現実と格闘しながら生きる個人へのエール 新国立劇場『東京ローズ』

2023年12月6日
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個人の尊厳について考えさせられる英国発のミュージカル『東京ローズ TOKYO ROSE』が、明日より日本で初上演される(2023年12/7〜24@新国立劇場・小劇場)。太平洋戦争時の日本で対外プロパガンダ放送をしたとされる女性アナウンサー、アイバ・トグリ(戸栗郁子)を主人公にした物語だ。

東京ローズとは

「東京ローズ」は、戦中の日本に実在した女性アナウンサーである。日本の軍当局は太平洋戦争開始後の1942年(昭和17年)2月、海外向けプロパガンダ放送を発案し、ラジオ・トウキョウ放送(現在のNHKワールド・ラジオ日本)から英語による放送を実施していた。その番組の一つが、1943年(昭和18年)3月から終戦の前日1945年(昭和20年)8月14日まで放送された「ゼロ・アワー」である。

「ゼロ・アワー」では、連合国軍の捕虜を起用し、ジャズ音楽とともに家族宛の手紙を紹介したり、連合国軍兵士に向けて呼びかけ士気を失わせる語りを繰り返した。女性アナウンサーも出演し、陽気な魅惑的な声で連合国軍兵士を茶化すトークが太平洋の前線にいるアメリカ軍兵士に人気となった。棘のある薔薇のニュアンスから「東京ローズ(Tokyo Rose)」の愛称で呼ばれるようになり、B29の機体に描かれたり、ニューヨーク・タイムズの記事に取り上げられたり、はたまたハリウッド映画『TOKYO ROSE』が製作されるほどだった。

唯一名乗り出たアイバ・トグリ

終戦後、正体のわからないアイドルのような存在だった「東京ローズ」とは誰なのか、来日したアメリカ人記者たちによる捜索が始まった。記者たちの狙いは3人の大物、昭和天皇、東條英機、東京ローズに独占インタビューを取ることだった。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)はこれを制止し、ラジオ・トウキョウ放送も「東京ローズ」と名乗った女性は一人もいないと回答した。事実、「ゼロ・アワー」では複数の女性アナウンサーが交代で勤務していて、放送で本名が明かされたことはなかった。

ところが、アメリカの従軍記者の取材に対し、「東京ローズ」の一人であると認める女性が現れた。それがアイバ・トグリ(戸栗郁子)である。

アイバ・戸栗・ダキノ(Iva Toguri D'Aquino)は、1916年にアメリカで生まれた日系二世である。日本語の教育を受けることなくアメリカで育ち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業。同校大学院在学中の1941年(昭和16年)に叔母を見舞うために来日し、すぐ帰国する予定だったが、折しも太平洋戦争が開戦となり帰国できなくなってしまった。

当時、アメリカでは日系人の強制収容が始まり、アメリカにいる母親は日系人収容所へ行く途中で病死した。アイバは日本へ帰化するよう特高警察から圧力をかけられたが拒み続けた。日本での生活を続けるため、アイバは母語である英語を生かし、仕事に就くようになる。

同盟通信社の愛宕山受信所で外国の短波放送の傍受とタイピングの仕事をするようになり、翌1942年(昭和17年)からはラジオ・トウキョウで臨時雇いの英文タイピストとして勤務。ラジオ・トウキョウには、アメリカの短波放送が自由に聞けるラジオがあった。当初は日本語の原稿を英語に訳す業務をしていたが、やがて日本軍の参謀本部の要請で「ゼロ・アワー」が始まると、密かに日本軍に抵抗していた連合国軍の捕虜に女性アナウンサーとしてスカウトされ、原稿を読むことになった。

反逆罪に問われる

アイバが唯一の「東京ローズ」としてマスコミの前に姿を現わしたのは、ラジオ番組がなくなって無職となったところへ、独占インタビューに応じれば2千万ドルを支払うと持ちかけられたためだった。3日後、GHQから呼び出しを受け、さらに大勢の記者や兵士たちの前で取材を受けた。ところが、ずっとアメリカ国籍を固持していたにも関わらず、アメリカ本土では「反逆者」と報道され、戦争で息子を失った母親や日系人の排斥運動をしていた人々のバッシングが始まった。そのため、敵国に加担した反逆罪の容疑でGHQに逮捕され、巣鴨プリズンに11か月間収監された。FBIの取り調べを受けたが、証拠不十分で釈放された。

