2022年の冷え込む市場の中でHR Techへの投資熱が上がるのはなぜ?

2022年7月25日
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どうも!ALL STAR SAAS FUNDの湊です。

SaaSスタートアップへのVC投資を生業に、SaaSを中心に国内外のスタートアップトレンドを日々チェックしています。2022年を一言でいうと、「冷却期間」と言った感じです。インフレ、利上げ、戦争、金融マーケットの冷え込み、レイオフの波、最近では不況を確実視する見方も広がっています。

こういった社会背景もあって、世界のベンチャー投資はここ最近で急減速。Crunchbaseの記事によると、2022年第2四半期の世界のスタートアップ投資額は$162B(約22兆円)。これは直前四半期比で26%減、前年同期比で27%減と一気に急ブレーキがかかっている状況です。

出典:Crunchbase 「Q2 VC Funding Globally Falls Significantly As Startup Investors Pull Back」

そんな急減速なスタートアップ投資ですが、一部のテクノロジー分野は急ブレーキもなんのその。むしろ2022年でも、投資家の熱視線を浴びて投資が伸びている分野がいくつか存在します。

その1つが今日紹介する「HR Tech」です。

「えっ!HR Tech?」業界が長い方だと思う方も多いかもしれません。HR Techは比較的歴史が長く、SaaSで言えばWorkdayのような巨大企業のいる分野です。

ですが、2021年はパンデミックの渦中にあり、世界中の企業が新しい働き方に適応する中で、HR Techへの投資は過去類をみないほどに過熱しました。PitchBookの記事によると、過去年間で$3-4B(約4,000-5,000億円)だった世界のHR TechへのVC投資額は、2021年には前年比3.6倍の$12.3B(約1.7兆円)に爆上がり(下図)。

出典:PitchBook 「VC funding for HR tech sours amid focus on diversity, remote work」

このトレンドは、2022年の「冷却期間」を経ても、過熱し続けています。hrtech.sgの記事によると、2022年上半期のHR Techへの投資は昨年を上回るハイペースの$9.3B(約1.3兆円)。つまり、市場が冷める中でもHR Techへの投資熱はむしろ上がっているのです。

なぜいま、HR Techは投資家から注目を浴びているのでしょうか?

この記事では、このトレンドを解説したTechCrunchの記事の一部を紹介しつつ、日本のHR Techへのインサイトを抽出したいと思います。

2022年はどんなHR Techに投資が集まっているのか?

HR Techが注目される理由に入る前に、今年に入ってどのようなHR Techが投資を集めているか、SaaSを中心にメジャーな投資案件をまとめたいと思います。

2022年のHRTechの主な資金調達

(米) グローバル人材採用/給与計算 Remote $300M調達(主な投資家 Softbank VF)
(仏) 中小企業向け給与計算・支払SaaS Payfit $287M調達(主な投資家 General Atlantic)
(英) 若手の企業研修生マッチング Multiverse $220M調達(主な投資家 Lightspeed)
(独) 中小企業向けAll-in-one HR SaaS Personio $200M調達(主な投資家 Greenoak)
(米) ブルーカラー向けスキルアップSaaS Guild $175M調達(主な投資家 Wellington)
(米) 従業員のパフォーマンス管理SaaS Lattice $175M調達(主な投資家 Tiger Global)
(米) 大企業の多様性採用支援SaaS SeekOut $115M調達(主な投資家 Tiger Global)
(米) 報酬計算・管理SaaS Pave $100M調達(主な投資家 Index Ventures)
(米) 次世代採用管理SaaS Fountain $100M調達(主な投資家 B Capital Group)
(米) 社内異動支援SaaS Gloat $90M調達(主な投資家 Generation Investment)
(印) All-in-one採用・オンボードSaaS Darwinbox $72M調達(主な投資家 Sequoia India)

こう見てみると、日本円換算で100億円を超える大型調達が目立ちます。しかも、Softbank Vision Fund、Lightspeed、Index Ventures、Sequoia Indiaなど一流の投資家が、厳しい冬の時代にもかかわらず、投資していることがわかります。またスタートアップのメッカ、米国に限った話ではなく、欧州やインドなどグローバルで広がっています。

では、どんなHR Techのテーマが多いのでしょうか?

ここでは3つほど紹介します。

最も目につくテーマは「採用」です。特にリモートシフトにより、海外では地域の枠を超えて人材を獲得する動きがパンデミック以降で加速した影響が垣間見えます。それに付随して、税制や労働法の異なる国をまたぐ人材登用による給与計算のような分野もホットになっています。

2つ目のテーマは「従業員のエンゲージメント向上」です。これもフルリモートやハイブリットワークが進む中で、従来とは異なるパフォーマンス管理や採用した人材のオンボードがニーズとして出てきたことが反映されていると思います。

