「見える」と「ある」の決定的な違い

2024年3月8日
全体に公開

現在、東京国立近代美術館で回顧展が開催中の写真家・中平卓馬(1938-2015)は、70年代に出版された『決闘写真論』(篠山紀信との共著、朝日文庫、1995)で若者の感性の変容について述べています。彼は、歌人の佐佐木幸綱の指摘を引用しつつ、ものの名前を知らない、覚えない若者に驚き、なぜこれほど世界に対する好奇心を失ってしまったのか、と問います。中平によれば、新しい世代の感性は、より観念的で抽象的なものへと向かっている。世界は手触りのあるものではなく、概念であり、イメージであるような何かなのだと言います。

子供たちはどこへ消えてしまったのかといつもいぶかしく思う。テレビでゴレンジャーや甲子園野球でも見ているのか。あるいは受験勉強に追われて塾にでも通っているのか。磯ばかりではない。子供たちは街の小路からもいつしか消えてしまった。昔、子供たちは空き缶ひとつをたったひとつの遊び道具にして、日没すぎまで街中をかけめぐっていたものだ。秋になれば柿やあけびを採り、冬には山へ入って山芋を掘った。子供たちはひとつひとつのもの、季節の移り変わりとともに変化するものに対して極めて近しい関係をもって遊んでいたように思える。
『決闘写真論』(篠山紀信との共著、朝日文庫、1995)p.250より

いま一度確認しておきますが、これは70年代に書かれた文章であり、すでに半世紀も前の嘆息です。私は1980年の生まれで、80年代に幼少期を送りましたが、田舎育ちのために(後半にはファミコンが登場したものの)まだまだ野原で遊んだ経験があります。しかし中平の言う通り、確かにその後、街中や路地から子供たちは姿を消しました。地域や街によっても差はあるでしょうが、野原を駆けまわる子供たちの姿はすでに遠い過去のものでしょう。

では子供たちはどこへ行ったのでしょうか? もちろん、家の中です。中平が勘ぐるように、テレビの前だったかもしれません。テレビが一気に普及したのは1970年前後です(テレビばかりでなく、昭和的な生活風景が一変するのがこの時期でした)。評論家の奥野健男は同じ70年代に次のように述べました。「テレビの送り出す、親切な擬似風景が、いかにも自然らしい、伝統風景らしい美しい風景が、もし子供たちの"原風景"になったなら、生きた"原風景"そして芸術、文学は死んでしまう」(『文学における原風景』(集英社、1972年)p.222より)。この奥野の風景論は、現代ではあまりに素朴で、時代錯誤的に響くかもしれません。実際、私のような80年代以降生まれの世代は、幼少期からテレビやゲームの画面の前でも多くの時間を過ごしています。私たちのなかに、ゲームの世界にある種の故郷を感じ、ノスタルジーを覚える人間がいても、私は少しも驚きません。

ともかく、中平は70年代ごろから子供たちの世界との関係性が大きく変わりつつあることを察し、じかに世界に触れる経験がなくなっていると指摘しているのです。これは確かでしょう。さまざまな文化論を見ても、日本においては60年代と70年代に大きな隔絶があると指摘されています。70年代に入ると昭和的な、猥雑で生々しい、生活感のある風景が失われていくわけです。そして奥野のように、それを嘆く人は多い。子供たちは家の中で遊ぶ時間を多く持つようになり、とりわけテレビというスクリーンに向かう時間は増大していく。テレビやゲームのようなヴァーチャル・リアリティが、退屈な家の外の世界に取って代わるわけです。そうして彼らは世界との生々しい関係性を失う。

UnsplashのMika Baumeisterが撮影した写真

その一方で、そうした変容を飄々と眺めていた人もいます。たとえば作家の日野啓三。彼は中平の発言のおよそ十年後、80年代に発表したエッセイで次のように述べています。

千代田区の場合は実際に居住人口が減っているわけだけれど、「都会」の段階の人たちは用もありそうもないのに、よく街路をぶらついたり、街角にしゃがみこんだりしていた。いまでもアジアの大都会ではそうだ。家のなかにじっとしていなかったらしい。 それに対して「都市」では、どうやら人たちは鉄筋マンションの冷暖房のきく室内でテレビをみたり、子供たちはテレビゲームに熱中しているらしい。外に出るときは車でスッと走り抜けてゆく。 こういう"進化"を、非人間的と快く感じない人たちも少なくないことを知っている。私自身また千代田区に戻るとなると少し考えてしまうけど、「都市」の冷え冷えとした荒涼さには何かがある、とも思っている。反対に「都会」的な下北沢はにぎやかで、若い人たちが夜遅くまで歩きまわっていて、買物も便利で、何となく暮らすのにはいいが、感性がたるんでくる気もしている。
日野啓三『都市という新しい自然』(読売新聞社、1988年)p.42より

日野は「都会」と「都市」を区別し、前者をごみごみした賑わいのある場所、後者を人が大勢いるはずなのにその姿が見えない場所としています(ヨーロッパでいうなら南ヨーロッパの街は「都会」であり、北ヨーロッパの街が「都市」となるでしょう)。「都市」は近代のテクノロジーが生み出す場所で、分厚い堅固な建物が人の生活空間と外部世界を切り分けています。日野は、「都市」は確かに人間関係を希薄にするかもしれないが、そこは自然が欠如した場所でもないと言います。彼はコンクリートの建物に、鉱物的な自然を感じ、「都会」とは別種のリアリティを感じているのです。日野啓三は、ポストモダン以降の社会と自然、そしてリアリティの問題を考える上で、きわめて重要な人物だと私は感じています。日野の思想についてはまた別に譲り、ここでは深入りしませんが、都市に聳えるコンクリートの建築に生々しいリアリティを感じることは、決して異常な心理ではないと私も思います。

ただ、善かれ悪しかれ、人々は建物の内部に籠る時間が増えました。そして建物に篭りつつも、世界に開かれたスクリーンを前に過ごすという矛盾した行動をとるようになりました。なぜ直に世界に触れず、スクリーン越しに世界と関係を結ぼうとするのか? これまで論じてきたように、スクリーン越しの世界の方が、関係性の維持が楽ですし(直に相対していないので気が楽です)、世界の姿もより美しく見えます。現実より退屈ではないのです。そこには、現実以上の刺激があり、現実の制約である距離や時間を軽々と超えることができます。スクリーンの中に、現代人の感じる新しいリアリティが潜在していることも事実でしょう。ノスタルジーさえ感じさせる場となりうることも事実でしょう。

ただ、それでも、スクリーンはやはり本物の窓とは違うと私は痛感します。建物にこもっても、スクリーンさえあれば、世界と密接な関係性を築くことができる、なぜならばスクリーンは窓であり、世界への通路だから、という主張を私は鵜呑みにはできません。スクリーンは、ボードリヤールの用語で言えば、シミュラークルです。それは擬似的な現実であり、現実そのものではない。こう主張すると、現実そのものという実体が、確実に存在していると私は想定していることになり、ポストモダンの思想では居場所のない、素朴な本質主義者ということになるでしょうか。そうかもしれません。しかし、それでも、スクリーン越しの世界と、「現実の」、「生の」世界との差異はある、と思います。それは、存在感です。巨大な石の建築があるとして、それを目の前で見たときに感じる、そのモノの存在感は、決してスクリーン越しには味わえない何かです。確かに、そこに、何かが(自分の存在ではない異質な何かが)ある、という感覚です。この感覚こそ、リアリティの問題を論じる上で、もっとよく検討すべきものだと思います。

トップ画像はUnsplashのRicardo Gomez Angelが撮影した写真

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