だまし討ちプーチン氏とだまし討ちをしなかった家康

2023年9月4日
全体に公開

多くの人々が、「ええっ、本当に殺してしまうの?」と思ったに違いない。ロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者プリゴジン氏の搭乗した飛行機の墜落事件のことだ。

ロシア政府は政府の関与を否定しているし、プーチン氏の関わりが証明されたわけではない。しかし、米国をはじめ多くの政府の外交筋は、プーチン氏の関与を強く疑っている。

なぜならこれまでも、反体制派殺戮の前科があるからだ(これら前科も立証まではされていないが、反体制派であれば命を狙われるという事実は大きい)。

例えば、ロシアでエネルギー相や副首相まで務めたネムツォフ氏だ。反プーチンに転じて、2015年2月にロシアのクリミア侵攻に反対するデモに参加した直後に4発の銃弾に倒れた。

また、反体制指導者で大統領選挙等への出馬も検討していたナワリヌイ氏は、2020年8月、シベリアを訪問中に軍事用の神経剤「ノビチョク」を盛られた。この攻撃でナワリヌイ氏は生死をさまよい、ドイツに搬送されて治療を受けた。その後帰国して、空港で収監された。「殺されかかった」と言ってよいであろう。

自分の地位を脅かす反体制派は殺すと言うのがプーチン氏だ。

「まるで戦国時代のようだ」と思う人も多いであろう。

言うまでもなく戦国時代は、敵方を和睦などの名目で呼び出して、殺してしまうことは多数起きた。分からないようにして命を奪われた武将も多いだろう。

しかし、徳川家康が、このようなだまし討ちを多用したということは記録には残っていない。

もちろん戦で負けた武将が打ち首になった例は多数ある。関ケ原の合戦で、石田光成、小西行長、安国寺恵瓊は斬首になった。当時の戦の掟としてやむを得ない。

しかし、そのような戦以外の場での騙し打ちは記録の限り、私は知らない。

ちなみに、秀吉・信長もだまし討ちは私の調べた限りしていないと思われる。だまし討ちは戦後時代でも人心を離れさせるNG行為であったのだ。

プーチン氏がもしプリゴジン氏をだまし討ちしたのであれば、戦国時代の三傑にも劣るではないか。

だまし討ちをしなった家康は260年にわたる徳川幕府を開闢した。プーチン氏の命脈はやはり短いのではないか。

※写真は、プーチン氏の出身地サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館(Unsplashより)

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