ジャズ界のパトロン、ロスチャイルド家のニカ夫人
1988年に公開されたクリント・イーストウッド監督の映画『バード』は、モダンジャズの先駆者であるチャーリー・パーカーの波乱に満ちた人生を描いた作品です。
物語は、娘の死によって心身ともに荒れ果て、麻薬に溺れる彼が、高貴な女性に助けを求め、彼女のホテルで過ごす中で、彼が笑いながらテレビを観ている場面、そして咳き込みながら血を吐いて息を引き取るシーンは、多くの観客の記憶に深く刻まれました。
その印象的なシーンに登場した高貴な女性こそ、イギリスの大富豪ロスチャイルド家の出身でジャズ界の謎のパトロンとして知られる、ニカ・ド・コーニグズウォーター男爵夫人(通称ニカ夫人)です。
Charlie Parker-Donna Lee
ロスチャイルド家は、近代世界史においても世界最大の私有財産を有していたと言われる名門。ユダヤ人富豪マイアー・アムシェル・ロートシルトが1760年代に銀行ビジネスで大成功し、その後5人の息子がさらにロンドン、パリ、フランクフルト、ウィーン、ナポリで国際的な銀行家を確立したというとんでもないスケールの大富豪。そんな名門ロスチャイルド家という大富豪一族の一人の女性ニカ夫人(キャスリーン・アニー・パノニカ・ロスチャイルド Kathleen Annie Pannonica Rothschild)はジャズに出会い、ジャズに魅せられ、国を捨て、ステータスを捨て、結婚生活も、家庭も全てを捨ててモダン・ジャズ全盛時代のニューヨークに単身で渡りました。
多くのジャズ・ミユージシャンたちを支援し当時ジャズ界の謎のパトロン "ニカ男爵夫人" として、ジャズ関係者やジャズファンならその名を知らしめました。
ニカは、名門としてのプレッシャーと外交官の夫との破滅した夫婦生活に疲れ離婚を考えるようになり、イギリスの実家に帰省している時に兄のピアノ教師から聴かされたセロニアモンクの“ラウンドミッドナイト”に衝撃を受けたといいます。
元々ニカにジャズの楽しさを教えたのは、兄ヴィクター・ロスチャイルド男爵でした。
Thelonious Monk - 'Round Midnight(1944)
ニカは、ピアニストのセロニアス・モンクが作曲したジャズのスタンダード・ナンバー「ラウンドミッドナイト」に惚れ込み、モンクに会いたい一心でニューヨーク中のジャズクラブを探しまくりました。しかし出会いの機会はありませんでした。
実は、当時モンクは、NY市の就業許可証であるキャバレー・カードを冤罪で剥奪されており、仕事ができない状況が続き、妻ネリーに生活を支えてもらわざるえない困窮した生活をしていたのです。
パリでモンクが演奏することを知ったニカは、急遽ロンドンからパリに飛び1954年に運命的な出会いをすることになります。以降ニカはモンクが亡くなるまで、金銭的のみならず精神的にもモンクを支援し続けることになったのです。
Thelonious Monk – Pannonica
セロニア・モンクは、モダンジャズの世界で独自の世界観を表現したジャズの歴史に名を刻むアーティストでした。20代でビバップの聖地ミントンズプレイハウスでチャーリーパーカーと共演し、数々の名曲を残しました。一方で双極性障害に苦しみ、晩年はピアノにも触れず口もきけなくなっていたそうです。
それでも最後の6年間はニカの家で、しかもモンクの妻ネリーも一緒に生活をし、1982年、脳梗塞で生涯の幕を閉じました。享年64歳。
パトロンというと如何わしい関係を想像する人も少なくないでしょう。でも男女間で人種、貧富、国籍を超えた音楽が結びつける不思議な共感の友情が存在することはニカの生涯から理解できるのではないでしょうか。
ニカの愛が、ジャズの歴史を変えたのです。
Peace out,
Eric
Vol.9 ジャズ界のパトロン、ロスチャイルド家のニカ夫人
松永エリック・匡史(執筆)
細田知美(編集)
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