脳が壊れたまま働くということ@NewsPicks

2023年10月19日
全体に公開

迷う。なぜ、僕はこんな文章をわざわざ書こうとしているんだ? 読んだ知人がとまどったり、遠慮したりするだけじゃないか?

まただ。また僕はネガティブな想像を、過剰に膨らませている。きっと脳の機能障害が悪さをしているだけだろう。

わからない。今の自分は「ふつうの自分」なのだろうか?

僕はそこで、意図的に思考を停止する。

脳が不規則に乱れ続ける自分にとって、いつだって「明日の自分」は「今日の自分」と一緒じゃない。アイデンティティ(自己同一性)なんて幻想にすぎない。ゆらぎつづける自分が「今なんとなく書きたいと思った」、その一瞬がすべてなんだよ。

自分に言い聞かせるように、僕はいたずらにキーを叩く。

もっと早く「ふつう」に戻ると思ってた

2021年、僕は1年という長い休みに入った。

診断は「双極性障害II型(ひと昔前の「躁鬱病」)」。

復職してから、もう1年半が経ったことになる。タイトルどおり、僕の脳は「治って」いない。部分的に壊れたままだ。

まず「脳の体力」が戻らない。たとえて言うなら、5年間使い続けたスマホのようだ。いくら充電してもバッテリーは50%以上貯まらず、そのくせ、倍の速さで減っていく。

それでも、人の助けをひたすら借り続けながら、どうにか書籍レーベルNewsPicksパブリッシングの編集長を続けられている。働くことの苦しみと喜びを、前にもまして噛み締めている。

自分が「元気」かわからない

「どう、元気?」

気遣ってかけてくれる知人の声に、僕はうまく答えられない。

もしこれが身体の不調だったなら、たとえば「疲れたけど、あとこれくらいはいけるかな」と感じとることができただろう。

でも、脳には、元気さ、そして痛みや疲れを知覚する機能がない。

「ん? ぼちぼちかな〜」

都合のいいときだけ関西人ヅラが得意な僕はいい加減に答え、「なんとなく元気な気もするし、そうでない気もする」という不安を引きずったままミーティングに臨む。原稿を読む。企画について議論する。

Unsplash(Randy Tarampi)

元気じゃなかった場合、そのことに気づくのは、たとえば「文章が入ってこない」「集中力が5分で切れる」など、外の世界から返ってくるフィードバックが届いてからだ。「自分が元気かどうか」は、いつも事後的にしかわからない。

まるで、点在する沼地にはまるのを恐れながら、目隠しで歩いているみたいだ。もし沼地に沈んだら、気づくのは体が傾いたその瞬間ではない。どっぷり頭まで泥につかり、息ができなくなってからだ。

ただ、幸い最近はまったく動けないほどのひどい不調はほぼなくなった。低位安定といった感じだが、働けるだけでもありがたい。

相手の目を見て話せない

機能障害が出てはじめて理解したのだが、「人と話す」というのはとんでもなく複雑な行為だ。

まず「聞く」。

並行して「相手を見る(表情も重要な情報だ)」。

並行して「考える」。

並行して「(考えたことを)覚えておく」。

並行して「(覚えておいたことを、間をはかりながら)伝わりやすい組み立てで話す」。

今も、これらがまったくできないわけではない。だが、30分に一度は休憩をとるのが望ましい。限界は90分だ。回数も限られる。

ヒトが話すにあたって、「表情」は非常に重要な情報源だ。表情筋だけで、じつに30もあるという。理科室の人体模型をイメージしてみてほしい。顔という小さなパーツに、「表情をつくる」ためだけに30以上の筋肉があるのだ。多すぎる。つまり、それだけ、僕たちは表情を駆使した複雑なコミュニケーションを必要としてきたと言える。

そしてこの複雑さを、今の僕は処理できない。「相手を見る」は、次第に意図的にしなくなっていった(相手を見なくていい電話は比較的楽だ。面白いのが、子ども相手だと目を見ながら話せること。複雑なコミュニケーションがいらない世界なのだろうな)。

僕は最近、仕事相手の方にはいつも「目を見て話せませんが、決して不機嫌なわけではありませんので」などと、相手側も返事に困るであろうエクスキューズをごにょごにょと最初に伝えるようにしている。

「全然、ふつうでしたよ」

エクスキューズから始まる僕の「働く」。でも、終わる頃には、「全然、ふつうでしたよ」と言われることも多い。

この「弱さ考」を書き始めてから、対談の仕事が増えた。対談などはその典型だが、仕事は始まってしまうと楽しく、つい調子に乗ってしまう。

ただ、それは、要は「元気の前借り」にすぎない。返済からは逃げられない、悪魔の契約だ(ちなみに散歩は元気が出るわりに反動が少ないため、ミーティング時は可能な限り歩くことにしている)。

