なぜ東大合格高校ランキングは盛り上がるのか(その1)

2023年3月17日
全体に公開

春らしくなってきましたね。

春は卒業・入学の季節ですが、この季節にメディアを賑わすものの一つとして、全国の高校東大合格者ランキングがあります。だから、というわけでもないのですが、たまたま手に取った『東大合格高校盛衰史』(小林哲夫著)をとりあげたいと思います。

高校の盛衰(東大合格者数の観点で)は、かつて学習塾経営にも参画した私には大変面白い本でした。生徒数が3年から6年で入れ替わってしまうこと、特待などの設計に自由度が高いこと、学習塾との連携(優秀な先生を薦めてもらえるかどうか)などの外部連携、で10年スパンくらいで名門校の顔ぶれはコロコロと変わってしまいます。傍からみれば競争社会の縮図として面白いですね。

ただし、『東大合格高校盛衰史』はデータや事実が客観的に記述された本なので、読みづらいと感じる方もいらっしゃるかもしれません。48都道府県の学校の歴史が、東大合格を切り口に整理されているので、読みづらい方々は、出身地のページを開くだけでも面白いかもしれません。

国立大附属の不正がきっかけで(受け皿として)躍進した私立中学校(久留米大附設)や、共学化の流れにあえて対抗して進学校の地位を堅持した公立高校(浦和高校など)など、地元の人も知らなかったような歴史的エピソードが満載です。

本書を基に論点整理と私の仮説を紹介しながら、読み進めていきたいと思います。

受験戦争の鎮静化政策が、かえって受験戦争を加熱させた?

数年前の推薦入試導入が話題となった東大入試ですが、過去入試改革の取り組みは様々にありました。たとえば、小論文(英語含む)中心の後期入試導入は、学生の多様化を図ったものでした。それまで合格者がいなかった地方高校から合格者がでるなど、一定の効果はあったようですが、そのうち「前期落ちの敗者復活戦」の様相が強くなり廃止となりました。

過去には京大とのダブル受験が認められたこともありました。その結果、京大受験がメインであった関西の名門校が、東大を受験するようになりました。灘高校などの関西高校が(東大合格者数で)躍進したのはこの頃からです。

しかし、最大の変化は公立高校の総合選抜導入でした(地域によっては、公立高校全入化)。日比谷高校などの合格者一極集中を避ける目的でした。

 大江健三郎は支持を表明している。「ぼくは早くからエリートを分けて、特別な教育をして東大から企業へと送りこむことには反対です。できるだけ長い間、いろんなタイプの人間とつきあい、ともに学んでそれ以後に大学へ行くほうがよいと思い ます。 そのほうが画一的でない人間をつくるのに有効だと思います。だから学校群 には賛成です」(『 朝日ジャーナル』、 11月13日号)。
小林 哲夫. 改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖~ (光文社新書) 

結果として起こったことは、公立高校から私立進学校への流出でした。この頃から、日比谷の受け皿であった開成も躍進します。かつては、開成中学の生徒の一部は、高校から日比谷に進んでいました。

このような流出がなぜおこったのか?逆にいえば、当時の知識人はなぜ高校の(学力)標準化が可能であると思ったのか?

この背景には、「公立高校と私立学校には人気格差があり、よもや私立高校に生徒が流出することはないだろう」という仮定(甘え?)があったように思います。

しかし、このように総合選抜の有効性が考えられたのは、一定の合理性があったように思えます。私の仮説を紹介します。

①学費の差による公立高校の人気継続

そもそも私立は学費が高いので、普通に考えれば、同じ品質であれば、私立学校は圧倒的に不利です。しかし、教育ビジネスは必ずしも(価格による)市場原理が働くわけではなく、市場や所得との弾力性が低いことが最近わかってきました。親の所得層に関係なく教育(塾を含む)にかける金額は、全国で同じような額(しかも結構高額)だったりします。

