冤罪の構造ーなぜ冤罪が繰り返されるのか

2024年5月6日
全体に公開

冤罪の再生産

失敗が繰り返されている典型例として、私は冤罪があげられると思います(参照:人はなぜ間違えるのかー失敗の再生産)。

日本における戦後の代表的な冤罪事件42件を調べたところ、次の証拠がそれぞれの事件に含まれていたことがわかりました。

自白…69%

共犯者供述…35.7%

目撃供述…45.2%

科学的証拠…62.7%

私はこれらの4つの証拠を四大冤罪証拠と呼んでいます。これは同じような原因に基づいて同じような冤罪が再生産されていることを示唆しています。

それではなぜ冤罪は繰り返されてしまうのでしょうか。

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冤罪認識と抑止に向けた動機形成の困難性

犯罪や事故、災害といった危険事象が発生した場合、それらは目に見えるものであることが多いでしょう。また、経済的損害も大きく、会社等の団体や国家機関にとってその予防や回復が急務になることも多々あります。これに対して、冤罪は人間が神の視点に立てない以上、それが発生したことが目に見えず、暗数が生じることになります。

事後的に真犯人が明らかになった場合などでなければ、例えば「証拠上無罪になっただけだ」などと言って冤罪事件の発生を認めなかったり、その責任を回避することもできてしまいます。特に間違えてしまった当事者は、自尊感情を守るため、認知的不協和によって冤罪事件であることが明らかになった後も自分も間違えを認めないことがあり得ます。警察官、検察官、弁護人、裁判官と、刑事司法関係者はそれぞれに役割が分担され、冤罪の原因が複数個所に存在することもあり得るため、互いに責任を押し付けあうことが可能かつ容易であるという構造にもなっているでしょう。

楽観主義バイアス、正常性バイアス、現状維持バイアス等の作用によって、司法の大部分は健全に機能しており、冤罪事件が発生したとしてもそれはごく例外的でやむを得ないことだと考え、冤罪事件を検証したり再発防止策を講ずる必要性が低く見積もられてしまっているとも思います。

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司法特有の冤罪防止の困難性

冤罪の性質だけでなく、司法という作用においても冤罪防止を図ることが困難な原因があります。

まず、司法は国家権力の一つですが、選挙等で選ばれているわけではなく、その国家権力の行使が正当化されるのはひとえに国民の信頼に求められます。誤判等のエラーはこの信頼を毀損する事象ですので、それを認めること自体に抵抗が生じかねないという状況があります。

また、司法は三権分立の観点から高度の独立性が要請されます。裁判官の独立は憲法76条3項によって保障されており、検察官も独任制の官庁として一人で国家権力を行使することが認められています。この独立性から、例えば国会が国政調査権を行使して誤判冤罪事件を調査することは他の権力による司法権への介入ということになりかねません。裁判官や検察官の訴追や判断結果が誤っていたことを前提にその原因を調査すると、担当した人だけでなく今後同種の訴訟を担当する全ての人に実質的な影響が及び、判断方法等が不当に拘束されてしまうことにもつながります。また、自身が調査対象になるかもしれないという懸念が判断結果を歪めることにもつながりかねないという問題もあります。

加えて、裁判官や検察官といった公務員には守秘義務があり、刑事事件に関する情報公開が制限されています。裁判官は評議の秘密があるため、誤った判断に至る過程に関する情報を開示することはできません。さらに、刑事裁判の証拠については刑事裁判にしか使用できないという目的外使用禁止規定(刑事訴訟法281条の4)があるため、冤罪当事者や弁護士が冤罪事件の原因検証のために裁判資料を公開又は譲渡した場合、処罰されるおそれがあります。

これらの結果、これまで最高裁判所が個別の誤判冤罪事件について原因検証を行ったことはなく、検察庁と警察庁も2024年4月時点でそれぞれ5件の冤罪事件しか原因検証を公表しておらず、いずれも内部検証にとどまっています。

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司法におけるフィードバック不足

以上のような様々な困難点から、司法においては十分な冤罪の原因検証とそれに対する再発防止というサイクルが機能してきませんでした。

例えば、捜査機関による内部検証に対しては、数が少なすぎることに加えて、冤罪原因の過小評価や再発防止策の不足が指摘されています。

これまで国家賠償請求訴訟によって冤罪事件の責任追及を行う中で原因を究明しようという試みもありましたが、国の過失を判断するために必要な限度で事実が認定されるにすぎず、法的な過失と言えない原因や過失がなぜ生じてしまったのかという具体的なメカニズム、そしてそれらを防ぐためにどのような再発防止策が必要なのかということまで認定されません。責任の所在が明確になることによって一定の抑止力や社会に対する問題提起としては機能するものの、責任追及のプレッシャーは原因究明への委縮効果を生み、必要な協力が得られない結果、原因が明らかにならないおそれがあります。

