【障害があるからこそ、できることがある】ミライロ 代表取締役社長 垣内俊哉さん✕経済キャスター 瀧口友里奈 対談<その①>

2023年2月26日
全体に公開

幼少期から車いす生活を送り、障害を克服しようと奮闘した末に、“障害があるからこそできること”をしようと発想を転換。20歳で起業――。ミライロの垣内俊哉さんと、経済キャスター 瀧口友里奈が対談。その内容を、4回にわたってお届けします。

「障害があることに誇りを持て」――バイト先の社長の言葉が転機に

瀧口:垣内さんがつくられた会社、ミライロは、「バリアバリュー」を経営理念に掲げています。それぞれの人のバリアをバリューにしていくということですか。

垣内:そうです。そういう理念を掲げているのは、私自身が身体的な障害があることに深くかかわっています。私には骨形成不全症という、骨が折れやすい病気があります。これは遺伝的なもので、遡れば先祖代々同じ病気で、弟も同様です。

私は長い間、自分が歩けないことを受け入れられなくて、何度も手術とリハビリを繰り返しました。治療を優先するために高校もやめました。でも結果、歩くことはかないませんでした。

それなら、歩けなくてもできることは何か。それを突き詰めていった先に、歩けないからこそできることもあるというところに行き着いた。今、ミライロには視覚障害のある社員もいれば、聴覚障害のある社員もいます。障害は必ずしも克服すべき対象ではない。彼ら彼女らの視点を価値に変えていくことが、ミライロのミッションです。

瀧口:垣内さんが障害を持つ当事者としてバリアについてずっと考え続けてきたことが、ミライロの事業のベースになっているわけですね。

垣内:私も弟も、4~5歳のころからずっと車いすでの生活を送ってきて、厳しい現実と向き合わざるを得ませんでした。小学校にも中学校にもエレベーターはなかったし、高校に行っても同様で、周囲の手を借りなければ生活ができない。不満というよりは、不甲斐なさをずっと感じてきました。だから「障害を克服しよう」と強く思っていたわけですが、あるときから「障害を受け入れられるような環境をつくっていこう」という方向にシフトできたことが、今につながっていると思います。

瀧口:そのようなマインドチェンジのきっかけが何かあったのですか。

垣内:大学時代の成功体験が大きかったです。大学に入学してすぐ、学費、生活費を賄うべくアルバイトを始めました。ホームページ制作の会社だったので、パソコンを使ってデザインの仕事をするものとばかり思っていたら、命じられたのが営業の仕事。営業に行くにはバリアがたくさんある。建物に段差がある、階段がある、駅にエレベーターがない。それでも数カ月経ったころ、その会社で営業成績がトップだったのは私でした。私が人より知識があったわけでも、造詣が深かったわけでもないのに。

そのとき、社長に言われたのです。「車いすに乗っていることでお客さまに覚えてもらえている。それは営業にとって大きな強みだ。歩けないことに胸を張れ。障害があることに誇りを持て」と。その言葉で、「障害がなければよかった」「歩きたかった」「走りたかった」という鬱々とした思いを、「障害があるからできることがある」という考えに転ずることができた。障害者ならではの視点を生かして、社会を変えていこうという方向に意識を変えられたのは、あの体験のおかげだったと思います。

瀧口:垣内さんはとてもプラス思考なのだと思います。「車いすに乗っていたから覚えてもらえたんでしょう?」と言われたら、普通は「なんか嫌だなぁ」と思うような人もいるんじゃないでしょうか。

垣内:(笑)あぁ、確かに言われてみれば、そういうとらえ方もできますよね。でも当時、私はまだ19歳で、何も持ち得ていなかったし、何も成し得ていなかった。そんな私が結果を出せたのは、社長の言う通りなのだろうと素直に思えたので。

障害者を特別扱いしない最高のパートナーとの出会い

瀧口:起業したのはおいくつのときですか。

垣内:大学2年生、20歳のときに、ミライロの前身になる会社を立ち上げました。

瀧口:大学の同級生だった民野剛郎さんといっしょに起業されたのですよね。何かお互いに惹かれ合うものがあったのでしょうか。

垣内:民野に惹かれた最初のきっかけは、学食でした。トレイを持って好きなものを選んで会計して、というカフェテリア形式の学食で、車いすユーザーの私に皆、親切に、「いいよ、持つよ」と言って手伝ってくれるのです。食べ終わったあとは皆の空いた食器を重ねて、じゃんけんで負けた人が片付けに行くという流れ。でも私は車いすなので、じゃんけんには加わらないのが常でした。だけど民野は違った。私がいてもひとりでさっさと会計を済ませるし、食べ終わったら私に「はい、じゃんけん」って言ったのです。

親交が深まるにつれ、民野も経営に関心が高いことがわかった。民野とは対等に向き合って、いっしょにやっていけるだろうと思い、大学2年生のころからボロアパートにいっしょに住み始めて。彼は副社長として、私と組織を大いに支えてくれる最良の相方。今年で14年目になります。

瀧口:対等な間柄というところが、とても大事だったのですね。

垣内:「助けてあげよう」とか「サポートしてあげよう」と思ってくださるのは本当にありがたいことです。でもやっぱりそこで、自分が弱者として認識されていることに気づかされる。そういう関係性は、パートナーとしていっしょに事業をやっていく上では不釣り合いだと思うのです。対等に向き合ってくれる人と出会えたことは、本当に幸運だったと思っています。

障害が目に触れ議論されることで、軌道修正が図られていく

瀧口:余談ですが、この間までフジテレビで放映されていた「silent」というドラマがありました。妹に勧められて見始めて、とても感動したのですけど、これを実際に聴覚の障害を持っていらっしゃる方が見たらどう思うのかなとすごく気になっていて。

垣内:聴覚障害のあるうちの社員は、批判的ではなかったですね。むしろブログで皆さんにお勧めしたりしていましたよ。

だけどもちろん人によって感じ方はいろいろですよね。今、ほかの局でも聴覚障害者を取り上げたドラマが放映されていますね。その時々の流行りがあるんですよね。過去には車いすユーザーがドラマに頻繁に登場していた時期もありました。

瀧口:そういったコンテンツが、普段は身近に触れ合わない障害者の方のことを知る機会になるのは良いことなのかもしれませんが、反面、コンテンツとして消費される危険性もあるような気がして。

垣内:「感動ポルノ」という言葉で非難の声が上がった時期もありましたね。

けれど私は、今まではそういったテーマが取り上げられること自体が少なすぎたと思っているので、取り上げられて議論されて、軌道修正を図っていくことで、世論が成熟して健全な状態になっていくのは喜ばしいことだと思っています。

ミライロの事業は、全国各地の大学のバリアフリー対応状況を伝える地図づくりから始まった。(②に続く)

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