なぜ東大合格者ランキングは盛り上がるのか(その2)

2023年3月28日
全体に公開

前回は、長年の非難にもかかわらず、また皮肉なことに非難によってますます「受験戦争」が加熱している現状について述べました。

今回はなぜ東大合格者数を学校が競ってしまうのか、そのインセンティブ構造に焦点を当てたいと思います。

前回同様に、『東大合格高校盛衰史』を基にしております。

東大合格者数が県立進学校の死活問題?

企業にとって利益が最重要の指標であるように、東大合格者数が進学校の最大の指標となっています。『東大合格高校盛衰史』を読むとわかるのですが、地方公立高校(特に旧制中学)の教員が憑りつかれたように、東大合格者を気にしている現状があります。

同校(筆者注:青森高校)の学校史にマニフェストが掲げられている。「最大の目標は、現役生の東京大学・京都大学の二桁進学である。本校の例年の現役合格者は5人前後。それでもほぼ毎年県下ナンバーワンであった」(『 青森高校百年史』、 03 年)
小林 哲夫. 改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖~ (光文社新書) 

マニフェストは、企業でも政治でもだいたい破られるものですが、高校においては「合格者増加」マニフェストは結構真剣に取り組まれている気がします。

もちろん難関大学の合格者数は指標として分かりやすいですし、他校との分析において比較されやすいので真剣に取り組まざるを得ないのだと思います。企業において、定性的な目標よりも、当期利益などの比較可能な数値へのコミットが強いことに似ていると思います。

しかし、公立高校特有の問題としては、多くの公立高校が廃校や統合の危機を抱えていることにあります。進学率はその最大の防衛に働くのです。

02 年、渋幕が県立千葉を1人差で追い抜いてしまう。県立千葉関係者は大きなショックを受ける。この年、県中高一貫教育研究会議を設置した。「東大に行かせますと言えば、公立にかなり集まると思う」などの発言が会議録に残る。
小林 哲夫. 改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖~ (光文社新書) 

東大合格者数が、学校の格に影響を与える?

東大合格者数は、私学経営の地位にも影響を与えます。渋谷幕張の設立者の田村氏は下記のように語っています。

第一期生が卒業した時、一人だけ東京大学へ合格しました。それから周りの見る目 も変わり、年々、優秀な子供たちが集まるようになりました。今では千葉県のトップ校に躍り出 たと自負しています」(「 日本経済新聞」、 07年9月17日付夕刊)
小林 哲夫. 改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖~ (光文社新書) 

本書では、その発言が見向きもされなかった(渋谷学園創設時の)田村氏の発言が、東大合格者増加に伴い、公的な場でも注目を集めるようになったことをあげています。

さらに、新自由主義的な政治も、東大合格者数へのプレッシャーに拍車をかけています。

08 年8月、橋下知事は全国学力テストで大阪府が2年連続下位だった点について、「このザマはなんだ。教育委員会には最悪だといいたい。民間なら減給はあたりまえだ」と発言。
小林 哲夫. 改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖~ (光文社新書) 

東大合格者数をベンチマークすることの帰結

企業の利益は青天井ですが、東大合格者数は限界があります。生徒全員が東大に合格すれば終わりですし、東大の受入れも上限があります。これが「受験戦争」の最大の問題だと言えます。

数に限界があるものを競争によって奪い取ると何が起こるか?そこには疲弊があります。

疲弊が起きるのは生徒、あるいは親にとっても当てはまるのですが、実は学校にとっても同じことが起こります。ゲームと同じで、合格者数においてある程度実績をだせば、学校側も官僚的になります。過去このような指導で合格実績が伸びたのだから、同じやり方で良いだろうという発想をするようになるわけです。

このあたりは、ウェーバーの官僚制議論も参考になります。

あるいは学校側も飽きてきます。合格者数が伸びている間は、教師もやりがいがあるのでしょうが、ある程度の人数で高止まりしてしまうと、それ以上延ばすというよりは人数を維持しようとする思考が強くなります。その結果、モチベーションを失ってしまうことがあるようです。フィクションではありますが『ドラゴン桜』の龍山高校も同じような話で衰退しました。

同じような疲弊は、理論上は学習塾にも起こるのでしょうが、今のところは見られません。学習塾にしてみれば合格者数よりも利益という別の追求指標があることに加えて、顧客である生徒や親のニーズが多様であるためかもしれません。

必ずしも全員を東大に合格させることが目標ではなく、下位層を底上げしたり、あるいは地元国立大学も含めた、まざまな選択肢を提供することが可能であるため、企業としての利益目標に上限がないこともあるのだと思います。

ニューフロンティアをどこに求めるのか?