そもそも、裁判はフィードバックをもとに改善していくことが難しいという問題点もあります。すなわち、裁判自体が終局的な事実認定作用である以上、その裁判の内容が客観的な真実に合致しているかどうかということは基本的に確かめようがなく、後に新しい証拠や事実が判明した場合にのみ自身の誤りが判明することになります。裁判官は基本的に自身の判決が客観的な真実と合っていたかどうか分からないまま、次の事件を処理しなければならないということです。これは暗闇の中でゴルフの練習をしている状況と同じで、どれだけ裁判の経験を積んだとしても真実を見極める能力は培うことが難しいということになります。

本来は、裁判官、検察官、警察官、弁護人といった各当事者が協働して共通のリスクである冤罪に関して防止の方法を検討すべきだと思います。もっとも、当事者主義においてはそれぞれの基本的な役割が全く異なるということもあり、冤罪防止のための歩調が整いません。

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冤罪の構造

これらの結果、冤罪事件は過去の失敗が学ばれず、同じような原因の下で再生産されてしまいます。

冤罪の再生産を防ぐことができない社会構造を「冤罪の構造」とすれば、それは以下のようなものになります。

①冤罪事件が生じた場合にも、冤罪の認識や検証の困難性から原因究明や再発防止のための検証が行われず、刑事司法に対するフィードバックにつながらない

②失敗や欠陥にかかわる情報の大半が放置され、刑事司法全体がフィードバック不足に陥り、機能不全や脆弱性が改善されない

③刑事司法制度の機能不全や脆弱性により冤罪が再生産される

要するに、冤罪という失敗と向き合うことができない結果、その原因が放置され、同じような冤罪が再び生じているのです。

私は、この冤罪の構造を解消する必要があると思います。

そのためには、第1に、冤罪を学び、冤罪に学ぶことが必要不可欠です。過去の冤罪の原因を学ぶことによって、将来の同様の冤罪を防ぐことができます。また、冤罪そのものの原因を学ぶという中立的な取り組みであれば、立場を超えて誰もが協力できると信じています。

第2に、冤罪原因の検証機関が必要です。諸外国のように冤罪原因究明第三者機関を法律で設ける必要があります。過去の失敗に対する批判や責任追及を目的とした場合には国家権力間の緊張状態が生じてしまいますが、そうではなく将来の刑事司法の改善を目的とする冤罪の原因究明は司法権の独立を害するものではありません。

第3に、刑事司法の透明化が必要です。冤罪原因の検証においては、公益を追求するものとして守秘義務等の対象から除外する必要があります。また、刑事裁判における開示証拠の目的外使用禁止規定について、冤罪に陥れられた者が自身の冤罪事件の証拠を損害賠償請求や検証のために用いた場合に処罰されるということは、法治国家として不健全だと言わざるを得ません。これらの用途は例外的に開示証拠の使用が認められるべきであり、そのことを明確化すべく法改正がされるべきだと思います。冤罪に関する情報をきちんと呈示したうえで、その防止策について社会として取り組んでいく必要があります。

日本には、冤罪はあってはならないという理想のもと、現実に生じている冤罪事件が否定や過小評価され、責任追及で終わってしまっていると思います。しかし、失敗をしない司法など幻想であり、失敗から学ぶことができる司法こそが真に信頼に値する姿勢だと思います。

人は誰でも間違えるという現実を出発点にして、過去の冤罪から学ぶことによってこの問題と向き合う必要があると思います。

プロフィール

西 愛礼(にし よしゆき)、弁護士・元裁判官

プレサンス元社長冤罪事件、スナック喧嘩犯人誤認事件などの冤罪事件の弁護を担当し、無罪判決を獲得。日本刑法学会、法と心理学会に所属し、刑事法学や心理学を踏まえた冤罪研究を行うとともに、冤罪救済団体イノセンス・プロジェクト・ジャパンの運営に従事。X(Twitter)等で刑事裁判や冤罪に関する情報を発信している (アカウントはこちら)。

今回の記事の参考文献

参考文献:西愛礼「冤罪学」、ブランドン・L・ギャレット「冤罪を生む構造」、えん罪原因究明第三者機関ワーキンググループ「えん罪原因を調査せよ」、マシュー。サイド「失敗の科学」。なお、記事タイトルの写真についてはGetty Imagesの mills21の写真。

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