賢者の沼地
とあるスタートアップの代表の方から、相談を受けました。
他のスタートアップ経営者同様、自らの道を信じ真っすぐに突き進む、とっても気持ちのいい方で、事業の成功に向けて貪欲に学びを得ようとしていました。
「若い」「素直」「人懐っこい」という個性からも、おそらくたくさんの方がメンターとして支援をされているんだろうなぁ、と思いました。
ただ「それが彼女の迷走の背景なんじゃないか」とも思いました。
アドバイスを訊き過ぎない
その経営者が守屋に相談してきた内容は、「今、こんな感じになっています。どうしたらイイでしょうか?」というものだったのです。
この訊き方で、いろんな人に訊きまくっていたらアウトだな、って思いました。
「いろんな人」は、おそらく彼女よりも年上で、経験が豊富で、でも彼女の事業ドメインには精通しておらず、ましてや彼女が顧客とする若い女性マーケットについては肌感覚がない「オジサン」です。
ただでさえ、解像度の低い質問には解像度の低い答えしか返ってきません。答える人が悪いのではなく、訊き方が悪いからです。ましてや答える人にとって肌感覚のない領域での打ち返しであれば、的を射ている可能性は低くなりがちです。
これは混迷を生み出すサイクルだ、と思いました。その経営者が、もらったアドバイスを誠実に真に受けるタイプだったからなおのこと、です。
一問一答は、混乱のもと
そしてさらにマズいなぁ、と思ったのは「事業全体に対する質問は解像度が低い」のに、「個別の手段に対する質問は具体的な一問一答」だったのです。
手段はどこまでいっても手段です。
とにかく流行ってるイマドキの手段とか、アドバイスする人が昔重宝していた錆びついた手段とか、そういった手段先行の一問一答は、百害あって一利ナシです。
為すべきことがあり、創り出すべき価値があり、その実現のために手段がある訳で、いつのときでも手段は、先行して存在するものではないはずです。
訊くべきは顧客の声
そんな感じだったので、守屋が伝えたのは「守屋のアドバイスを訊く前に、顧客の声を訊いた方がいいんじゃないかな?」でした。
守屋だけでなく、これまでいろいろアドバイスしてきてくれた、すべての方々のアドバイスをいったん横に置いておき、まっさら気持ちで顧客との距離を詰めるべきなのではないかと。
なぜ、そんなことを言うのかというと、事業に真っすぐで、とっても頑張っていることは伝わってくるのですが、事業における大事な判断の説明において、先行して聞こえてくるのがアドバイザーのアドバイスだったのです。
「必死に顧客を洞察してわかったことは〇〇〇だったので、だから✕✕✕と判断しました」ではなくて、「△△さんから、▢▢▢した方がイイと言われたので」だったのです。少しくらいはそういったことがあって然りだし、有用なアドバイスをもらうために、いろんな方にアドバイスを求めているんだと思いますが、そればっかりだと、「誰のための、誰の事業?」って思ってしまうのです。「顧客のためのあなたの事業ですよね?」って。
アドバイザーが顧客なら理解できるのですが、アドバイザーが顧客でない限り、判断における影響力は「顧客 > アドバイザー」であるべきかと。
自問なき他答
そしてもうひとつ、「訊くべきは顧客の声」に合わせて伝えたのは、「アドバイザーのアドバイスに従う前に、自分で考え出した答えに従った方がいいんじゃないかな?」でした。彼女がその事業の代表者である限り、おそらく誰よりもその事業について詳しいし、考えているはずだし、そうでなきゃオカシイと思います。そして、誰のものでもなく、まぎれもなくその事業は彼女のものです。守屋を始めとするアドバイスをするすべての人は、その事業の経営者ではないのです。
だから「他人の答えに安易に頼らず、自ら問い、自ら答え、自らおこなうべき」なのです。「ヒトの経験談、他者から借りてきた小理屈を、深い思考とセットにせずに、うわべを単純参照すること」は悪手中の悪手です。
あなたの事業は、あなたにしか判断できないのです。
アドバイザーが社長なら理解できるのですが、事業の代表者があなたである限り、事業の大事な判断は「あなた > アドバイザー」であるべきかと。
ということで、その経営者が望んでいた答えだったのかは分かりませんが、いずれにしても守屋は「賢者の沼地に嵌まりに行くな」って話をさせていただきました。
戻るも進むも出来なくなっている深い沼から出ることを、自ら決断、自ら実行してもらえたらイイなぁ、と思っています。1か月後、うまく抜け出せたか、こっちから連絡してみよ、っと。
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