時間と仏教経済学(前半):カイロスとウエルビーイング

2023年8月20日
全体に公開

今週から2回シリーズで、人生でもっとも大切な”とき(時間)”の価値について、仏教経済学のとの関係から見ていきたいと思います。

「より大きく、より早く、より豊かに」というのが人間の仕事を歪め、その結果、ある法王が述べたとおり、「工場から死せる物が改良されて世に出てくるが、一方そこにいる人間は腐敗し、堕落しており」、しかも環境悪化と地球の再生不能資源の急速な枯渇を招いているのを知るとき、それが依然として我々が考えうるただ一つの発展路線なのであろうか。
シューマッハー著 スモールイズビューティフル再考より

これは英国のフリードリッヒ・シューマッハーの言葉です。いま、夏休みを利用して、カンボジアのシェムリアップに来ています。ご存じの通り、この街は世界遺産として名高いアンコール遺跡群で知られています。私は、その壮大な寺院のなかで慌ただしい日々から逃れ、時間の持つ価値を考えることになりました。

皆さんは「クロノス」と「カイロス」という言葉を知っていますか?これらの言葉はゲームやドラマのタイトルにも使われることがあります。

ギリシャ語で「時」を意味する2つの言葉が、クロノス(χρόνος)とカイロス(καιρός)です。クロノスは時計が示す一定の流れる時間、すなわち絶対的な時間を指します。対してカイロスは、瞬間や人間の主観的な時間、すなわち「私が感じる時間」を表す内面的な時間です。両方ともギリシャ神話における時間の神の名前に由来を持つ言葉です。「chronicle(年代記)」や「synchronize(同調させる)」、「chronic disease(持病)」はクロノスと関係します。

私たちの体はクロノスに支配され、体内時計は地球の自転の時間、つまり1日24時間のリズムで時を刻んでいます。いわゆるサーカディアンリズムです。残念ながら、私たちの体の一生は絶対的なクロノスの時間で縛られて変えることができません。しかし、私たちの精神から生まれるカイロスの時は相対的で、私たちの意識によって変えることができそうです。

私たちのクロノス時間の三分の1を占めている、睡眠中に見る“夢”もクロノスとカイロスが持つ時間感覚の違いを実感できます。数十分のレム睡眠のあいだに一日分の体験ができた、という思いをした人も多いのと思います。

この2人は異なる時間を過ごしているのかもしれない、UnsplashのJohnny Cohenが撮影

子供の頃を思い出してみてください。学校から4時頃帰宅し、友達と遊び、家族と夕食を共にし、テレビを観て遊び、そしてお風呂に入り、10時に寝る。毎日が楽しいイベントが満載で、一日はとても長く感じられたものです。しかし、大人になると、学校が会社にかわっただけなのに、帰宅後の自由な時間があるようでなく、仕事から帰ると食事をしてすぐに寝るだけ、といった短い時間を過ごしている方が多いのではないでしょうか?私も同じです。そして、気づけば50歳をすぎて、過ぎ去った時間を取り戻したい、と願います。

コロナ渦のやむなしのテレワークで、私は、仕事や生活スタイル、時間の使い方に変化が起きているのに気づきました。日常が少し長く感じるようになった気がしたのです。この変化は、未曽有のパンデミックがもたらしてくれた大きな気づきでした。物理的なクロノス時間は一日24時間、86400秒と一定ですが、私たちが感じることができるカイロスの時間は変えることができると気づいたのです。

私たちは時間の積み重ねの記憶から、時を知る内面的な感覚を形成させると言われています。いわゆる、ジャネーの法則です。人が感じる時間の長さは年齢(f)として、“カイロス時間=1/fに比例する”、だそうです。比例の傾きが気になるところですが、どうやら、私たちのカイロス時間は子供と比べてとても短いというのはこの法則で説明できるようです。ひょっとすると、若いあなたは私より時間を長く感じているかもしれません。

人の時間の感じ方には個人差があります。私たちが「運動神経が良い」と評価する背後には、視覚情報の処理速度能力が関係します。スポーツ選手は、視覚情報を一般人より迅速に処理する能力を持ち、例えば、プロ野球選手はボールが実際よりもゆっくりと動いて見えるようです。さらに、この処理速度は年齢とともに減少する傾向があり、これがカイロス時間の感じ方にも影響します。また、発達段階では時間の感覚は年齢とともに成熟するもので、低学年の小学生に歴史を教える際には注意が必要です。彼らはまだ時の流れを正確に理解できず混乱すると言われます。

かれらもまた、異なる時間を過ごしている。 UnsplashのAndrew Sが撮影

人以外のカイロス時間はどうなっているのでしょうか?興味が出てきたので、少し調べてみました。どうやら、私たちの同伴動物の犬や猫も私たちとは異なる時間の感覚を持つようです。例えば、最新の研究によれば、犬は1日を約7時間周期で感じ、私たちの定義する24時間を実質的に3日として感じ取っているとされています。

ところで、動物のカイロス時間をどのように推測し、比較するのでしょうか。研究者は、視覚情報の処理速度である、臨界融合頻度(critical flicker fusion)を指標として比較するという方法を使うようです。

ほとんどの動物は、光情報を視覚で感知し、それに基づいて周囲の環境を認識します。例えば、電灯が点滅する場合、私たちの目はその変化を検出し、脳に情報を送るためにリセットが必要です。もしリセットの速度が遅ければ、点滅を正しく認識できません。

