件について大規模な公開捜査に踏み切り、容疑者を逮捕した後、決定的な無実の証拠が見つかったとしましょう。この場合、警察官は容疑者が犯人だというそれまでの認知と、容疑者は無実かもしれないという新たな矛盾する認知を抱えることになります。警察官にとっては、多くの人員や時間を投入してようやく成果を得た後、それが間違っていたということが判明し、社会からバッシングされてしまうかもしれない状況に陥ってしまいます。そこで、警察官は無実の証拠が実は無実を意味するものではないという強引な解釈をしたり、無実の証拠は何かの間違いだとして隠滅したり改竄することによって、容疑者は無実かもしれないという認知を排斥してしまうことによって冤罪が生まれてしまうのです。

このように自身が関与した後、自己正当化の心理から誤りを認めずに以前の行動方針に固執してしまう傾向はコミットメントのエスカレーションと呼ばれています。

実際に、2010年に無罪判決が宣告された厚労省元局長冤罪事件では、大阪地検特捜部が厚労省の元局長を逮捕・起訴した後、主任検察官が決定的な無実の証拠であるフロッピーディスクのプロパティを改ざんしてしまったという事件がありました。

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認知的不協和の深刻さ

この認知的不協和というものはとても怖い問題です。

間違ったかもしれないと気が付いたとしても引き返せなくなってしまうからです。

そして、人間には自我抑制機制という自尊感情を保全する仕組みがあるため、基本的に間違えたことを認めることには心理的なハードルがあります。これは、誰しもが認知的不協和に陥りかねないということです。

そして、認知的不協和に陥っていることを自覚することも難しく、コミットメントのエスカレーションのようなどんなに間違っていたとしても頑なに誤りを認めない状態が出来上がります。

例えば、2000年、アメリカにおいて、強姦事件の誤判冤罪が明らかになりました。被害者の下着に残っていた精液のDNA型鑑定をしたところ、被告人とは別人のDNA型が検出されたのです。

しかし、検察官は誤りを認めませんでした。被告人は2種類のDNA型を持つ「キメラ」だと主張したのです。キメラというのは、双生児の一方が子宮内で死亡して細胞が他方に取り込まれてしまった場合など、世界的にわずか数例しか報告されていないものでした。

新たな鑑定が実施され、被告人はキメラでないことが立証されました。ところが、検事はそれでも間違いを認めなかったのです。被害者(8歳)が他の男性とも性交渉をしていたり、父親の精液が偶然被害者の下着についただけであって、依然被告人は強姦の犯人だと主張したのです。

結局、この事件では無罪判決のほか、被告人への350万ドルの賠償が認められたそうです。

冤罪事件が発覚した後に捜査官がその間違いを認めないという現象は日本でも起きていて、東住吉事件という冤罪事件では実験により放火ではなく事故であることが明らかになりましたが、無罪判決後も取調べ担当検事は被告人が犯人だと思っていると法廷で証言しました。

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認知的不協和とどう向き合えばよいのか

詳解した厚労省元局長冤罪事件について最高検察庁が公表した報告書には、「引き返す勇気」という言葉が使われました。どうすれば私たちが間違っているかもしれないことに気が付いたとき、「引き返す勇気」によってきちんとその間違いを正すことができるのでしょうか。

まず「人間は間違う生き物」だということを大前提に考えなければなりません。自分が間違っているかもしれないという前提がなければ引き返すことはできません

また、思い込んでしまっていると引き返すことはできません。これまでの記事で述べてきた通り確証バイアスやヒューリスティックスによる印象的判断、認知的一貫性による結論ありきの判断などによって人間は思い込んでしまいます。これらの要因への対策も必要でしょう。

認知的不協和に陥っていることは自覚が困難であることに照らしても、誰か別の人の関与も重要だと思います。厚労省元局長冤罪事件の再発防止策としても、上からのチェックと横からのチェックというものが導入されました。

さらに大事なことは、間違いが生じたときにその人個人の問題にしないことです。認知的不協和は誰にでも生じるものですので、その人を罰するだけでは別の人が同じようなミスをまた犯してしまうかもしれません。

「間違い」を認知的不協和等の知見も用いてきちんと分析し、再発防止策を講ずることが重要だと思います。

プロフィール

西 愛礼(にし よしゆき)、弁護士・元裁判官

プレサンス元社長冤罪事件、スナック喧嘩犯人誤認事件などの冤罪事件の弁護を担当し、無罪判決を獲得。日本刑法学会、法と心理学会に所属し、刑事法学や心理学を踏まえた冤罪研究を行うとともに、冤罪救済団体イノセンス・プロジェクト・ジャパンの運営に従事。X(Twitter)等で刑事裁判や冤罪に関する情報を発信している(アカウントはこちら)。

今回の記事の参考文献

参考文献:西愛礼「冤罪学」、レオン・フェスティンガー「認知的不協和の理論ー社会心理学序説」、ダン・サイモン「その証言,本当ですか?: 刑事司法手続きの心理学」、マシュー・サイド「失敗の科学」。なお、記事タイトルの写真についてはGetty ImagesのArtsanova の写真。

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