②伝統公立高校ならではのネットワークの価値

今でも地方の公立高校などは、卒業生のつながりが濃厚です。例えば某市においては、○○西・東高校からしか市長が出ないとも言われています。だから、よもや私立学校に生徒が流出しないだろう、と思っても無理はなかったと思います。しかし実際には、学校としての歴史は浅くとも、私立学校は人気になってきました。このような私立高校もそのうち多数の卒業生を輩出するようになり、卒業生の総理大臣に引き上げてもらうなんて時代も来るかもしれませんね。

③マスコミも受験戦争を否定的にとらえていた

先の大江だけでなく、知識人も受験戦争からの解放を支持していたわけです。しかし、本音と建前は違います。ゆとり教育で塾通いが増えたように、公立高校の低落は一部受験校への流出を招いただけでした。

東大卒の知識人が東大偏重を非難するのは、環境が負荷が高そうな企業がSDGsを声高に叫んだり、社会に批判的態度をとるバンドマンが、実は子供をエスタブリッシュメントな学校に入れていたりするように、普通の人からするとしらじらしい感じがしたのかもしれません。

「『 偏差値価値観』の犠牲者」「 塾で身につけた『 差別感覚』」 という見出しで「 今の教育体制では、『勉強』 することしか能力や趣味を持たない子か、あるいは周囲の重圧によってそのように改造させられた子、つまりは異常な子でなければ、なかなか進学できなくなった」(「朝日新聞」、79 年2月 21 日、24 日)。  記者は本多勝一氏である。受験体制を作り出した社会が悪いと読み取れる。
小林 哲夫. 改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖~ (光文社新書) 

受験戦争をやめさせるための取り組みが受験戦争をさらに加熱させた、という皮肉

「受験戦争」という言葉自体は1920年代からあるようですが、批判の中でも特に特定高校からの入学者が多いということはずっと問題になっていました。

この問題の根深さを、下記の引用以上にシュールに表現したものはないでしょう。

  中教審委員の渋谷教育学園理事長、田村 哲夫氏はこう訴えていた。
東大が少数の高校で占めている寡占状態を防ぐことは意味がある。現在の入試は、人間の持っている数多くの能力のうち、もっぱら記憶力だけをテストしているが、それだけなら訓練でかなり伸ばせるし、そのノウハウばかりを備えた大都市圏の生徒が有利に なる。( 略) 東大 に人気が集中する歪んだ序列から変えなくてはいけない」(『 週刊朝日』、91 年5月 3 日・10 日 号)。   
これから 11 年後の02年、同学園系列の渋谷教育学園幕張が東大合格者で県立千葉 を超え県内トップになる。東大寡占組の仲間入りを果たしてしまった。
小林 哲夫. 改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖~ (光文社新書) (p.135). 強調は筆者

私の20年以上前の記憶が正しければ、渋谷幕張は実際に、特待生や国際コースも作って多様化を図っていたように思いますが、なかなか根深い問題ですね。

「本音と建前」としては、下記のような引用もあります。

(週刊誌の東大合格者数の掲載について)「ぼく自身は、あまり熱意がないので、来年は東大に限らず、全部やめちゃうかもしれない」(『 週刊読売』)。 同誌は翌年も続け ていた。
小林 哲夫. 改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖~ (光文社新書)  ()は筆者補足

本書によると、週刊誌での東大合格者数発表に、一年がかりの労力がかかるそうです。日本のマクロを考えると、「こんなことに時間とお金をつぎ込むべきなのか」という問題がありそうですが、出版社としても売れる限りは、このような努力を続けざるを得ないんでしょうね。

こう考えると、現状の東大合格者数をめぐる、学校・生徒(親)・ビジネスは、全体最適でないものの、ある種のナッシュ均衡に陥っており、東大合格者数から離れれば離れるほど誰かしらが不利益をこうむるという状態になっています。

2000年代にはいり総合選抜選抜が廃止されると、地方では公立高校が復権しました。首都圏は以前として私立が強いですが、日比谷や、中高一貫公立なども合格者を伸ばしており、復権も近いかもしれません。

ちょっと長くなりましたので、ここら辺で止めておきますが、次回は、学校やビジネスにおける、東大合格のインセンティブについて考えたいと思います。

ちなみに、東大の問題自体は非常に優れています。ビジネスマンにとっても示唆が多いので、拙著もご覧ください!

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