タムロンでの私的流用から人間のポテンシャルを考えた話

2023年11月6日
全体に公開

都内のラーメン二郎によく行くのですが、先日隣のお客さんが「麺なし、醤油ましまし、背あぶらかたまり、野菜ましまし」という相当ハードコアな注文の仕方をしており、しびれました。

これは二郎フリークでないとよくわからない可能性が高いですが、要するに超濃いめで脂っこい野菜スープを食っているわけです。糖質オフでヘルシー指向でありながら塩分油分マックスという、ある種の自己矛盾と自家撞着。

さて、高い技術力で知られる交換レンズメーカーのタムロンから、先日こんなニュースがありました。

タムロンの前社長・元社長が会社経費のうち総額約1.6億円を私的流用していたという唖然とするニュースです。

調査報告書の中にも具体的にありますが、この事案は取締役としての忠実義務違反、そして特別背任等の民事・刑事両面の構成要件を満たす可能性がある深刻なもの。かつ我々の一般のビジネス感覚からしても信じがたい不祥事でもあります。

ただ、私は会社が公表している調査報告書を読むにつけ、そこから染み出してくる前社長・元社長の感情の行間になんとも言えない人間味を感じてもいます。

人間味、、、というとどこか可愛げというか、共感や同情的な意味合いも含みますが、そういうものではなく、ある種リアルな人間の味そのもの、もっというと我々自身が別の世界線にいた場合での姿というか、自分も含む人間のリアリティそのものです。

この事案を批判することも、あり得ないと断罪する気持ちもありますし、そうすべきだと思います。ただ今日ここで書きたいのは、その上で感じる人間のリアリティの話、このトピックスの主眼でもある情報と感情のあり方の話です。

自己正当化とは善でありたいという心の現れ

調査報告書には例えば以下のような記述が出てきます。

当委員会が、鯵坂氏に対して Suica の利用明細を提示するよう求めたところ、鯵坂氏は 2023 年 7 月末に Suica を紛失したので利用明細を提出することはできないと回答した。
「特別調査委員会の調査報告書」・P62から抜粋
社長になると、ETC カード貸与で高速代と自家用車の給油代もタムロンに会社経費として負担させることになっており、これらは社長の特権であるとも述べている。
同・P62から抜粋
社長については、社長業の重圧によるストレスを解消するためには、単独で飲みに行く、カラオケに行くなどしてストレスを発散する必要があり、そのための単独飲食費や同伴飲食費は会社の必要経費であるなどと真正面から正当化した。当委員会が、それでは相談役になっても単独飲食費や同伴飲食費を会社負担にしていることはどのような理由からかと指摘したところ、小野氏は、相談役としても、会社の経営に口出しをしたくてもそれを我慢することによるストレスがあり、それを発散する必要があると述べる有り様であった。
同・P69から抜粋
鯵坂氏は期初に立てた予算の範囲内で社内飲食費をタムロンに会社経費として負担させているに過ぎないのであるから、単独飲食費や同伴飲食費をタムロンに会社経費として負担させていたことも含めて全く問題がない、その考えは今でも変わらないと当委員会に対して断言して悪びれなかった
同・P71から抜粋
2019 年 2 月の業績検討会においても、第 1 四半期が赤字転落するおそれがあることを理由に 2 月、3 月の販管費を削減するべく、鯵坂氏は、経営企画室を通じて販管部門及び販社のすべてに対して 2 月、3 月の経費見込みの見直しを指示したものの、足元の役員室経費に対しては具体的な指示をすることなく、秘書室が保険料を各月 100,000 円ずつ見直したのみで、容易に手を付けられるはずの交際費などの役員室経費については何ら削減しようとしなかったことを容認した。
同・P74から抜粋

(きりがない・・・)

繰り返しますが、非常識極まりなく、呆れ果てる話です。

ただ、人間というものは、私は(ごく稀なケースを除いて)完全に素晴らしい人格者もどうしようもなくダメな奴もいない、ほとんどの人が良し悪しの二元論ではなく、その両方が混じり合った存在だと思います。

そして多くの場合、人は弱くてダメな自分に自覚的であり、確信的であり、それをつい自己正当化する気持ちがある。

自己正当化というのはネガティブな響きですが、同時に正しい自分でありたい現れでもあるように思います。

生きるとはすなわち自由の獲得でもある

ところで、人間の最も本質的な欲求とはなんでしょうか。私はそれを一言で言い表すなら自由の獲得だと思います。

昨今功罪ある「成長したい」という社会的欲求も、自由の獲得が主たる目的と考えると、人間たる所以にも映ります。

成長と自由の関係。例えば仕事ができるようになれば生産性が上がり、可処分時間が増える。会社から一目置かれれば対人関係が自由になる、出世して裁量が大きくなれば、自由に決められることが増える。成果を出して給料が上がれば経済的に自由になる。ポータブルスキルが身につけばジョブセキュリティが高まり、どこでも食っていける自由にもなる。

ただ自由獲得の追求の行く先は、いつしか自己認識の歪みにつながります。ただそれは構造であり、問題の原因をその人の人間性やモラルに帰着させるのは、自由の獲得が根源的な欲求である以上、少し違和感を覚えます。程度の差こそあれ一方的に人間性批判になるのも少し私は躊躇してしまいます。

我々自身が一歩間違ったらこうなるというレベルの危うさではなく、我々すべてがが自由への欲求と、それが自己肥大することにおける自己認識の歪みの檻の中にいるように思います。

性(さが)において弱いということ

第一次世界大戦は1918年に終わり、第二次世界大戦は1939年に始まりました。その間は21年間です。ざっくり1世代分。記憶は実に遺伝しないもので、世代を超えると我々は何も学習していない。

「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」というイギリスの歴史家ジョン・アクトンの言葉。ガバナンスの教科書では大抵この引用を目にします。これは19世紀の言葉ですが、今にも生きる普遍的な言葉です。つまりは誰しも例外ではない。

繰り返しますが、今回の私的流用はしっかり調査され、批判も処分も受けるべきだと思います。

でも前社長・元社長のモラルや人間性に起因するとして、一方的に批判するのも少し違う気がします。

人というものは、性善説か性悪説かという問いの立て方というより、性(さが)において弱いのだと思います。我々はベースには善でありたい気持ちがある、その一方で易きに流れる弱い存在である。(この「性弱説」については一橋大学名誉教授の伊丹敬之先生の著書に詳しいです)。

冒頭にラーメン二郎の注文の話を書きました。

私もラーメン二郎では油マシ、醤油マシで注文しつつ、野菜マシにするわけですが、ここにはヘルシーな自分でありたい気持ちがあり、それをラーメン二郎に通いながら言ってしまう感覚。すなわち自家撞着的な偽善性こそが自分が人間たる所以だとも思ってもいます。

(トップ画像:Unsplash(Edvard Alexander Rølvaag))

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