未来は過去の延長ではない

2023年9月17日
全体に公開

第38回の現実科学レクチャーシリーズのゲストは、日本版Wired編集長の松島さんをお呼びした。

松島さんとは、確か5年くらい前にTranstech系のイベントでお会いして、その後2021年5月のハコスコカフェオープニング時に開催したMediaAmbitionTokyoのイベントで熱海のハコスコカフェまでお越しいただいて、”Re-generative”をテーマに議論した。

Wiredは、複数の国で独自版が出されていて、コンテンツに関して各国版での横のつながりは無いのだという。多少は連携しているのかと思ったらそういうことは無いらしい。

つまり、日本版Wiredのテーマは日本独自の設定であって、そしてそのテーマは松島さんが一人で決めているのだ。年に4つのキーワードを一人で選んでいる。すごい。

僕は、Wiredが届くたびにタイトルにやられてしまうことが多い。そう来たか!という驚き。見た瞬間に意味が分からないときも、「はてな?」と思いながら読み進めるうちにぐぬぬぬとなりがち。というわけで、毎回届いたWiredを開くのは少し勇気がいる。松島さんの視座と思いに負けないために振り絞る勇気。

前号の”Regenerative Company”はタイトルとしては「はてな?」の回だったけど、ちょうど僕らがハコスコ社のExitでDNPにM&Aされるタイミングであったので、大変興味深く読んだ。ハコスコのような小さな会社でのRegenerativeな活動はたかが知れているけど、DNPのような巨大な会社の子会社としてその考え方を引用するなら何が起きるのだろうと思うと、結構ドキドキした。

そんな松島さんと「現実とは何か?」について対談するのはどう考えても最高。むしろ、こちら側が対談相手として不足していたらどうしようと心配していた。まあそれは、毎回始まる前に同じことを思うんだけど。ということで、結構緊張しながらDNPの箱根創発の森の一角を借りてレクチャーシリーズを開始した。

松島さんの原点は、レイヴ・カルチャー。朝まで踊り続けて、まわりと自分の肉体とが変化する、ある種の変性意識みたいなものが根源にあると。つまり、僕がいつも言っている科学的世界観に対する神話的世界観側にば立っているということなのだろう。ということは、現実について記述するときは、Realityではなく、Realitiesと表現する方がしっくり来る。僕も普段は、人の数だけ現実はあると言いながら、Realitiesという複数形の現実という表現をしていなかった。日本語はそういう表現を許さないから。とはいえ、これは完全な僕の考え足らずなので、以後は何らかの形で「現実」という言葉を複数形で使うようにしようと思った。「現実っ」とか?

松島さんにとっての現実は、やはり未来と過去がセットになっていて、過去からみた未来としての現実、未来から見た過去としての現実、そしていまここの現実という異なる基準点から生成される重なり合った現実が重要なのだと言う。

たとえば、馬車の時代に原動機が発明されたとき、ヒトは馬車を引く鉄の馬を作ろうとした。それは過去から見た今を基準点にする考え方だ。一方未来を基準点にして今を考えると自動車という馬車とは全く異なる乗り物が出来上がる。なので、今を考えるには未来から現在を見る必要がある。つまり、未来は過去の単なる延長上にあるのではなく、過去+(未来から考える現在)という2つの間の相互作用の結果生成されるのである。

その基準点を未来に置いた考え方がSFプロトタイピングというやり方だ。私達はSFを通じて、あらゆる未来の可能性を探ってきた。その一部は実現されているし、これから実現されるものも様々出てくるだろう。

そのような創造は、ヒトの想像力に依存するので、限度はあるものの一定の範囲で有効だ。僕らがどれだけ想像力を逞しくしても、隣の銀河に行って宇宙戦争を仕掛けるみたいな荒唐無稽な話は「鉄の馬」の話とたいして差はないだろう。

しかし、明日のことは、10年前に明日を予測するよりも正確に予測が出来る。つまり、予測する未来が近ければ近いほど予測精度は上がっていく。なので、1週間後、1年後、10年後の未来を僕たちは予測し続けなければいけない。単に予測するのはつまらないので、SFという物語の力を借りて。

そのような未来を予測するSFでは、ホープを語ることがパンクであると言われるくらい、ディストピアとしての未来が語られることが多い。実際ディストピアが来ないとも限らないけれど、少なくとも今の世界はまだそこには至っていない気がする。もしかしたら、SFで予言されているディストピアが、松島さんが言うように僕らの「心理的なリハーサル」となっていて、微妙にそれを避けられているのかもしれない。

僕は、SF好きだが、最近のフィクションは、なんかもはや現実に負けているという感覚が強い。それは多分に情報の拡散スピードが上がり、いきおい物事の進捗が早くなりすぎ、ヒトの想像力が追いつけなくなっているのだろう。

たとえば、コロナが世界に蔓延して、世界中がロックダウン、そこにそれまで存在していなかった全く新しい手法で作られたワクチンが短期間に開発され、それがあっという間に量産され、世界中で接種されウィルス拡散が抑止されるなんて、間違いなく近未来SFの世界でしかないけれど、僕たちは実際にその世界で暮らしている。コロナウィルスをゾンビウィルスに置き換えれば、World of Zの世界と全く一緒だ。

おそらく、SFプロトタイピングは、5年後、10年後くらいの少し先の未来について有効なのだと思う。しかし、来週、1ヶ月後、半年後、1年後に関しては有効とは言えない気がする。現代の情報のスピードに想像力が追いつかないから。では、1年以内のことに関してどうすれば良いのか?アランケイの”The best way to predict the future is to invent it.”という言葉がある。僕はこれが有効だと思う。ここで言うInventionは過去からの積み上げで行われる作業のように見えるけれど、未来から逆算して今を、5分後を作っていくのだという意味だと考えれば、最も確かな方法であろう。であるなら、Reaalitiesというものは、わたしたちが日々作り続けている今であり、あなたの未来はあなたが今作り上げているものなのだ。自分の未来に変革が必要なら、未来に変革を興すために今ここで変革の芽を引き起こすInventionを続けなければいけない。

誰かが作ったRealitiesに単純に巻き込まれて生きるのも良いけど、少しでも自分たちが良い方向に向かいたいのであれば、自分の方向を定めてRealityを作っていこう。あなたのRealityはその他の人々のRealitiesに必ず影響を与える。それは間違いないし、希望である。

松島さんにとっての現実とは、「自分がリスペクトしているものの全て」ということであった。最初はよく分からなかったのだけれど、少し時間が経った今振り返ると、リスペクトの無いものは見えない、見えるものはリスペクトがあるものという言葉は、すなわち、松島さんの現実では、リスペクトを持たない感じないものは現実に含まないということなのかもしれない。つまり、リスペクトを持つか持たないかを全てにおいて判断するというプロアクティブな生き方によってのみ成立する現実感。リスペクト対象のリストは日々更新が必要だから、その世界観で生きるには強い精神力が必要になる。テクノロジーによって、より良い未来を作るのだという強い信念を持つ松島さんらしい定義だと僕は思った。深く考えずに誰かが作った単なる過去の延長上にある現実を受け入れて生きるより、自分で作り上げる現実は逞しく美しい。

僕も松島さんのような、楽観的なテクノロジストとして、ホープパンクの世界の中を生きていきたいと思った。この世界に絶望することなく、より良い未来へを作る一人の担い手として。

次回のレクチャーシリーズは9月22日開催。インダストリアルデザイナーの山中俊治さんをお招きします。申込みはこちらから。

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