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ポルノグラフィーは「リアルさ」を追求しない?

ポルノグラフィーは「リアルさ」を追求しない?

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「見る」の歴史:写真・映像・VRのサムネイル画像
唐戸 信嘉
「見る」の歴史:写真・映像・VR唐戸 信嘉

以前も谷崎潤一郎の短編小説にからめてポルノグラフィーについて考えましたが、ポルノグラフィーは視覚とリアリティの関係を考えるで格好の素材といえます。「見る」ことの欲望がもっとも顕在化するのがポルノグラフィーだからです。事実、知覚論や映像論を読むと、その多くが多かれ少なかれポルノグラフィーに言及しています。そこでの焦点はたいていの場合(私が「エロスの視線とハイパーリアル」の回でも書いたように)対象をモノ化する視線です。ただ、ポルノグラフィーの特徴はそればかりではありません。先日、ゲーリー・ウィルソン著『インターネットポルノ中毒 やめられない脳と中毒の科学』山形浩生訳(DU BOOKS, 2021年)を読んだとき、ポルノグラフィーが私たちの現実感覚に与える影響についていろいろ考えさせられたので、そのことを書いてみようと思います。

インターネットとポルノグラフィー

ゲーリー・ウィルソンの本を簡単に要約すると、インターネットが十分に発達した2000年代以降、ポルノグラフィーに「中毒」するような若者が増え、その過剰消費が現実の人間関係にも影響を与えるケースが出現している、というものです。ポルノグラフィーの歴史は古く、映像としてのポルノも、写真の発明と同時といっていいほどです。視覚メディアとポルノグラフィーは分離できないほど密接に結びついています。では、なぜインターネットの登場で、ポルノグラフィーが突然に私たちの視覚を変えたり、私たちのリアリティの感覚に影響を与えるようになったのでしょうか。

絵画や写真のポルノグラフィーは性的対象を「所有」するために生まれました。そこには、相手を思うままにしたいという人間の欲望があります。それが現実の人間関係とやや異なるのは、相手が生身の肉体ではなくイメージに過ぎない場合、より相手をモノ化して「所有」しやすいという点です。そこには倒錯が生まれます。しかし絵画や写真のポルノグラフィーは、静止した2次元のイメージに過ぎません。性的興奮を引き出すには想像力が必要ですし、そもそも絵画や写真のポルノグラフィーは性的興奮の供給源としてはまだまだ弱い。

動画のポルノグラフィーが登場しても、それが映画やビデオであった頃は、それらにアクセスするにもハードルがあり、次々にコンテンツを消費したりすることはできませんでした。未成年がアクセスするのもなかなか難しかった。だから「中毒」するほどのことはなかった。まったく様相が変わるのが、インターネットが普及する2000年代です。インターネットはポルノグラフィーを完全にプライベートな空間で完結させます。24時間アクセスでき、年齢確認のないものほど無料です。高速インターネットは動画を切れ目なく、しかも同時にいくつものコンテンツを同時に開くこともでき、途中でやめて別のものに飛ぶのも自在です。ポルノグラフィーに限らず、近年は映画やドラマを早送りで見たり退屈な場面を飛ばしたりすることが普通になっていますが、われわれの飽きっぽさがコンテンツ消費を加速化させていることは間違いないでしょう。

旧式の脳と超高画質イメージ

UnsplashのMilad Fakurianが撮影した写真

性的欲望は本能であり、その分、強力なモチベーターです。ドーパミンの分泌と密接に結びついているがゆえ、脳の報酬系回路は性的な刺激に敏感です。ですが問題は、この脳の回路は年代物のシステムであるということです。われわれ人間が原始人だった頃に作り上げたシステムで、コンピュータでいえばとてつもなく旧タイプのハードウェアだということです。低解像度のイメージ(弱い刺激)に適した機械にもかかわらず、それがここ二、三十年のあいだにメガピクセルの動画(強い刺激)を無理やり受像する事態になっている。もう一つの問題は、脳は簡単に欺かれるということ。生身の人間であれ、映像であれ、ドーパミンは分泌される。つまり性的興奮の対象は、必ずしも生身の人間である必要はない。しかも脳は飽きっぽいので、次々に新しい刺激を求める。その要求に応えられるのが、インターネット時代のポルノグラフィーということになります。ゲーリー・ウィルソンはこう言っています。

利用者は自分のドーパミン(ひいては自分の性的興奮)をクリックやスワイプ一つでコントロールできる。ドーパミンが下がりはじめたら、新しい動画をクリックしたり、未開のポルノジャンルにでかけたりして、衰えるドーパミン水準を回復させればいい。これは以前のポルノでは不可能だ。雑誌やビデオテープでは無理だし、チューブサイト以前のインターネットでも不可能だ。
ゲーリー・ウィルソン『インターネットポルノ中毒 やめられない脳と中毒の科学』山形浩生訳、DU BOOKS.

脳は、自分が欺かれていることに気づいていませんし、もはや生殖と関係のない方向へ報酬回路が再編成されてしまう事態に至ります。飽きっぽい脳はどんどん新しい刺激を求め、より特殊で、過激なジャンルを求めることになります。けれども、リアリティの関係で考えると、明らかにネット時代のポルノは私たちをリアルな人間関係から乖離した場所へ連れて行くことは間違いなさそうです。ポルノグラフィーの過激なイメージ(現実からは乖離したイメージ)に慣れてしまうと、現実のエロスは刺激が弱過ぎてもはや脳は反応しなくなるでしょう。いや、こうした事態はすでに起こっているわけです。もっともこれはポルノグラフィーだけの問題でなく、イメージ産業全般に言えることですが、消費者(正確にいうと原始的で騙されやすい脳)のより強い刺激を求める要望に応じ、世の中は現実から乖離した派手で過剰なイメージで溢れかえっています。現実に退屈したわれわれは非現実の世界へ逃避し、われわれの心は非現実の世界に生きているといえます。現実世界に取り残された私たちの肉体は、私たちを現実世界に繋ぎ止めている唯一のアンカーなわけですが、その肉体を私たちはもはや重荷として感じているのでしょうか。どうやらそのようです。

トップ画像はUnsplashのStephen Phillips - Hostreviews.co.ukが撮影した写真


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色彩と「リアル」の関係
立体的に見たいという不思議な欲求

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