「アッパーリミット問題」:スタンフォードで最も反響を得た話

2023年4月11日
全体に公開

先週の記事では、脳が不快や驚きを感じたときに「危ない!」と反応することについて、SCARFというフレームワークを使って紹介しました。これまでわたしはたくさんの学生やイノベーターにもこのコンセプトを教えてきましたが、SCARFはすぐに理解してもらえることが多いです。

人生の不確実性が高まったり、自由でなくなったり、不公平があったりすると、恐怖を感じるというのは納得しやすい話なのです。そして、恐れに基づいて行動をしてしまうと、あなたの天性の才能や情熱を押さえつけてしまい、創造力をつぶしてしまいます。

今週は、前に進もうとするあなたのエネルギーに対し、足かせとなるもう一つの要因をみていきたいと思います。先に言っておきますが、若干奇妙に感じる話だと思います。それでもお付き合いください。

人は成功したとき、特にそれが突然だったとき、その幸福を自ら台無しにしてしまうという理論があります。例えば、スポーツで大きな契約を結んだ人やセールスの大型案件を受注した人が、それを祝うために酔っぱらってテンションが上がってしまい、危険な運転をしたりバーで喧嘩したりしてしまうことがあります。記念日で特別なディナーを楽しもうとしているカップルが、意味のない言い争いをしてしまう、あるいは、どちらかがその日に限って強烈な頭痛に襲われることもあります。

この理論は「アッパーリミット(上限)問題」といい、喜びが上限を超えて大きすぎるときに、脳がネガティブな思考を生み出すというものです。脳はそのことでわたしたちを守ろうとしているのです。変な話ですよね。

アッパーリミット理論はこのシリーズの以前の記事でも紹介したゲイ・ヘンドリックスが提唱しました。この理論を理解すると、扁桃体がいかに不可思議な形でわたしたちを怖がらせているかがよくわかります。

わたしがよく参考にする2009年のヘンドリックス氏の記事では、誰もが感じたことがあり、足かせとなるいくつかの奇妙な反応や行動について説明しています。まず一つは「自分には欠点がありすぎてこの成功に値しないので、この成功は本物ではない」という脳からの警告です。または「いずれ失敗するからこの成功は長続きしない」というもの、あるいは「いつかきっと失敗するはずだから、失敗したときに深く傷つかないように、この幸福な気持ちに執着してはだめだ」というものです。

これは完全に常軌を逸した考えではありません。まず、誰にでも欠点はあるので、あなたにももちろん欠点があるはずです。わたしたちは皆、ほとんどのことに対して平凡な能力しか持ち合わせていません。だからこそ、ツールを使って天性の才能や目的意識を見つけることがとても重要なのです。自分の適性を生かし、そこに集中するように人生をデザインできれば、統計でみると、あなたが成功する可能性は高まり、場合によっては大成功することもありうるのです。しかし、そのためには自分の天性の才能と情熱を信じることが大切です。

そして、最も影響が強く、理解して克服すべきなのは次のような感情です。「自分の仲間やふるさとを裏切っている」「自分の成功によって周囲に変化をもたらし、迷惑をかけている」「家族や仲間を出し抜いて目立ちすぎている」という気持ちです。この反応には、2つの根深く原始的な思考パターンが影響していることに注意しなければなりません。1つめは、資源が限られ不足しているという希少性マインドセットです。2つめに、集団から押し出され孤立すると死んでしまうという考えです。イノベーターであれば、この原始的な反応を理解しつつも、「人生には豊かさと想像力があり、本当に大事なものは有限ではない」「わたしの本当のイノベーター仲間はきっとどこかにいる。これから出会うのが楽しみだ」という考えをもちます。

要約すると、何らかのストレスや成功がきっかけとなって、脳の原始的な部位である扁桃体が「逃げろ!」と言うのです。人生がうまくいかなくてSCARFが脅かされたときも、人生がうまくいきすぎてアッパーリミット問題にぶつかっても、同じメッセージを発するのです。「死んでしまう!」というのです。そうすると次に疑問に思うのは「それはなぜか」ということです。なぜ「人生がうまくいく」ことが、原始時代のわたしたちの脳にとって脅威となるのでしょうか。