『誤作動する脳』という本がある。

著者は「レビー小体型認知症」を発症した樋口直美さん。彼女は「脳の機能障害によってすぐグッタリ疲労する自分が、なぜ一時間超の講演をこなせるのか」についてこう表現する。

脳にとっては楽ではありません。10万キロ走ったポンコツ軽自動車の上に真新しい乗用車のボディを載せて、時速150キロで一時間疾走するような感じです。「なんだ、ちゃんと走ってるじゃないか。見た目も普通だし……」となるのですが、走行後、車庫に入った姿は誰も知りません。
『誤作動する脳』(医学書院)

あっ。

思わず声が出そうだった。自分のことだ、と思った。

脳が短時間で劇的に疲労する症状は「易疲労」と呼ばれ、さまざまな脳の機能障害に共通してよく見られる。

一時間を堂々たる走りっぷりで駆け抜け車庫に入った車は、シャッターが閉まったあと、ひっそりとエンジンを停止する。そして、誰にも見られない暗闇で、ただじっと、身を潜めている。

周りの人からすれば、たぶん仕事中の僕はそこそこ「ふつう」だと思う。まるでゆでたまごが、見かけだけで完熟か半熟かわからないかのごとく。

本音を言えば、「このしんどさが目に見えてわかってもらえりゃ楽なのによー」という気持ちもないではない。ただ、「見えなくてよかった」のほうが明らかに大きい。この半熟の「ドロドロ」が外に見えてしまったら、僕の社会的な関係性はそのままではいられないだろう。

「疲れる」けど、やりたくて。

易疲労(そして時に軽い躁によるエネルギーの空費)とともに働くままならぬ自分。ただ、「極度に疲れる」は「できない」を意味しない。できるのだ。やりたいのだ。

そして、僕はある程度だが「やれて」いる。いろんなラッキーが、僕を取り囲んでいる。障害をオープンにできているし(それは自分の意思だけで為せることではない)、チームメンバーや社外の方も含む「仕事仲間」や家族が、積極的にサポートしてくれる。勤務時間も場所も自由な会社で、障害に理解もあり、自分のペースで休憩を入れられる。

もうすぐ始まる、動画対談シリーズのワンシーン。対談相手をほったらかして床に寝転がろうとするわたくし

でも、もし自分が比較的ペース配分が自由な職種でなければ。「編集長」という肩書きがなければ。「自分にはこれができる」と思えるものがまだ育っていなければ。一般論だが、職を失っていてもおかしくなかった。

マジギレする35歳

さて、話は変わるが、僕の脳が機能障害を起こしたのは、娘が3歳の頃だ。今は5歳だが、まあ元気なこと。

僕は脳の機能障害のため大きな音に極度に弱くなった。しかし、娘は、自分のペースで、おもむろに泣き、叫ぶ(3〜5歳児というのはそういう生き物である)。

この時期、僕は突然大声を出す娘に何度も「キレ」た。とくに症状がひどかった昨年は、自分でも驚くほどの音量で「うるさぁぁああい!!!!!!!!!」と何度も叫んだ。

「キレない人間」から「キレる人間」に変わるとわかるのだが、人がキレるのは極限まで追い詰められたときだ。

深めの鬱状態だった時期は、存在し、呼吸しているだけで苦しかった。エネルギーが枯れ果てていた。

そんな状態の僕に娘が大声で叫んだ瞬間、理性は一瞬で吹っ飛ぶ。僕は叫ぶ。意識的に、ではなく意識を喪失した結果として、絶叫する。

時折「キレる老人」がニュースになるが、これも僕は「自分のことだ」としか思えなかった。段々できないことが増え、世界との折り合いがつかなくなっていくなか、限界まで水が満ちたコップに、何かが最後の一滴として注がれたのだろう。その一滴を指差して、何を言っても意味はない。

「加齢とともに、感情を制御する脳の機能が低下する」という認知的な理由があるのも承知しているが、むしろ僕はその点にこそ、一層の共感を覚えてしまう。

剥き出しの感情へのアレルギー反応

いまのところ、さすがに大人相手にキレるようなことは起きていない。

が、逆に困っているのが、「怒り」という感情そのものへのアレルギー反応だ。

僕はいま「誰かが怒っている」「自分の中に怒りを感じる」シーンに出くわすと、パニック的な症状に陥る。

「あ、怒ってる」

その感情が他人のものであれ、自分のものであれ、パニックは僕の制御できない形で姿を現す(現さないこともあるし、数日遅れで来ることもある)。そのとき、踏みしめていたはずの大地は液状化し、沼地へと姿を変える。

