「強さ」の時代に、「弱さ」の話を。

2022年11月30日
全体に公開

弱さとは何か

弱さ。

経済メディアにおよそ似つかわないこの言葉にひっかかりを感じこの文章を読んでくださっているみなさん、ありがとうございます。「弱さ考」トピックスオーナーの井上です。NewsPicksパブリッシングという書籍レーベルの編集長をしています。

そう、何を隠そう私「弱い」のです。2021年に双極性障害(昔でいう躁鬱病)を発症して以来、今もランダムに挙動する脳に振り回される毎日を送っています。気分も体調も思考もジェットコースター。自分よ、いったいどこへいく?

さて、「弱さ」ってなんなんでしょうか。相対的な能力の低さなのか。傷つきやすさのことなのか。

このトピックスでは「弱さ=制御できないこと」と定義します。

この定義は、自分自身を制御できない僕にとっての生々しい実感でもあり、かつ、僕個人のミクロな日常を、NewsPicksが扱うマクロな「経済」へと架橋するためのものでもあります。

人類は、雨乞いに始まり、こんにちのデザイナーベイビーに至るまで、一貫して「制御」の能力を高めようとしてきた。 それと並行して、現代人は自らの内面を制御し(感情・体調・言葉遣い)、結果を制御し(パフォーマンス)、そして他人を制御する(マネジメント)能力を求められていく。「制御」がますます優位になる時代に、人間の、そして世界の「制御できなさ」はどこへ向かうのか?
トピックスの概要文より

僕は、編集長という肩書きを背負って以降、「より優秀で認められるビジネスパーソンになり、結果を出さなければ!」と肩肘を張って働いてきました。その強迫観念は、僕個人の視野の狭さだとも言えますが、能力主義で回る経済社会が個人に要請する、普遍的な「心がまえ」だとも表現できると思います。

今、僕たちは、「強くなろう」とせずにいることがとても難しい時代を生きている。

「制御できなさ」は、なくすべきエラーか?

たとえば、以下は、強くいること、つまり「望ましい状態へと自分を制御すること」の失敗だと言えます。

  • 職場でつい感情的になり、怒ったり傷ついたり、過剰に人の言動を気にしたりしてしまうこと。
  • 体の調子が悪い日に、あるいはプライベートで問題を抱えている日に、いつもどおりのふるまいができないこと。
  • 努力に比例した成果が出せないこと。
  • 自らを能力不足だとジャッジされてしまうこと。
  • そして、僕でいえば昨日と同じ自分でいることができないこと。そもそも、努力ができないこと。

しかし、「制御できなさ=弱さ」は人間にとってなくすべきエラーなのか? いや、切り離せない大切な一部でもあるはずでは? ならば、今僕たちは経済社会そのものを問い直さないといけないのではあるまいか?

経済の論理が、「人が人であること(=数値化も交換もできないものの価値を愛でること)」を損なわない世の中をつくること。ここに、僕のパッションがあります。表現は多少変われど、入社動機は、ずーっと変わらない。だからこのトピックスも始めました。

※念のために公言しておくと僕はアンチ資本主義者・アンチ市場社会ではまったないです。むしろ安易なアンチに対して批判的です。ただ、すべての制度と同様、常に微修正はされていくべきだと思いますが…。

外から観察し異論を唱えるのではなく、ときにシビアな経済社会の「内側」に飛び込み、参加し、変化を生み出す。問い直す。この「システムの一部であることを自覚しながらシステムを変えていく」スタンスが僕にとっては決定的に重要です。

大人に、新しい問いを。

問うとは、今と違う世の中を考えること。

今目の前にあるものを、「変えられない所与のもの」ではなく「働きかけていけるもの」として捉えなおすこと。

だから、本を出す。そして、「大人に、新しい『問い』を。」届ける。これが僕たちNewsPicksパブリッシングのミッションです。

初回はこれくらいにしておきましょうか。弱さ以外のテーマも扱いますが、扱いたい問いやキーワードはざっくりこんな感じです!

対話的・創発的な場にしたいので、読者のみなさんと一緒につくっていければ。綺麗事ではなくて、(いつかトピックスに書きますが)「学ぶ」って一方通行ではできないのです。

考えたい問い(たぶん記事にするやつ)

  • 経済の「目的」は何なのか?(「生産性の向上」が自明の目的だと思われているが、僕には自明だとは思えない) そしてその「手段」はどんなものが考えられるか?
  • 能力主義(=成果を出した人が多く得られる)は本当に正しいのか?
  • 「生産性の低い人間は社会にいらない」という粗野な意見に、僕らはどう向き合うのか?
  • 「職場に感情を持ち込むこと」は、それが生産性につながらない限り認められづらい。私たちは生身の感情の「置きどころ」をどう見つければいいのか?
  • 「ファスト教養」の時代に、時差のある学びは可能か?
  • 「ニーズを満たす」は正義なのか? 満たすべきニーズと満たしてはいけないニーズがあるのではないか? その境目はどこか?
  • 個人は成長し続けなければいけないのか?
  • どうすれば「身内びいき」を本能とする人間が「他者とともに生きる」、多様性を包括する社会をつくれるのか?
  • 豊かさとは何か? タワマンを「豊かさの象徴」と言う一方、田舎の何もなさを「豊かだ」と言えるのはなぜか? そして、「豊かな人生」とは何か?
  • 老いや病気で体を動かせず、言葉も発せなくなったとき、それでも生きることを肯定するのは何か?
  • (和辻哲郎『風土』やマックス・ウェーバー『プロ倫』にもあるように)西洋的合理主義は資本主義と整合的に見える。だとすると、資本主義の中で東洋的な自分はどう生きていけばいいか?

キーワード

偶然性/ゆらぎ/多様性/複雑系/「割り切り」と「引き裂かれ」/「消費する時間」と「生成する時間」/「モノ的能力観」と「コト的能力観」

糸電話の先に

人とリアルタイムで話す体力が乏しい今、書くことが僕にとっての世の中と唯一つながる「糸電話」です。

初回は僕からの呼びかけでした。

おーい。

聞こえてますかー?

※この記事の次はぜひ、こちらをお読みください。「弱さ考」のすべてのベースとなる考え方であり、反響も最も大きかったので。

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