その答えは少し奇妙であり、複雑でもあります。わたしがスタンフォードで教えているときに、学生から一番反響があるのが、このアッパーリミット問題について話すときです。それは「人は成功や幸せに向けて努力する」というこれまでの教えに逆行するように思うからでしょう。人はもっともっと幸せになりたいと願っているはずじゃないのか?と思うのです。ところが、原始時代における生き残りの観点と、その時代の脳の形と機能からすれば、答えは「絶対に違う!」ということなのです。

古代の人類のゴールは、信頼できる強い部族にできるだけ深く身を投じることでした。SCARFはその部族の中での自分の立場やその部族の存続自体が脅かされているときに知らせてくれるものでした。アッパーリミットは、部族の「幸せの温度調整機能」の役割を果たしています。

現代の企業にも同じ温度調整機能があることがわかっています。本当に幸せな企業もありますが、不幸な企業もあります。温度調整機能の温度は多くの場合リーダーが設定します。しかし、イノベーションでは「目的意識」や「天性の才能」が重視されており、これらは喜びや幸せを感じる状態を意味します。スタートアップの最も重要な成功要因は幸福度であると考えられており、組織の幸福度を測定し、改善することを事業とする企業も誕生しています。2018年にLinkedInは、幸福度を測定するソフトウェアを提供するGlintを4億ドルで買収しています。

ではアッパーリミットの「問題」とこのようなことが起きてしまう理由は一体なんなのでしょうか?

ヘンドリックス氏によると、すべての人に幸せの上限が設定されていますが、主に子どもの頃の家庭環境が影響してその上限が決まります。そうすると、調子が良すぎるときには、自分が「なじめる」ように無意識のうちに自分を貶めるような行動を選択してしまうのです。

自分を貶める行動には、たばこやアルコールなどその瞬間は何も感じなくても長期的には体を蝕むような有害なものの乱用、体の痛みや頭痛、無気力、常に言い争いをする、親切心の歪曲、約束を破るなどといったものがあります。

アッパーリミット問題は、成功することが稀な厳しい競争環境で、従業員、パートナー、そして特に顧客の喜びも制限してしまうので、リーダーが意識していないと、企業の成功にとって大きな制約となる可能性があります。

誰しも、幸せあるいは不幸せな、組織、チーム、学校のクラスで、たくさんの経験をしてきたと思います。その中で喜びのエネルギーを与えてくれた環境に強く惹かれるかどうか、ぜひ自分自身に問いかけてみてください。それがあなたの幸せの上限を理解する助けになるでしょう。もし、自分はイノベーターだと自任しているにも関わらず、あまり幸せでない環境に惹かれるのなら、まだ努力が必要ということです。

わたしは幸せの上限を上げるために、自分が変えたいと思う習慣を振り返ります。その習慣の中で「アッパーリミット問題」がいつどのようなパターンで表れているかを確認します。わたしがよく上限を設定してしまうパターンでは、成功する寸前にその成功を避けてしまい、自分から身を引いてしまいます。わたしは、そういうときに立ち止まり、リスクを確認するとよいことを学びました。失敗する可能性の高い、限られた機会と環境がないかを確認します。すると、実際はほぼ失敗することは無いことがわかります。また、自分の天性の才能と目的意識を信じ切れているかどうかを確認する必要があります。もしいずれかに疑念がある場合には、再度検討し、自己発見し直す必要があります。天性の才能と目的意識こそが不確実性を乗り切るための道しるべとなるのです。

わたしたちのほとんどは、幸せな瞬間に恐怖を感じないように、いかに自分の幸せを引き下げていることが多いか気が付いていません。それが奇妙な考えだからこそ、なおさら気づかないのです。

しかし、「成功」が恐れを引き起こすことを認識し、それにうまく対処できるようになることは、高いレベルの競争力を得るためのカギとなります。さもなくば無意識のうちに自分自身を殺してしまうことになるのです。

(監訳:中村幸一郎(Sozo Ventures)、翻訳:長沢恵美)
(図版クレジット:Unsplash/Joshua Hoehne)

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