スポーツに政治を持ち込むのはアリ?ナシ?

2022年11月28日
全体に公開

みなさま、こんにちは!カタールワールドカップは、本当に熱戦が続いていますね。

開催国のカタールこそ残念な結果ですが、日本をはじめアジア勢やアフリカ勢など、毎日のように「格下」とみなされるチームがアップセットを起こし、興奮冷めやらぬままベッドに入る日々です。

個人的にここまでで印象に残ったのはエクアドル代表です。(サッカーに詳しくはないのですが)速さと力強さがすごくて、オランダ代表をタジタジにしている印象を受けました。

今回の話題はそんなワールドカップでもホットになっている「アスリートと政治」の関係についてです。ぜひ皆さんのご意見もお聞きしたいです。

カタールの人権状況はだいぶ悪い

今回のワールドカップは、始まる前にはとにかく人権状況が批判された大会でした。最大の問題はカタールで働く外国人労働者に関するものです。

そもそも、カタールは人口300万人の非常に小さな国。そしてそのうち、カタール国籍の人の数は1割強にとどまります。残りの9割近い人々は外国からやってきた労働者です。(2019年の推定値)

カタールは小国でありながら、石油資源を売りまくって裕福になっています。しかしインフラから何から、とにかく人が足りないので、反映するためには人を外から連れてくるしかない。

そこで用いられているのが「カファラ制度」というシステム。カタール人雇用主が保証人として外国人に職を提供し、ビザが発行されるというものです。これは他の裕福な中東の国でも見られます。

問題は、仕事を求めてカタールにやってきた人たちの人権が守られていないという点です。

Elsa / スタッフ

カファラ制度のもとで働く人たちは、カタール人のような水準の給料をもらえないどころか、半ば強制労働のような境遇に置かれるとされています。

労働者は職を得る代わりにパスポートを没収されるケースもあり、カタールから逃げ出す事もできない。現代の奴隷制度とも言えるような環境に置かれているそうです。

近年はILOでの条約違反の申し立てや人権団体からの圧力もあってカタール政府は改善を主張していますが、ワールドカップのスタジアム建設では外国人の死者が6500人に上ったという報道もありました。

↓この記事などはなかなか衝撃的です。

ワールドカップ外国人労働者 相次ぐ “死因不明”(NHK)

口を塞ぐドイツ、国歌を歌わないイラン

そしてカタールは、同性愛が禁止されています。これはほとんどのイスラム教の国々からしたら普通のことですが、やはり欧米の感覚では人権侵害です。

そこで強豪のイングランド代表は11月21日の初戦で、キックオフ前にピッチに片膝をついて抗議の意思表示をしました。これは人種や性における差別反対の意思表示を意味します。

Alex Pantling - The FA

ちなみに、このイングランドの試合では、もう一つのシーンも非常に注目されました。

対戦相手のイラン代表は国歌斉唱のときに皆一様に険しい顔を見せ、一人も国歌を歌いませんでした。

国内ではやはり女性の人権問題に端を発する巨大なデモが行われていて、それへの連帯を示した形です。

Matthias Hangst

前述の性的マイノリティーの件では、多様性を訴える虹色の腕章の着用を拒否されたドイツ代表が日本戦の試合前に口をふさぐポーズをとって「言論封鎖」に抗議するシーンも見られました。(バナー画像参照)

アスリートの政治的発言への拒否感は根強い

このように、サッカーそのものと並んで政治的な話も話題になっている今回のワールドカップ。ただ、政治的な主張をスポーツの場で行うことには否定的な意見もあります。

例えば、ドイツ代表をくさしたのがベルギーの主将、エデン・アザール。ドイツ代表について尋ねられ、こう発言しています。

ああ、でもそれで試合に負けてしまったからね。そんなことしないで、勝った方がよかったんだ。僕らはサッカーをするためにここにいるのであって、政治的なメッセージを送るためにここにいるのではないし、そのためにもっとふさわしい人がいる。僕らはサッカーに集中したい
(Goal.comより)

虹色の腕章は同じくベルギーも着用予定でしたが「サッカーをするためにここにいるんだから、そのことについて話すのは気が引ける」とも発言しています。

日本サッカー協会の田嶋会長も次のように述べています。

今この段階でフットボール以外のことを話題にするのは好ましくない。(日本は)あくまでサッカーに集中する。他のチームも同じであってほしい

やはり政治的な発言をワールドカップで行わないほうが望ましいという意見ですね。

大坂なおみ選手「じゃあ、イケアの店員はソファの話しかしちゃいけないの?」

スポーツの舞台で選手が政治的な発言をすることがアリかナシか、というのは古くて新しいネタです。

個人的に一番印象に残っているのはやはり大坂なおみ選手です。

黒人男性が警察官に殺害されたのがきっかけで広がった2020年のブラック・ライブス・マター運動。

同年の全米オープンで大坂選手は決勝までの7試合にそれぞれ人種差別や警察官の暴力の犠牲者の名前が書かれたマスクを着用して登場し、優勝を果たしました。

Matthew Stockman / スタッフ

このときも、「スポーツ選手なんだからスポーツに集中しろ」「政治的な発言は控えるべきだ」という主張は根強いものがありました。

それに対しての大坂選手の反応がまた、印象的でした。

アスリートが政治的な発言をするべきでないと言われるのにうんざり。まず、これは人権問題です。それに、なんでそう言う人たちは私よりも多くの発言の権利があると思うのでしょう。その理論でいくとイケアの店員は“GRÖNLID”(ソファ)の話しかできなくなっちゃうけど?

といった感じでしょうか。

皆さんは、どう思いますか?

個人的には、スポーツだろうが、どんな舞台だろうが発言するかどうかは個人に委ねられているのではないかと思います。言いたいことがあるなら言えばいいと思うし、逆にそれを他人にまで押し付けるのは違うでしょう。

もちろん美術作品にトマトスープをぶちまけるのは「言論の自由」だとは思いません。ただ、アスリートだろうと誰だろうと、自分の意思を正当に表明することは罪ではない。僕は発言の自由ってそういうものだと思います。

また、アザール選手のように政治的な発言と勝ち負けを結びつけることにも違和感を抱きます。

差別に対して自分たちなりの意思表示をした上で全力で戦って負けることは、アスリートの名誉を傷つけるものではないでしょう。

言いたいことがあるなら言えばいいし、そうでないなら黙っていればいい。どちらも他人に押し付けるものではないというのが僕の意見です。

この「アスリートと政治的主張」という問題、皆さんはどう考えていますか?

やや書きにくいかもですが、コメント欄にお寄せいただけたらとても嬉しいです。宜しくお願いします!

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