立体的に見たいという不思議な欲求

2023年9月29日
全体に公開

遠近法は自然な見え方ではない

遠近法の歴史とその由来についてはじっくり考えてみたいと思っているのですが、そもそも遠近法とは発明であって、人間の視覚がもともと遠近法的な見え方をしているわけではない、という指摘はこれまで多くの識者によってなされてきました。個人的な印象でも、自分の視野のイメージが遠近法的に構成されているとは思えません。遠近法は文化的な産物であり、人工的に構築されたヴィジョンだということは、おおよそ認めていい事実かと思います。

では、私たちの視野に映る映像はどんな感じでしょうか? まず絵画や写真とは違い、網膜上に映るイメージは固定したものではなく流動的です。光線の具合で瞬間瞬間にイメージは変化しており、色合いは波のように移り変わる。しかも、絵画や写真のように明確なフレーム(枠)を備えているわけでもない。私たちは画家が構図を考える時のように、視野全体を一幅の絵のように眺めているわけではなく、焦点は視野のあちこちをさまよい、時にその細部をクローズアップして見たりしているわけです。肉眼で見る世界の像は常にダイナミックです。スマホで写真を撮ると、一部分を拡大したり縮小したりと、忙しなく画面をタップしてイメージを確認しますが、あれと同じことを肉眼でもやっているような印象があります。

遠近法の発明

もう一度言いますが、私たちの視野にとって遠近法的なイメージは自然なものではありません。では、なぜ遠近法は歴史のある時点で絵画に導入され、人気を博したのでしょうか。たとえばハル・フォスター編『視覚論』(榑沼範久訳、平凡社ライブラリー、2007年)所収のエッセイで、アメリカの歴史家マーティン・ジェイは、「デカルト的遠近法主義」という言葉を使っています。つまりデカルト的な、近代の科学的かつ合理主義的な世界観の構築のなかで遠近法は確立されたと説明しています。

世界はもはや神聖なるテクストとして聖書解釈学的に解読されるのではなく、数学的に規定される時空に位置づけられていった。その時空を満たしていたのは、「中立的な」研究者の冷静な眼によって、外側からのみ観察されるような自然の対象だったのである。
ハル・フォスター編『視覚論』(榑沼範久訳、平凡社ライブラリー、2007年)

これは理屈ではとても説得力があり、また筋の通った説明に思えます。また、思想史的な流れからしても自然な説明かと思います。しかし、これだけが遠近法の登場の理由ではないという気もします。そこにはもっと遠近法的なものの見え方に対する、人間の欲望が働いているような気がするのです。

西洋における遠近法の確立が14世紀前後、油絵の登場が15世紀ごろ。遠近法も油絵というテクノロジーも、「リアル」な世界の再現を志向した結果と考えられています。しかしここでいう「リアル」の意味がまた非常に曲者だと感じています。最初に書いた通り、私個人としては遠近法的に描かれたイメージが「リアル」だと感じているわけではないからです。たぶん、ここでいう「リアル」は「写真のような」という意味なのでしょう。奥行きが感じられ、広い空間がそこに感じられるということなのでしょう。

立体的イメージの飽くなき欲求

UnsplashのBermix Studioが撮影した写真

東京都写真美術館で開催されている「『覗き見る』まなざしの系譜」展へ行って、こうした近代世界のいう「リアル」が少し理解できました。17世紀ごろから、人々は人工的に立体的なイメージが見えるような装置をたくさん作っています。現代のテクノロジーからすると子供騙しの、おもちゃのような装置ばかりですが、立体的な風景を作り出すために途方もない努力と労力が費やされている事実に驚愕するばかりです。代表的な装置であるステレオスコープは、微妙に違う写真2枚を左右に並べ、両目でレンズ越しに覗きこむと、風景が立体的に見える、というそれだけのものです。私が子供のころも、ホログラフや3Dという近未来技術が礼賛されていた記憶があります。確かに、立体的に見えるというのは、面白い体験です。小さな子供にVRゴーグルを覗かせると、非常に驚き、かつ強い興味を示します。人間はなぜか立体的な映像(肉眼で見るのとは違う立体的な映像)が好きなのです。

「立体的である」と「リアル」を直結するのは危険だと個人的に感じていますが、ともかくも人間は立体的なヴィジョンを求め、それを追求してきたようです。そしてその結果が、遠近法であり、油絵であり、ステレオスコープであり、VRゴーグルなのだと思います。つまり、奥行きがあり、空間の広がりが感じられるヴィジョンの獲得です。さらに問うならば、奥行きがあり、空間の広がりが感じられることの、何が良いのでしょうか。なぜ肉眼でも立体的に見えるのに、あえて人工的にそうしたヴィジョンを作り出そうとするのでしょうか。そうしたヴィジョンがなにゆえ快感を産むのでしょうか。ここには、私たち人間の欲望の地平と深く関連する何かがあるような予感がしています。

トップ画像はUnsplashのChor Tsangが撮影した写真

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