このように、学校にとってはインセンティブに限界がある中、強烈な指導者や、東大合格以上のインセンティブが学校に求められてきます。

例えば、かつて東大合格者数上位だった、神奈川の桐蔭学園は、理事長の逝去後(進学実績においては)低迷していますが、このことは指導者が、先生のモチベーションを維持する上で、いかに重要なのかということを物語っている気がします。

経済理論的には、企業が利益を取り尽くしたのちは、新市場の開拓による利益獲得を狙います。開成の校長に就任した柳澤氏の発言は、この資本主義の特徴を表しているように思います。

「新しい物事を判断しようとするとき教員は前例を調べましょうと言い出す。これ では思考 停止につながります。そこで、まず自分たちで判断することを徹底させました」(「 文藝春秋」、21年12月号)。 
13 年、柳沢校長は学内に国際交流留学生委員会を設置し、海外に留学する道筋 をつけた。柳沢校長自ら海外の大学に推薦文を出すことがあった。14 年、開成から ハーバード大、プリンストン大、イェール 大など海外トップ校の合格 者を出して いる。
小林 哲夫. 改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖~ (光文社新書)

大学受験とナッシュ均衡

このように観ていくと、日本の大学受験システムが、ある種の「ナッシュ均衡」に陥っている可能性があります。つまり国全体で見れば、必ずしも最適な教育システムになっていないにもかかわらず、生徒・親、高校、大学、そして塾など教育ビジネスにとって、今の体制が大幅に変わってしまえば、どのプレイヤーも何かしらの不利益をこうむる状態になっています。

この均衡状態を「ナッシュ均衡」と言いますが、一般にナッシュ均衡において、プレイヤー自らが変革を起こすことは想定しづらいとされています。たとえば、局地的には、超進学校が、自己変革を起こす可能性はありますが、全体を牽引することはまれです。

武蔵は、超進学校であるがゆえに、東大合格者数にも、塾や生徒からの評判にもこだわらなくなりましたが(「ウケケする学校」というのは受験対策がしやすかったり、塾などに対して説明会を実施しているケースです)、結果としてはランキングを落としました。

本当は、伝統と、優秀な先生、優秀な生徒に裏付けられた超進学校であるがために、独自のカリキュラムを行ない、合格実績とは別の価値観を持つ学校が増えてもいいのですが、「ナッシュ均衡」においてはそのような動きは限定的です。武蔵も、近年は学校方針が変わり、再び御三家にかえり咲きつつあります。

したがって、1920年代から「受験戦争」という言葉が使われているように、我々の子世代も孫世代も同じように受験戦争を戦わざるを得ない可能性が高いと思われます。

この均衡が崩れるとすれば、顧客である子供・親の価値転換が起こる可能性だと思います。

例えば、米国の大学と、日本の大学が天秤かけられ「東大よりもハーバードの方が上だよね」というような会話が一般的になれば、東大をはじめとする日本の大学の制度も、大きく変わらざるをえません。欧米のように、Admission Officeによる審査や推薦がメインになれば、予備校業界は激変するでしょう。

また、国立大学の対抗馬としての私立大学、そしてその系列校がどのようなポジションチェンジを起こすかによります。現時点では、例えば早慶の附属中学に受かったとしても、「超進学校」に合格すれば、そちらを選ぶケースが多いように思います。

しかし、実績だけで考えれば、たとえば「超進学校」に進んだとしても、期待値としてはせいぜい早慶ぐらい。最近の傾向で言えばMARCHも相当に難しいです。合理的に考えれば私立の附属中学、高校の人気が(今でも高いですが)、もっと高くなってもおかしくありません。

あるいは学校経営に目を向ければ、付加価値を高めて、高い学費を実現するということが一般的に行われてもいいような気がします。現時点ではどこの中学校も高校も、(公立・私立で授業料が異なるものの)どこも同じような水準の学費になっています。しかし、本当に優れた教育を行う学校なのであれば、授業料がもっと高くても生徒を集めることは可能だと思います。日本で最も高い学費とされている、また、日本で唯一の医学部附属高校である川崎医大附属高校などは、ひとつのロールモデルとして、もっと注目されてもいいような気がします。

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