脳の多様性とジェンダー③ ニューロセクシズムの弊害

2023年5月21日
全体に公開

性差について「個人差」の観点から考えるシリーズ記事の第三回です。今回はニューロセクシズムとも呼ばれる、性差の強調がもたらす弊害について考えたいと思います。

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偏見はよかれと思ってやってくる

男性と女性の脳にみられる僅かな「平均差」を根拠に、男性と女性の違いを強調するニューロセクシズム。その弊害を端的に表現するならば、「偏見」による現実にそぐわない役割分担の強要や機会の剥奪、ステレオタイプの強化に繋がることでしょう。

つまり、ジェンダー平等の天敵なのです。

とても重要なことは、多くの場合でニューロセクシズムは「よかれと思って」行われているということです。悪意や敵意をもって、性差による差別を推進しようと思っているわけではなく、「その人に合った」環境や方法を提供を意図していることが多いように思います。

例えば、昨年日本を代表する大企業の社長が入社式で、以下のように語ったことが報道され注目されました

「私たちは女性と男性は違うと考えています。人間という意味ではもちろん一緒ですけれども、能力や特性の得意な分野が違うと思います」

「女性が得意な分野で男性も測定してしまうと、男性にとってはビハインドになりますし、逆に男性にとってのみ得意な分野で、女性が苦手な分野を強く評価してしまいますと、それは女性にとってはやはり難しい。女性には女性のよさ、男性には男性のよさがある」

重要なことはこの話が、「女性活躍」の文脈で語られていることです。そして本音の部分では、ここに語られていることに共感し、「科学的に正しい」話だと感じられている人もまだまだ多いでしょう。

私はここにニューロユニバーサリティ問題の根深さを感じます。人間が多様な存在であることが、あまりにも軽視されているのです。

個人差を無視することの弊害

「男性、女性にそれぞれ得意なことと苦手なことがある」この考え方を個人に当てはめることが正しいことだとすると、性差に基づく役割分担や性差ごとに異なる評価基準があることが当然のこととなります。ですが実態はすでにお伝えしたように、個人差は性差よりも大きいのです。

そのため、性差に基づく役割分担は実態に合いません。その先にひとり一人の個性が活かされる社会はやってこないのです。むしろ得意なことをさせてもらえなかったり、苦手なことを強要されてしまう可能性が高くなってしまうでしょう。もっと深刻なのは、性別によるステレオタイプがいつのまにか、「あるべき姿」に変化してしまうことです。男性はこれが得意、女性はこれが得意という発想が、「男なのだからこれが得意でなければいけない」「女でこれが出来ないのはおかしい、恥ずかしい」という発想にすり替わることは珍しい話ではありません。それは誰も得をしない、本来は不要な生きづらさを生み出してしまう出来事です。

大事なことは「個人差」と向き合うことです。

「男性、女性のそれぞれのよさを活かしましよう」から「私とあなた、それぞれのよさを活かしましょう」に発想を切り替えていく必要があります。そのためにはまず、人間という存在がいかに多様な存在なのかという事実を受け入れていくことが求められているのではないでしょうか。そしてニューロダイバーシティは、人の多様性を理解するための最重要キーワードだと私は思っています。

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