しかし、1948年アメリカに強制送還されて再逮捕となり、反日感情の強いサンフランシスコの法廷で「対日協力者」として反逆罪で起訴された。裁判で兵士たちが証言した「東京ローズ」は、放送された期間や内容、声質・声紋などから、アイバではなかった可能性も高かったが、1949年禁固10年の有罪判決を受け、市民権を剥奪された。その後は1954年に仮釈放となって出所し、慎ましく余生を送った。

1970年代になると有罪判決は疑問視されるようになり、支援活動による3度目の嘆願で、1977年フォード大統領の特赦により市民権を回復。2006年には「困難な時も米国籍を捨てようとしなかった“愛国的市民”」としてアメリカ退役軍人会に表彰され、名誉が回復されたが同年、脳卒中のため90歳で死去した。

※以下は、アメリカ退役軍人センターがまとめた「東京ローズ(アイバ・トグリ)」のドキュメンタリー。YouTube(American Veterans Center)「The Real Story of "Tokyo Rose" - Narrated by Bill Kurtis」

英国発のヒットミュージカル"TOKYO ROSE"

この「東京ローズ」を題材に、アイバ・トグリの人生をミュージカルにしたのが、イギリスの演劇集団〈BURNT LEMON THEATRE〉製作の"TOKYO ROSE"である。

戦中戦後、アメリカと日本の間で翻弄され、個人の権利を奪われながらも、自身のアイデンティティを決して手放さず闘う姿をパワフルな音楽とともに描いた。

並外れた物語 “AN EXTRAORDINARY TALE”
BROADWAY WORLD
力漲るパフォーマンス “POWERHOUSE PERFORMANCE” 
REVIEWS GATE
背筋がゾクゾクすること “SPINE-TINGLING STUFF”
MISICAL THEATRE REVIEW
パワフルな歌 “POWERFUL SONGS”
THE GUARDIAN
生命力と活力に満ちたビブラート “VIBRATES WITH LIFE AND VITALITY”
LONDON LIVING LARGE

どんなシビアなテーマでも最終的にはエンターテインメントに昇華してしまうイギリス演劇の特徴がよく現れている。2019年にエディンバラ・フリンジで初演され、チケットは完売。好評を得て、2021年には英国内ツアーを行い、同団体の代表作となった。

〈BURNT LEMON THEATRE〉は、英国の女性メンバーが中心となり、2017年に活動を開始した演劇集団で、次代を担う演劇集団として注目を浴びているという。作家カーラ・ボルドウィン、演出を手がけたハンナ・ベンソンをはじめ、メンバーの多くが色々な役割を兼任しながら作品創作を行っているという。

"TOKYO ROSE"では、台本・作詞をメンバーのメリヒー・ユーンとカーラ・ボルドウィン、作曲をウィリアム・パトリック・ハリソンが担当。歯切れの良い歌詞にパワフルな歌唱、ヴィヴィッドなコーラスが随所に散りばめられた軽快なポップロック調のナンバーに圧倒される。

※YouTube(Tokyo Rose (The Musical))「Hello America Lyric Video - Tokyo Rose (Original Cast Recording)」

楽曲は、跳ねるようなシャッフルのリズムや、R&B、ヒップホップにラップも入る。刺激的なテクスチャーを積み上げていくシャープでタイトな現代的音作り。耳に残る楽曲を聴いただけで唸らされる。YouTubeでは各ナンバーが公開されているので、ぜひ聴いてみてほしい。

日本版の3つの観どころ・聴きどころ

このイギリス発の話題のヒットミュージカルが、明日より日本で初上演される。公演前に日本版の3つの観どころ・聴きどころを整理しておきたい。

1.フルオーディションによる初ミュージカル作品

写真左上より、飯野めぐみ、シルビア・グラブ、鈴木瑛美子、写真左下より、原田真絢、森加織、山本咲希
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