「ああ……」

底の深さがわからない沼に自分が沈んでいく。そのことを、僕はただ知覚する。

わかっちゃいるんだな、これが

「パニック的な症状」もさまざまだ。自分の場合、「原因不在の不安」という表現が最もしっくりくる。

不安というのは、一般的に「原因」を持つ。だが、僕の不安には「原因」がなく、「結果」としての「不安」だけがなぜか生じる。

たとえるなら「あと10分でこの部屋から出火することがわかっているが何もできない」ような精神状態がずっと(短くて半日、長くて数週間)続く。

仕事はできる。が、なにせ「あと10分で出火だ」という思いを振り払うことができないままこなしているので、落ち着かないことこのうえない。

不安がほぼ「同伴」で連れてくるのが被害妄想だ。「きっとあの人は僕を(嫌った or 信頼しなくなった)に違いない」という考えを振り払えない。慣れたもので、それが「妄想」だということ自体は、ある程度、自覚できるようになった。

ただ、自覚はできても制御はできない。身体的に書けば、被害妄想から「目をそらす」ことができないのだ。両手で無理やり首を曲げて角度を変えても、手を離した瞬間に再びその見たくないものを凝視してしまう。瞬きすら許されない。

わかっちゃいる。被害妄想にすぎないことも。信頼が失われていないことも。あと10分で出火なんてしないことも。

わかっちゃいるけど、どうにもできない。程度の差はあれど、それは誰しもが抱える人生のままならなさだろう。

「わかっちゃいる」と「うまくいく」の間にある、無限の距離。

待つということ

では、どうするか。

ただ、そのままでいる。

制御などできないのだから、ひたすらに去るのを待つ。嵐に揺られ、しなる樹のように。

「原因と結果という因果律を超えてただそこにあるもの」の存在を、僕はただ感じようとする。「ただ」というその2文字に、少しの誇りと力みをこめながら。誇りにでもしないと、やってられないから。

ちなみに、「脳が制御できなくなる」のトリガーは怒りだけではない。むしろ、それは、全体のうちのごく僅かな「トリガーが特定できたパターン」だ。ほとんどの場合、僕の脳の具合は、まったく無意味に悪くなる。

苦しさに意味を与えない

作家・西加奈子さんが、自身のガン治療の過程を綴った『くもをさがす』の中で、次のような趣旨のことを語っていた。

「抗がん剤治療でいちばん辛かったのは、激しい副作用でも、好きなことができないことでもなかった。『今日は絶好調だった』と振り返れた日が、1日もなかったことだ」

わかる。ああ、腹からわかる。

発症から2年半、一度もなかった。「今日はふつうの1日だった」と思いベッドに入れた日が。

数えるほどしかなかった。夜中に目を覚まさず迎えた朝が。

たしかに、苦しい。でも、苦しさも脳の機能障害も、それ自体は悲劇ではない。

それらが悲劇になるのは、苦しむ自分を「悲劇の主人公」としたとき、「機能障害を持つ自分」にアイデンティティを付与したとき、つまりそれらを自分の物語に組み込んだときだ。

物語はときに人を救う。というよりむしろ、物語は人を救うためにある。だから、もし今なんらかの苦しさを自分の物語に取り入れる人がいても、僕はまったく、責めなんかしない。

ただ。

ただ、僕はちっぽけな誇りとして、苦しみに意味を与えてやらない。

「苦しんだからこそ今の自分が」と一体化することもなく。

「苦しみを乗り越えたからこそ」とV字回復に見立てもせず。

ただ、「おのずからあるもの」として苦しみを認識し、「物語化」の誘惑を丁寧に払いのけていく。

疲れるからって、できないわけじゃない。

苦しいからって、(こんな文章なんて書かずに)横になってたほうがいいわけじゃない。

今日の自分は、明日にはもういないから。

だって生きてるんだから。

心配いらんよ

ここまで読んだ友人知人よ、心配はいらない。

苦しみを、「ただ、そこにあるもの」として受け止める。それがいいものか悪いものかという価値判断をあえて停止する。そんな自分なりの拙い哲学を生き始めて、僕はむしろ、性格が少し明るくなった。なぜだろう。強がりではなく、自分が「悲劇の主人公」とは、どうしたって思えないのだ。本当に大事なことと、そうじゃないことの見分け方が、少し上手になったからかな。

なんでこんな文章を書き始めたのか、やっとわかった。

苦しいんだけど、疲れるんだけど、それでもなんとかやってるわ、意外と悪くないんだわって、心配してくれてる人に、それだけ言いたかったんだった。

これまでもこれからも、いろいろ迷惑かけるけど、正直あまり罪悪感はない。でも、感謝の気持ちはいっぱいです。ありがとね!これからもよろしく!!!

※「弱さ考」7ヶ月ぶりの更新となってしまいました。今後は(たぶん)頻度をあげる(予定)!

井上慎平Twitter / NewsPicksパブリッシングNewsletter

Unsplash(edu-lauton)

トップ画像:Unsplash(Milad Fakurian)

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