そして、3つ目のテーマは「スキルギャップの補填」です。飲食や小売のようなリアルビジネスはコロナで大打撃を受け、ワーカーの解雇が初期進みました。しかし正常化する流れの中で、一気に人を戻す動きの中で新たに採用した人材を戦力化できるかは死活問題になっています。また、コロナはビジネスのデジタルシフトを加速した半面、既存の従業員では埋められないスキルギャップが出てきました。そのギャップを埋めるような新たな育成・登用の仕組みが必要になっていることも垣間見えます。

ミッションクリティカルになるHR Tech

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ここで本題の「なぜ、投資家はHR Techに熱視線を送り続けるのでしょうか?」

数多のHR Techスタートアップに投資しているDavor Hebel氏は、TechCrunchの記事で以下のように答えています。

パンデミックは、多くの企業の労働力を縛っていた制約を無くしたため、地域や時間帯を越えて社員を管理するニーズが高まっています。一方で人材不足により、離職率を下げ、採用コストを削減するHR Techへの需要も上がっています。」

「リモートやハイブリッドワークもまた、HR Techツール導入の追い風になっています。なぜなら、HR Techは企業カルチャーや従業員の生産活動を調整する"接着剤"として機能するからです。」
出典:Eightroads Ventures Davor Hebel氏のTechCrunch取材記事の筆者和訳

米国では今年5月の求人件数は1,130万件とパンデミック前の水準を大きく上回っており、失業率は比較的安定しています。昨今の米国スタートアップ業界ではレイオフや採用凍結の話が増えていますが、大企業も含めた市場全体で見ると、求人ニーズは依然強い状況です。そのため、リモート/ハイブリッドワークは長く続くとする見方が多数派です。

そう言った背景もあり、2022年も引き続きHR Tech市場の拡大を予測する見方も多くあります。例えば、米コンサルティングファーム The Hackett Groupの行った市場調査では、企業のHR Techへの投資は2021年対比で9%以上増加すると伝えています。

  まとめると、「パンデミックは中小企業から大企業に至るまで、よりデジタルに、分散化した働き方への長期的なシフトが加速したため、2021年以降にHR Techによるイノベーションの機会が爆発的に増加した」と言えると思います。 

日本のHR Techの成長可能性はどうか?

これまで見てきた海外のHR Tech躍進の背景にある社会的なトレンドは、多少の時差や環境の差はあれど、課題レベルでは日本も大きくは変わらないのではないでしょうか。むしろ人材不足や労働生産性の観点では、日本の方が根深い問題のように感じます。その意味では、日本のHR Techのさらなる躍進に期待しています。

日本でのHR Techのさらなる拡大のドライバーは何か?
個人的な意見をまとめて締めたいと思います。

1)顧客への強力な投資対効果の実証とHR Techのオール・イン・ワン化

現在の円安を含む、経済環境の悪化は、HR Techに利用する企業の投資の目も今後厳しくなることが予想されます。そのため、HR Techでも顧客の生産性向上とビジネスインパクトを明確にすることが重要になります。しかし、一般にHR Techはワークフローの一部の課題解決をするポイントソリューションでは、CRMなどの他のB2Bソリューションに比べ、実証が困難なことが多いです。従業員エンゲージメント関連などが代表例です。

そこで重要になってくることが、特定のワークフロー全体をカバーできるHR Techのオール・イン・ワン化です。それにより、生産性アップやコスト削減のみならず、売上アップも含めた顧客の社内目標や事業ゴールに対して、明確な投資対効果をいかに示すことができるかが顧客への導入のカギになります。

実際に、今回ご紹介した海外のHR Techスタートアップの多くは、オール・イン・ワン型も多く、顧客への明確な投資対効果をアピールしているHR Techがほとんどです。これを実現する上で、HR Techは相対的に複数のプロダクト開発と顧客価値を実現する、より高度なプロダクトマネジメント能力が求められると考えられます。

2)人材の流動性アップと新産業の育成

日本と欧米の比較で、よく言われる違いとして、終身雇用のような組織文化と「解雇が難しい」労働法による人材の流動性の低さが言われます。たしかに、海外でHR Tech普及の背景には、人材の流動性は重要な要素だと思います。なぜなら、人材や組織の変化が大きいほど、HR Techがよりミッションクリティカルになるからです。

では、法律が変わらないとHR Techが普及しないかというと、それだけではないと思います。1つの重要な要素として、労働者にとって魅力的な若い成長企業(スタートアップ)を増やし、日本で新たな産業が作られることが、HR Techの更なる普及のトリガーになると私は思います。そういった魅力的な成長企業が増えることで、人材の流動性を促し、ひいては、伝統的な企業の組織文化にも変化をもたらし、HR Techの活用がさらに進むと私は考えます。

実際に、日本のスタートアップ業界は、ここ5年で組織カルチャーが魅力的で、優秀な人が集い、急成長するスタートアップの数が急激に増えている強い実感があります。このムーブメントを止めずに、日本の働く方々にとって魅力的な企業を増やすことが、日本の人材の流動性アップとHR Techの更なる普及を後押しすると思います。

これから日本のHR Techの普及により、日本経済の更なる活性化に期待したいです。走り書きですが、ぜひ色々な方からのコメントや感想を頂けると嬉しいです。

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