この原理を利用した「臨界融合」は、点滅する電灯の光が連続光として感じられる境界の頻度を示します。高い臨界融合頻度を持つ動物は、速い点滅も認識できる一方、低い頻度を持つ動物には連続光のように見えます。

活動的な動物、例えば素早く飛ぶ鳥は、迅速な視覚情報処理能力を持ち、細やかな時間の認識が可能です。逆に、深海魚のようなゆっくりとした生物は遅い感知能力を持つと考えられます。人間の臨界融合頻度は猫(55Hz)や犬(75Hz)の間くらいの位置にいるとされています。生物学的には私たち人間は、猫より遅く、犬より早い時間を過ごしているようです。

鳥や昆虫は私たちよりはるかに遅い時を過ごしている。 UnsplashのBryan Hansonが撮影

約10年前、ダブリン大学トリニティ・カレッジの研究者は、小さな生物が時間を遅く知覚することを発見しました。具体的には、昆虫や小鳥は1秒間で人や犬猫よりも多くの視覚情報を処理するというものです。彼らは、この情報処理の違いが生物の感覚的適応の基本的制約やトレードオフと関連していると考えています。そして、もう一つの驚きの発見が、生物の体重と代謝速度も視覚情報の処理速度に影響しているということです。代謝速度の高いスポーツ選手と低い肥満体系の一般人、アジア人と欧米人の一般的な体格の違い、小児と高齢者の代謝の違い、などもひょっとして時間感覚に影響を与えているのかもしれません。

怠惰な生活を送って、BMIが上がり代謝が落ちてくると、クロノス時間が短くなるって思うと、ぞっとします。健康的な食生活や適切な運動が、私たちの主観的な時間感覚を延ばす鍵であるとすれば、それは非常に魅力的です。

私たちの時を感じる能力は文化そして文明を生み出した。 Unsplashのpavan guptaが撮影

養老孟司博士は講演で人の不安について触れることがあります。彼によれば、人は時間の感覚があるがゆえに、未知の原因による不安に悩まされると言います。

人は過去の出来事を記憶し、未来を予測する能力を持っている数少ない生物の一つです。サルや象も一定の能力を持っていますが、到底、人のレベルには及びません。この能力により、人は将来の生活計画を立て、過去を振り返り将来に向けた行動をとることができます。この特質は人だけに許されている、高度な文化や文明をもたらし人類全体の幸せ向上につながっているのは確かです。しかし、この特殊な能力は同時に、不安や死への恐れ、身体と精神の年齢の乖離といった問題も生みだすこととなります。科学技術と同じで、新しい能力は新しい問題を絶えず生み出すというジレンマです。

時間栄養学という新しい学問があります。体内時計を整え一日のパフォーマンスを向上させる食事、とか雑誌で話題になることも多いです。しかし、カイロス時間に影響を与える食事についての研究やメディア掲載は見当たりません。カイロス時間を子供に近づける、そんな食事や薬、トレーニング(瞑想はこれにあたるのかもしれませんが)、生活習慣を手に入れることができると、人生は今以上に豊かになるのでしょう。

“夢の量と質”をいかにしてコントロース可能なものにしていくか、も大きな関心事です。私が知らないだけかもしれませんが、睡眠の量と質の改善に役立つ処方は多く取り上げられますが、睡眠中に見る”夢“の量と質に影響を与える処方についての研究はあまり見当たりません。

後期高齢者や若年アルツハイマー患者、そして認知症の人たちのカイロス時間はどのようになっているのか、だれか調べてほしいです。ひょっとすると、豊かなカイロス時間を過ごしているのかもしれません。カイロスという視点は、ウエルビーイング向上につながる新しい研究視点を与えてくれると思います。

永遠の美を誇るアンコールワット  筆者撮影

久しぶりに訪れたシェムリアップの街のあちこちで廃業したレストランやホテルを目にしました。一束の間の利益の象徴としてのこれらの建物は、利益を生み出さなくなった瞬間から、美しさを失うようです。一方、遠くに目を向けると、人がいなくなって一世紀が過ぎようとするアンコール遺跡群は、今もなお堂々とした美しさを保っています。

廃業ビルの束の間の美しさと、アンコールの永遠の美しさのコントラストは、50年前にシューマッハーの著書に出てくる「束の間の財」と「永遠の財」の言葉の対比を思い起こさせます。目の前に美しく輝いているアンコール遺跡群を前にして、この違いはどこからくるのか?私は、いつのまにか、この束の間と永遠という言葉の中に、クロノスとカイロスという言葉を重ねて見るようになりました。 

長くなってしまうので、この続きは、「時間感覚と仏教経済学(後半) 善き仕事」でお話します。お楽しみに。

二つの社会があって、生産の量と一人当たりの所得が同じでも。生活の質ないしは生活様式は基本的な、比較できないほどの違いを示すことはありうる。一方の社会は主たる力点を束の間の満足に置き、他方は主に永遠の価値の創造に努めている。前者には束の間の財が豊富にあるが、永遠の財は乏しく、不潔、醜悪でみすぼらしく不健康な環境のなかで、飲み、食い、娯楽にふける。他方、後者では束の間の財では質素だが、永遠の財は豊富で、高尚な雰囲気のなかで少量、簡素で健全な消費がおこなわれる。
シューマッハー著 スモールイズビューティフル再考より引用

応援ありがとうございます!
いいねして著者を応援してみませんか



このトピックスについて
津覇 ゆういさん、他188人がフォローしています